5.天上会議
「で、結局三人だけでいったのか」
「ええ、もう一人は付き合いが悪いですから」
鍛錬が終わり、着替えながら先生と話をする。
「同期は四人しかいない。同じ境遇の仲間だ。孤立させるなよ」
汗にまみれた衣服を脱ぎながら先生が言った。僕は肩をすくめる。
「あいつが孤立しようとするんです。処置なしですよ」
僕も纏っていた鎧を脱ぎ、着替える。
着替える途中に見たけれど、先生の体には無数の古傷がある。きっとこの人は今までの人生でどれだけの死地を乗り越えてきたのだろうか。
まあ、かくいう僕も傷だらけだ。
目元にはパンダのように大きな青あざができている。免許皆伝とは言われても、やはり僕と先生の間には越えられないほどの壁がある。
自分なりの戦い方といっても、それはそう易々とみつかるものではない。
そもそも先生は百年を超える時を生きている。そんな人の剣にたかが数年師事しただけの僕が勝てるわけがない。
そうだ、長生きしている先生に聞きたいことがあるんだった。
「先生、聞きたかったのですが、この上層の外には何があるんですか?」
なんでもない、ただの雑談のつもりだった。
しかし、
「…………」
先生は答えなかった。
「先生?」
「……お前にはまだ早い」
「え?」
怪訝な顔をするしかなかった。
王城を始めとした城下町がある場所を上層、その外側には中層、下層が広がっている。
広がっている、といっても僕は上層の外に出たことが無い。
軍人としての訓練の中には、国について学ぶ機会がある。そのときに本当にふんわりと触れただけだ。
だから広くない上層の外に何があるのか知らないし、軍が具体的に何をしているのか知らない。
ソフィアやオスカーはダンジョンなるものがあるんじゃないかと言っていたが、どうなのだろうか。
先生に詳しく聞こうと、着替えも途中に声をかけようとしたとき――
「天上人のウィリアムはいるか!」
更衣室に怒鳴り込むようにやってきたものがいた。
黒髪をオールバックでまとめ、釣り目で線が細い、きつそうな印象を人に与える男。
「強秀英、騒々しいな。何用だ」
強秀英。その身に常人にはない神聖な気配、いわゆる神気を纏った人間。
僕と同じ、天上人。
先生が更衣室に不躾に入ってきた秀英を睨みつけるが、秀英はふんと鼻を鳴らし、僕を見た。
「貴様だ。ウィリアム。鈍間め、俺達天上人全員に召集がかかっている。早くしろ」
「招集だって?」
秀英の言葉をすんなり受け入れるのには、少しの時間を要した。
天上人全員に召集?
そんなことは聞いたことが無い。ここ数年、一度もなかったことだし、数が多くない天上人だが全員が集まる機会なんてついぞなかった。
一度も会ったことが無い者だっている。
秀英は僕の疑問に答える気もなく、
「貴様の疑問などあずかり知らん。早くしろ」
高圧的に言い残し、彼は出て行った。
残った僕は先生を見る。
「なんでしょうか?」
何か知っているかもと、先生を見る。
僕はまたしても驚いた。
先生が目を見開き、虚空を見つめていたから。
「先生?」
「…………っ! ああ、なんでもない。早く行け。怒鳴られる前にな」
普段から表情の変化があまり見えない愛想のない先生だけど、この時だけは一段と表情が死んでいた気がした。
気になったが、呼ばれている。
すぐに着替えて部屋を出た。
◆
正装に着替え、足早に王城の一室に向かった。
天上人はグラノリュース天上国の象徴、最上位の存在だ。
基本的に城に勤め、何かあれば国中に赴き敵を打ち倒す役目を持つ。
未だ訓練中の末席とはいえ、僕も天上人。
常に城に常駐し、そこで鍛錬をおこなっている。
だけれども、今日だけは普段は立ち入らない城の最上階近くにある、一際大きく門のような両開きの荘厳な装飾の施された扉の前にいる。
一度深呼吸し、扉に両手をかける。
「天上人第九席、ウィリアム。参上しました」
開け放ち、すぐに頭を下げて名乗る。
数秒の間を空け、ゆっくりと顔を上げる。
顔をブラさず、視線だけで部屋の中を見渡す。
部屋の中に無駄なものは少ない。
ただ艶のある巨大な円卓が部屋の中心に置かれているのみだ。中心の机を囲うように十の椅子が並べられており、部屋の隅には数人の通常の軍人が控えている。
彼らは僕に一瞥することもなく、まるで石像のように微動だにせず屹立している。
