シスコンとお節介焼きと(又は天然VS人工天然ともいう)
「すまない。今日の予定はキャンセルしたい。妹の具合が悪いんだ」
ダイアナはカールの言葉に目をパチクリと瞬かせた。
ダイアナとカールは出会って一月であり、婚約が結ばれたばかりの間柄だ。
双方に家庭の事情で婚約者探しに出遅れてしまった余り物同士の婚約。まだまだ相手のこともよく知らず、これから仲を深めていく最中のある時。
デートの待ち合わせ場所に少々遅刻してやって来たカールが当日のキャンセルを告げたのだ。
ダイアナは口元で広げていた扇子を畳み、カールに近づく。
「それは大変ですわ。熱は?食欲は?急な体調不良はよくあることですの?」
責められることを覚悟していたカールは心底心配そうに詰め寄られ目を白黒とさせる。
何せダイアナは見るからに気の強そうな美人だ。赤みの入った波打つ金髪。つり上がった眦。常に扇子片手に笑む姿は威風堂々としている。
さぞなじられるだろう、いっそのこと伝言で済ませてしまおうかとまで考えていたカールだったが、まだ数えるほどしか会っていない婚約者相手にさすがに不義理だろうと待ち合わせ場所までやってきたのだ。
この反応は完全に予想外だった。
「どうなんですの!?」
「あ、えっと、妹は病弱で、こういうのはよくあるんだ。だから、心配で」
「そうですわね。では、行きましょうか」
「行きましょうか?デートに?」
キャンセルを告げたばかりなのに何を言うのかと首をかしげる婚約者に、ダイアナはそちらこそ何を腑抜けたことをと言わんばかりに眉をつり上げた。
「あなたのお宅に決まっているでしょう。わたくしにとって将来の妹になるのです。お見舞いに行きますわ」
「え、いや、でも、妹は繊細だから来客は…」
「ええ、もちろん無理に会おうとは思っていませんわ。でも、カール、あなたはどう看病するつもりですの?」
「それは、ずっとそばにいてやるつもりで」
「まあ、それではいけませんわ」
ダイアナは「これだから男の方は」とため息と共に嘆く。
「わたくしの父や兄もそうでしたけれど、そばにいればいいなんてことはないのですよ。確かにそれが心の支えになることはありますが、四六時中隣に人の気配がするとたとえ身内であっても体が休まりませんの。寝入ったのを見届けたら気配を消して退出すべきですわ」
何を隠そう、ダイアナ本人にも病弱な妹がいた。
ただし、ダイアナの妹はダイアナ含む家族全員で病の完治に向け全力投球した甲斐があり、今では女騎士を目指すまでに回復した。もはや妹はダイアナより強い。
ダイアナは妹の病のために奔走していたため婚約者探しどころではなかった。そのせいで売れ残っていたのだ。
そのため、病に関する理解は人一倍あった。
「今後のためにも、妹さんの病状や治療法についても教えていただきたいですわ。今日はカールの家で時間を過ごしましょう」
「いや、でも」
「殿方は過保護になりがちです。看病の仕方を教えてあげますわ。お部屋を一部屋用意していただければそこで過ごさせていただきます」
「急なことでたいしたもてなしができないが…」
「かまいません。妹さんのことがあるのですもの。当然ですわ。何もなくとも文句は言いませんし、カールが妹さんの様子を見に行く間は本でも読んでいますわ。
時間は有限です。今はお互い共に過ごす時間を大切にすべきでしょう?未来の嫁なのですから、遠慮はいりませんわ」
カールは迷う。
だが、どう見てもダイアナは引く気がなさそうである。こうして問答をしている間に妹のエリカは苦しんで兄を求めているかもしれない。
近いうちにダイアナにエリカを紹介しようと思っていた。
エリカは休めばよくなるかもといっていたし、場合によっては今日がその日になってもいいのかもしれない。
何より、ダイアナのアドバイスが気になる。
カールは迷った末、一つうなずく。
「うん、じゃあ、僕の家に来てほしい。エリカは繊細だから僕としてもどう接すべきか迷っていたんだ」
「お任せくださいな」
エリカは線が細く、癖一つないストレートの黒髪、そして少し垂れ目の、つまりダイアナと正反対の美少女だった。
