改変の痕跡
こうして、代永との会話を終え、教授は自分が受け持つ講義の資料を手に取る。ノートパソコンと電子化した資料を再度チェックし、本日の講義内容を再認した。
「次は……『マゼランが世界一周中に死亡した』話か。代永君の話題の後だと、中々タイムリーだな……」
他ならぬ大航海時代、世界を巡り探検する中、後々各所は長らく植民地として支配、制圧された歴史がある。その過程できっと、力弥が体験したような……『文化や民族の滅亡』が起きていた事は、想像に難しくない。
思わずため息をついていると、不意にハルファスが教授の肩に止まる。急な行動に戸惑う教授の傍で、ハルファスは天草教授と資料を何度も交互に見つめていた。
『おい天草……? この前の授業と、内容が矛盾してねェか?』
「何の話だ?」
『オイオイ、大学教授が嘘の歴史教えるのはマズいだろ。だってよォ~……この前は『マゼラン一行は、全員無事に本国に帰還した』って言ってなかったか?』
「馬鹿な……私がそう、講義で口にしたのか?」
天草太一は戸惑う。あり得ない。何故なら『マゼラン一行は、世界一周前にマゼランと一部の人間が死亡した』と、はっきり歴史に残されているではないか。全員無事などと抜かせば、歴史を偽装したと大騒ぎになりかねない。そんなミスを自分が犯すと?
「ありえん。いつの授業だ?」
『精確な時期は分かんねェ。確かオレが悪魔的異世界転移・転生について語った後ぐらいの講義だった気がする』
「何にせよ一度、確認する必要がありそうだ」
しかし……いくら調べてもヒットしない。自分に記憶が無いのもそうだし、外部から情報を収集しても『マゼラン一行が全員生還して帰って来た』なんて記述は、一つも見つけられない。長い長い船旅をして、一人も死なずに帰還する事自体、あの時代背景では珍しい事。世界一周の偉業も重なっていれば、絶対に記録に残っているはずだ。
そもそも……こんな分かりやすいミスを犯したら、今の時世ならひっきりなしに苦情が来る。史実と異なる講義なんざ――そこまで考えた所で、天草教授の脳裏に電流が閃いた。
「いや待て。これはまさか……歴史が改変された、のか?」
『は? え、は? 待て待て待て! じゃああれか? オレが記憶しているのが改変前の歴史だってのか⁉』
全員が無事に帰還したのが、本来の歴史で――
マゼラン含む数名が、現地住人の怒りを買って死亡したのが、今の歴史だと?
事の重大さを察した悪魔が、珍しく緊張した声で天草に問いかける。
『これは……焦るべきなんじゃねェか? これ以上誰かに『異世界転移の珠』とやらを使わせたらよォ……本当に歴史が壊れちまう日が……」
「看過出来ない事象なのは、間違いないが……しかしどうすればいい? 私含め多くの人間は『歴史が改竄された』のを認知できない。なんでハルファスが平気なのかは分からんが……認識した所で干渉できまい。ソロモンの悪魔の誰かで対処できそうな奴は?」
『序列三位のウァサゴなら……いやどうだろうな。過去改変への対処なんざ、悪魔の権能で聞いた事ねェや……』
過去の人物が一人や二人、死んだところで大した影響が起こらない……なんて判断は甘い。ほんの少しの歴史のズレが、何百年先の運命を変えてしまう危険性は、ゼロとは言い切れないのだ。仮に『今は』平気だったとしても……百年先の未来で、影響を及ぼさないと誰が断言できる? あまりに危うい『現在』に気が付いたハルファスが、取り乱したように悪態を吐き始めた。
『つーかよォ! こんなヤベー事象に、ホイホイ契約交わして飛び込む奴ら何なんだよ⁉』
「そもそも『異世界転移』と誤解されているし、口寄せされる本人たちも、無意識に同意しているようだが……」
『自覚が無いから許されると思っているんですかねェ~っ‼ 自分自身さえ消滅させかねない『契約』に同意するとかバッカじゃねーェの⁉』
「……契約の隙をついて、人間を破滅させる事も多い悪魔が言えた義理か?」
『うぐ! オレの趣味とは違ぇけど……反論もできねェ!』
合意と契約は――必ずしも均衡を保った、公平な取引とは限らないのだ。時には合意の隙間を縫って、相手に不利だけ押し付けるハメ手なども、数多く存在する。今回の『異世界転移の珠』と誤認された話も……見方によっては『異世界転移と勘違いして、過去を改竄してしまいました』と表現できるかもしれない。
「見方によっては、珠を手にした方も被害者と言える。現に体験者は、精神を『滅亡した文明側』に引っ張られていた。とうの昔と、取り返しのつかない滅亡に」
『……同情はしてやるし、冥福を祈ってやってもいい。だが無かった事にするのはちげぇだろ』
「すまない、前言を撤回させてくれ。珠を手にした奴は、現実に押しつぶされ、いっそなかった事にしたい奴ら……だったな」
刹那の快楽と引き換えに、未来や今を壊しても構わない。そんなとんでもない契約と合意を交わしている事を、珠を使った者たちは気が付いてすらいない。
誰かの欲望や感情で、過去を書き換えるのなら――
その代償は、あまりに重い物になるのかも、しれない。