そして肝心の円卓には既に数人の人がいた。
「ようウィリアム。遅かったな」
「危ないわよ、あと少しで上の人たちが来るところだったんだから」
慣れ親しんだ二人。
赤毛短髪のオスカーと青髪のソフィアだ。昨日ぶりだ。
オスカーはともかく、ソフィアとはあれからあの剣に関して話す機会がなかったから、どうすればいいのか迷っていたけど、彼女は特に気にしていないらしい。
嬉しいような残念なような気もするが、とにかく今は二人が一緒にいることが心強い。
でもここには二人以外にもう一人いる。
「相変わらずの鈍間め。進歩というものが見られんな」
秀英だ。
高圧的で見下したような態度をとる彼の言葉に、自分でも顔が歪んだことがわかる。
彼の言葉に鼻を鳴らし、僕は自席に座る。
僕は末席、入口に近い位置に座る。
席は全部で十、正十角形に配置された椅子の、入口に一番近い椅子の隣に座る。
最も入口に近い椅子は空いたまま、その椅子を挟んだ向こう側にはオスカーがいた。
そのオスカーの隣に秀英、僕の隣にソフィアだ。
天上人の定員は十人、今は一人欠けていて九人しかいない。
第九席ということは、本当に一番下だ。
その次がオスカー、ソフィア、そして秀英という順の席次となっている。
この四人は同期だ。
ほぼ同時期に天上人としてやってきた。
その中で実力に応じて席次は決まっている。つまり、僕は天上人の中で一番弱いということだ。
こんな風に天上人が全員集まるなんてことは初だが、この時点で気が重い。
「魔法も使えない面汚しが俺を待たせるとは、身の程を知らないな」
秀英が嫌味を言ってくる。
待たせるもなにも、鍛錬中だったんだから仕方ないだろうに。それに呼びに来たのは彼だ。
俺がいつ来るかなんてわかり切っている。
下を見ないと安心できないような奴を相手にする気はない。
でも他の二人はそうじゃなかった。
「いつまで過去の栄光に縋りついているのかしらね。この席次だって決まったのは何年も前、あれからみんな実力もつけて誰が強いかなんてわからないのに」
「まったくだ。お前の大好きな肉弾戦なら、もうウィリアムは右に出るものはいないくらいに強いんだぞ」
ソフィア、オスカーが擁護してくれた。
しかし、秀英は鼻で笑う。
「フン、所詮捕らぬ狸の皮算用という奴だ。上がなぜ席次を変えようとしないのかわからないのか? やっても無駄というわけだ。残念だったな、やったところで、俺とお前たちの間には壁がある」
なおも煽る秀英に、ソフィアとオスカーはさらに腹を立てる。
二人の気持ちはうれしい。だがこの秀英という男は、高圧的で四人しかいない同期の中でも僕たちを嫌い、見下している。
そんなやつの相手をするだけ無駄というものだ。腹は立つが、こういう手合いは無視するのが一番だと、先生に教わった。
先生から教わる防御術とは、何も棒を振り回すだけではない。心理的な駆け引きに負けないようにすることも教わっている。
「よく言うぜ! うぬぼれもここまで来ると大笑いだ! 表出ろ! 今ここでケリつけてやる!」
「ハッ! そこの出来損ないと同じで頭の中には何も詰まっていないらしい! いいだろう! 今すぐに事実を教えてやる!」
当の本人である僕を置いて、ついぞ、ヒートアップしたオスカーと秀英。
さすがにまずい、何とかしないとと思い、ソフィアに助けを求めるも、
「頭に詰まってないのはオスカーだけよ! ウィリアムはもう少し詰まってるわ!」
ダメだった。
彼女も頭に血が上っているのか、椅子から立ち上がり訳の分からない批判をしていた。
ああ、我ながら情けないと思う。
こうなったら、立場の弱い僕の言葉を誰も聞かない。
それでも何とかしようと、僕も腰を浮かしたその時に。
「イッヒッヒヒヒヒ!! 若いもんは生きがいい!! 顔の下はどうなってるんだろうな!?」
上座の方の入り口から、耳に響く不快な笑い声が響いた。
僕たちはさきほどまでの諍いも忘れ、即座に姿勢を正し起立する。
「大変失礼しました! カットス・ロートレザー様。ただいま椅子をお引きいたしますので――」
秀英が即座に頭を下げ、謝罪をするも、
「おッセンダよ!! オレサマが部屋に入る前から横にいて待ってろや!」
甲高くも濁った不快な怒鳴り声がとどろく。