そんなエリカがうるりと瞳に涙をためて右の拳を口許にあてる。
「ごめんなさい、私の体調が悪いばかりにお兄様の予定を変更させてしまって。ダイアナ様もお怒りですよね?ごめんなさい、睨まないでください」
プルプルと震えながら兄のカールにすがり付くエリカ。そんな妹を慈愛の目で見つめてから、カールはキッとダイアナを睨み付ける。
「ダイアナ、エリカは繊細なんだ。だから、」
「分かりますわ!」
心の壁も、ついでにカールの体も何のその。
ダイアナはカールを押しのけエリカの手を両手で包み込む。
「体の調子が悪いと気持ちも沈んでしまうものですわ。あいにくわたくしは生まれつきつり目でしてそのつもりはなくとも怒っているように見えてしまうのです。
でも、わたくしはあなたを将来の妹として大切にしたいと思っているの。信じてちょうだい」
意思の強いキラキラとした瞳にエリカは思わず怯む。しかし、やんわりとダイアナの手をはね除け兄の服の端をツンツンと引っ張り、上目遣いで瞳を潤わせる。
「お兄様、私、なんだか頭が痛いの。部屋に戻っていいかしら?その、足がふらつくからついてきてくれる?」
「あ、ああ。もちろんだよ」
「具合が悪いところわざわざ挨拶に来てくれて、エリカさんは優しいのね」
「こんな病弱な妹でごめんなさい…」
「エリカのせいじゃないさ。ダイアナの言う通り、気が沈んでいるみたいだな。部屋で休もう。ダイアナ、すまないが、ここで好きに過ごしていてくれ」
「ええ、お気になさらず。エリカさんはお大事になさってください」
エリカはカールに支えられながら部屋を後にする。ダイアナはそれを小さく手を振って見送っていた。
その後エリカの体調は戻ることなく、ダイアナはカールとろくに交流もなく帰宅することになったが、ダイアナは文句一ついうことなく「また今度」と笑っていた。
その姿を窓越しに見ていたエリカは後に「すごい、方ですのね」とカールにこぼし、カールは「将来尻に敷かれそうだよ」と苦笑していた。
実際は、早々にカール(とエリカ)はダイアナに振り回されることになる。
その後も、カールとダイアナのデートの日とエリカの体調不良の日はかなりの頻度で重なった。そして、ダイアナの圧におされ、そんな日はカール達の屋敷にダイアナを招くのが当たり前になった。
ある時、エリカに飲み物を届けようとするメイドを見つけ、ダイアナはカールを呼びつけた。
「カール、あなたはエリカさんは繊細で家族以外に気心知れる相手がいないとおっしゃってましたよね?
それなのに新人メイドに飲み物を届けさせようなんてどういうおつもり?」
「だって、それは彼女の仕事だから…」
「メイドの仕事は給仕だけではありませんわ!
エリカさんが慣れない人の気配で休めなかったらどうするのです!カール、あなたが運ぶべきよ」
「いや、でもそんな下働きみたいなことをなんで僕が…」
「大切な妹のためにそれくらいもできないのですか!」
こうして、カールはエリカ専属の食料配達係となった。
またある時は、カールがドーナツやカップケーキを運んでいるのを見つけ、ダイアナは目くじらを立てる。
「寝込んでいる人にそんな重たいものを差し入れるなんて!」
「でも、エリカはこれが好きで、」
「好物だからといっていつでも食べていいわけではありません!時には我慢も必要なのです。甘味は控えるか、せめて果物にすべきですわ!」
こうして、ダイアナの指導のもと、体調不良のエリカにはハチミツが少量入ったハーブティーのみが届けられるようになった。
またまたある時は、雑談の中でエリカの病名が分からずたった一人の主治医にしかかかったことがないと知り、ダイアナは怒りで震える。
「なんてことですの…。カール、あなたは本当にエリカさんを健康にしたいと思ってらして?」
「もちろんさ!」
「では、今すぐ他のお医者様に診てもらうべきです」
「でも、今の医師はエリカが幼少からずっと診てくれているから、エリカの病気なら彼が誰よりも分かっているよ」
「ですが、医療は日々進歩していますし、日々新たな病が発見されています。お医者様一人一人得意な分野は違うのですよ?
