見えて聞いて、見えず聞こえず
「あ、あの、教授……」
「何かな? 確か代永君だったか? 顔色が良くないぞ」
「だ、だって……窓に……」
新入り記者に促され、他の三名も窓を見る。教授の真後ろ、薄暗い室内に光を差し込む夕焼け色に。特に異常が見当たらない……教授と小原先輩がそう判断する中、今度は園山記者が異常を訴える。
「窓? 窓よりもっとマズい事が起きてるでしょう?」
「は? 何言って……」
「だってさっきから『天草ァ!』って老人の声が……」
「……先ほども園山君が言っていたが、ずっと聞こえていたのか?」
「一時は落ち着いていましたけど……天草教授が結論を述べているあたりから、どんどん声が荒くなって……何? 本当に聞こえていないのですか⁉」
何の声なのだろうか? それともこの『郷土研究室』が持つ空気に園山が呑まれ、幻聴が聞こえているのだろうか? 半分パニック状態に陥りながら、必死に新米女性取材班が訴える。鬼気迫る声色に対して、教授と小原は戸惑うばかりだ。
一方――園山とは別に『異常』を感知している代永も、窓から距離を取りつつ証言する。
「そ、そっちは分からないッスけど、窓にデカい鳩が……ずっと怒った目つきで窓を叩いているッスよ! 嘴だけじゃなくて、体当たりまで……つか、嘴がなんか、生き物の臓物が紐みたいに垂れ下がってるし……うぇ……」
グロテスクな物が見えているのか、代永の表情は青い。耐性が無い人種なのだろうか? 気を使いつつも、何も見えていない教授は素朴な疑問を発した。
「それなら窓が割れたり、ヒビでも入りそうなものだが」
「物理的に何も起きてねぇから、逆におかしいッスよ!」
「いっそ霊障でも起きて、物理的な影響があれば……証拠になるのだがね」
戸惑うばかりの教授と小原。彼らは何も感じていないらしい。顔を見合わせ固まる中、園山は何かに気づき代永に問う。
「ま、まさか……喋っているのって、その鳩なんでしょうか?」
「今はなんて言っているッスか?」
「『とっととここを開けろ天草ァ!』って、まるで借金の取り立てみたいに、しわがれた男の声で吠えて……!」
「鳩の表情は、まさにそんな感じッス……! な、何か、何か道具が無いッスか⁉」
「ふむ……確か、魔よけに使う物品もあった筈だ。目録から探して試してみるか?」
代永に言われて、教授も少し考え直したようだ。郷土研究室内の棚に手を伸ばし、紙の束をめくっていく。しかしここで、小原が慌てて静止した。
「あー……教授、真に受ける事はありませんよ。後輩二人が突然おかしな事を言い出して申し訳ありません。こうした場所への取材は不慣れな物で……多分雰囲気に飲まれたのでしょう」
「「先輩⁉」」
無理やり後輩二人の頭を掴み、三人で頭を下げる。釈然としない空気だが、教授も目録を戻し頭を掻いた。
「ふぅむ……プラシーボ効果かもしれんからな。少なくても、小原君と私は異常を感じられない。いや、その状況がますます、彼らに『異常』と強く認知させているのかね? あいにく、私はお祓いの手法は専門外でね。不安ならまた連絡を入れてくれ。専門家への伝手はある。必要なら紹介しよう」
「ありがとうございます。本日は失礼しました。重ね重ね、申し訳ありません」
「気にしないでくれ。新人なのだろう? 場数を踏ませてやるといい」
異常を感じる者と、異常を感じられない者。同じ場所、同じ時に立っているのに、見える世界、感じる世界が隔てられてしまったかのよう。強い恐怖に晒される新米二人の手を強引に引いて、小原率いる広報部の三人は『郷土研究室』を後にした。
***
「せ、せせせっ! 先輩っ! なんで逃げたんッスか⁉」
後輩代永が声を荒げて抗議する。決意を固めた小原の手は、強く掴まれて逃れられない。反対側の手、園山への力加減も同じだが、彼女の反応は正反対だった。
「逃げて当然よ! ずっと不気味な……しわがれた老人の声が、天草教授を呼んでいたのよ⁉ もしかしたら、こっちが狙われないかもしれないじゃない!」
「まぁまぁ! 二人とも落ち着いて!」
強い言葉で言い合う後輩二人を、小原は大きな声で、しかしなだめるような声色で言い聞かせる。怪奇現象に接触していないからか、先輩だから冷静なのだろうか? まだ落ち着きのない二人に対し、彼なりのロジックを開示する。
「君たちが何を見たのか、何を聞いたのかは……残念ながら、わたしには分からない。反応を見る限り、天草教授も同様だろう」
「「……」」
「誤解しないで欲しい。君達の感覚を否定する気は無い。むしろ――『本物』を捕らえるチャンスになるかもしれない、とまで考えているんだ。けれど今は、君達は二人ともパニックに陥っている。これでは取材にならない」
室内に入る前の会話が思い出される。記者は時に、強烈な現実と対面することがあると。先輩の語った心構えとは……そんな現実に直面しても、冷静に取材する胆力の事も語っていたに違いない。不出来な自分たちを恥じる新人記者たちだが、先輩は改めて鼓舞した。
「しかし、しかしだ。一度現象を目にすれば、一度体験して心構えが出来たのなら、次は大丈夫さ。そうだろう?」
「「はい!」」
そうだ。いつまでもめげていられない。これはむしろ、特ダネやスクープのチャンスなのだと気を取り直す。例の噂――『郷土研究室の悪魔』の仕業なのか、異なるのか。ともかく何らかの異常な『存在』を認知した面々は……一度撤退し、次の機会に備えることにした。