もしかしたらエリカさんはそのお医者様の知らない病なのかもしれません。
ひとまず妹の主治医だった先生を紹介しますわ!」
こうして、ダイアナの妹の病を治した医師が訪問することになる。
ちなみに、その医師がエリカを診察した結果、特に健康上問題なし、そのセンサイな感性で神経質になっているのだろうといわれた。
ただ、あえていうならば偏食による栄養不足が見られると診断され、それを知ったダイアナが野菜ジュース片手にカール達の屋敷に突撃するのはまた別の話である。
余談だが、常の食卓に野菜ジュースが並ぶようになり、エリカだけでなくカールや両親のお通じその他あらゆる体の不調が改善し、一家の健康状態が著しくよくなったという。
婚約者として、カールとダイアナが二人で過ごす時間は圧倒的に少なかったが、ダイアナは気にしていなかった。
時に茶会や夜会で「あなたの婚約者はあなたより妹の方が大切なのね」と哀れみの言葉をかけられたが、いつもダイアナは余裕の表情で微笑む。
「家族想いな自慢の婚約者ですの。家族が辛い思いをしているのに気にもかけない薄情者よりずっといいでしょう?」
本音と建前が一致しないのが社交界の常だが、ダイアナの言葉は正真正銘本心だった。
しかし、ダイアナとカールの婚約は白紙となる。
エリカが泣きついたのだ。
「ダイアナ様がいい方なのは分かります。でも、でも、私、辛いんです。ずっと見られているみたいで、苦しいんです。
お兄様、ダイアナ様との婚約を解消して!」
ポロポロと涙を流しながら訴える妹をカールは蔑ろにできなかった。
カールとしても、将来どころか現在進行形で尻に敷いてくるダイアナに手を焼いていた。本人に悪気がない上に彼女の主張は正しいため断りづらく、従うしかない。
これが生涯続くのかと思えば正直うんざりだった。
カールの両親はダイアナを気に入っていたが、憔悴した息子と泣きじゃくる娘を見ると、ダイアナと子供たちは相性が悪いと判断せざるを得なかった。
慰謝料を払ってでもいいから婚約を破棄してほしいと頭を下げるカールの両親に、ダイアナは首を横に降り、「わたくしの方こそ至らずに申し訳ありません」と破棄ではなく白紙にすることを提案した。そうすれば互いに慰謝料は必要ない。
さすがのダイアナもいつもの微笑みはなく、口許はワナワナと震え、涙こそなかったが目が赤かった。
「家族になる日を楽しみにしていました。こんな結果になってしまい、残念ですわ。皆様、どうかお元気で」
それでも、去り際は淑女らしい微笑みで見事なカーテシーを披露したのだった。
「ダイアナ!」
カールとダイアナの婚約が白紙になってから一年。
カールはある日の夜会でかつての婚約者を見つけ、慌ててその名を呼んだ。
振り返るその姿は相変わらず煌びやかで美しい。いや、以前よりも美しさに磨きがかかっていた。
それに対し、カールは冴えない。彼も美男子だったはずが、窶れていて疲れた顔をしているせいかダイアナと同じ年のはずなのにずっと老けて見えた。
「まあ、お久しぶりですわ」
扇子を広げながら微笑むその様は婚約者であった時と変わらない。カールはホッとする。
というのも、カールは未だ新しい婚約者が見つかっていなかった。何度か決まりかけるものの、どの令嬢も妹に冷たく、また妹も婚約者候補を受け入れられなかった。
同格の貴族令嬢はあらかた声をかけた。こうなると格下の貴族としか縁が結べないかもしれない。いや、最悪その縁すら得られず遠戚から後継者を連れてこなければならないかもしれない。
両親がよくこぼす。「ダイアナがよかった」と。
見たところダイアナは一人だ。その強気な性格が災いして彼女も次が決まらないのだろう。
それならばもう一度婚約すればいい。
売れ残りをもらってやると恩を売って。そうすればダイアナも大きな顔ができずおとなしくなるかもしれない。
カールはそんな思惑を胸に秘めて人当たりのよい笑みを浮かべる。
「ダイアナ、君に話したいことがあるんだ」
「私も話がしたいと思っていましたの」
トクン、とカールの胸が期待で弾む。まさか、向こうからぜひ婚約してくださいと頼んできてくれるのか。
美人からの懇願なんて願ってもない。
ダイアナが瞳を伏せる。
「以前は勝手な行動ばかりしてしまい、申し訳ありませんでした。叱られてしまったわ。わたくしのすることはでしゃばりだと」
「それは…」
「わたくしは自分の行動が正しいと傲っていたのです。家によってそれぞれ事情もありますのにただの婚約者が勝手に変えるのはよくないと教えられ、その通りだと反省しました。
婚約破棄されて当然でしたわ」
「…気付いてくれてよかったよ」
「ええ、ですので今の婚約者には、一度許可をとってから行動するようにしていますの」
「今の、こんやくしゃ…?」
ダイアナが許可もとらずに医者の手配をしたりあれこれ指示をしたりしていた一年前が恥ずかしいだとか、いつかは謝らなければと思っていただとか話していたが、カールの耳には全く入っていなかった。
そんな、まさか。
だって、今、彼女は一人で佇んでいて、
「私の婚約者に何か?」
しかし、明らかに年上の色気たっぷりの男性がダイアナの肩を抱く。
「あら、仕事の話は終わりましたの?」
「ああ、君のアドバイスのおかげでうまくいきそうだよ」
そうして素早く額にキスする男性。ダイアナは恥ずかしそうにしているが嫌がっていない。
どう見てもお似合いの仲睦まじい婚約者同士だ。
「そうですわ。紹介します。こちらわたくしの婚約者の、」
「あの!用事を思い出したので!失礼します!」
これ以上ここにいると惨めで仕方がない。カールは頭を下げて脱兎のごとく去っていった。
「…行ってしまいましたわ。領地もそう遠くないですしいいご縁になればと思いましたのに」
「今のは前の婚約者だろう?彼と縁を繋ぐつもりはないよ。あの家はもうダメだろう」
「え、どうしてですか?」
「彼の妹、大変みたいだよ」
エリカはダイアナが婚約者だった頃は強制的に野菜ジュースを飲まされ、間食を控え、時に連れ出され散歩をし、かなり健康的な生活を送っていた。
しかし、ダイアナがいなくなり自由になった途端、それらをやめ、暴飲暴食、そしてろくに運動もせず寝たきり生活をしていたらしい。
その結果、線の細さはなくなり、顔には吹き出物。あの儚げな美貌はすっかり損なわれたという。
「以前ならば多少の無茶も若さでなんとかなったのだろうね。年々代謝は落ちるものだ。不健康な生活に体が耐えられなかったのだろう」
それで反省し生活改善を試みればまだどうにでもなったのだが、エリカはそうしなかった。
高額な怪しげな薬に手を出してしまい、カール達一家はその支払いに追われているそうだ。
「そうでしたの。ただでさえ原因不明の病に苦しんでいますのに、そんなことになっていたなんて…」
「フッ。君はまだ、そう思っているんだね」
「何がです?」
「いや、いい。私の可愛いダイアナはずっとそのままでいてくれ」
ダイアナはムッと口を尖らせる。
この年上の婚約者はよくダイアナを子供扱いする。ダイアナの話をよく聞いてくれて、ちゃんと自分の意見も伝えてくれる素敵な婚約者だが、そこだけは不満である。
「わたくし、子どもじゃないですわよ」
「ああ、私も子どもとは婚約できないよ。さて、未来の奥さん、ダンスを一曲いかがですか?」
「…一曲といわず、何曲でも」
まったく、この婚約者にはかなわない。
ダイアナは頬を赤らめて差し出された掌に自らの手を重ねるのだった。
よく妹を優先する困った婚約者の話を見るけど、実際妹が病気なのに何も気にかけないで婚約者を優先するのも薄情なのでは?こういう時どういう行動が正解なんだろうと考えたのがきっかけでした。
どうしてこうなった?