秀英と一緒に頭を下げた僕たちは、うつむき見えない顔をしかめる。
何とか表情を取り繕い、顔を上げて入ってきた人物を見る。
見た瞬間に、息を飲む。
こんな不気味な男がいるものか、と。
男の身体からは、僕らとは比較にならないほどの神聖な気配を感じる。間違いなく完全な聖人に至っている。
だが目を引くのはそんなことではない。
体中が傷だらけで、無数の縫った跡があり、まるで幼子が引きちぎった人形を無理やり直したかのようなつぎはぎがあった。
瞳孔は白く濁っており、失明しているのかと思ったが、その目はしっかりと僕たちを見ている。
カットス・ロートレザー。
初めて会う黒い衣装に身を包み、シルクハットをかぶった男は、最も上座の椅子の右側に向かって歩く。
「おい、そこの女」
「は、はい!」
空きだらけの上座の席、カットスに一番近いのはソフィアだった。
名を呼ばれたソフィアは緊張した固い動きで、返事をする。
カットスは色の悪い唇から舌先を出して言った。
「オレサマの椅子をひけ。あとはそうだな、他の奴らが来るまで、オレサマの相手をシロ」
「は、はい」
明かに私情を含んだ指示に、ソフィアは一瞬顔をこわばらせるも、すぐに毅然と歩き出しカットスの椅子を引く。
礼も言わず、カットスはひかれた椅子にどかりと座り、隣に立つソフィアを舐めまわすように見つめる。
「えぇ? 見てくれはいいな? 誰かと寝たことは?」
「……ありません」
気色の悪い質問、しかしソフィアはぐっと表情に出るのを抑え、短く答える。
彼女の答えが満足いくものだったのか、カットスは座ったばかりにもかかわらずすぐに立ち上がり、叫ぶ。
「イヒヒヒ!! ならいい! このあとオレサマの部屋にこい! 同じ天上人の先輩として、手取り足取り教えてヤルヨ! コウエイだろ!?」
腹の奥がざわつく。
カットスはソフィアの肩に手を伸ばし、抱き寄せようとしたのを――
「やめろよ」
僕が体を入れて割って入った。
もう、我慢の限界だ。
上級天上人だろうが知ったことか。
彼女に手を出すのなら、僕が相手になる。
邪魔されたのが不快なのか、カットスは元々いびつな目をさらにゆがませ、首を傾け睨む。
「なんだテメェ、末席の雑魚がオレサマに話しかけんな」
「末席の雑魚に注意されるようでは天上人の品位が下がりますよ」
挑発的に返す。
「ウィ、ウィリアム。だめよ、相手は……」
ソフィアが後ろで服を引っ張り、小声で話しかけてくる。
彼女の懸念はわかる。これでカットスは怒るだろう。
でもそれなら、こいつの注意は僕に向く。
さあ、どう来る?
身構える。しかし、
「イッヒッヒッヒ!! オレサマ相手にケンカうるたぁ! 末席の雑魚にしちゃ見どころがある!」
カットスは上機嫌に笑いだした。
腹を抱えて、さもおかしそうに。
「たしかに品のネェことだったカモしれねいな。いかんせん最近忙しくってヨォ。女を抱いてない。今のが知れわたりゃ、天上人の格が下がっちまうかもしれないな」
怒っていないのか、笑いながら僕の右肩に手を置いて、右手を僕に差し出してきた。
「悪かった。仲直りの握手とイコウゼ?」
ほっと息を吐く。僕も右手を差し出す。
「……ええ、こちらこそ申し訳ありません。出過ぎた真似を――ッ!?」
瞬間、息を飲む。
「ウィリアム!?」
「おい!?」
「馬鹿め!!」
背後で、傍観していた三人が息を飲み、驚く声があがる。
「ち、血が……ッ」
ぽたぽたと、硬い石床に赤い液体が落ちる。
歯を食いしばる。体中から熱が湧き出すようだった。
痛い痛い痛い!
でも――
「ヘェ?」
先生との鍛錬ほどじゃない。
「ウィリアム! っ!? 腕が!」
僕を心配して覗き込んだソフィアが状況を理解し、目を見開いた。
対してカットスの口と目は今度こそ本気で笑う。
「オレサマの暗器を初見で防ぐとはヤルナあ」
そう、奴は袖に仕込んでいた短剣で僕の腹部を刺そうとした。
だがその剣は僕の腹ではなく、腕に刺さっていたのだ。
猛烈に痛い、かなり深く刺さり、絶えず血が噴き出している。
だけど、この程度の痛みは日ごろの鍛錬で嫌というほど受けている。
こういうとき、どう対処すればいいのかも。
「そのユウキに免じて許してやろう。精々、ホコレばいい……あ?」
カットスが疑問気な声を出す。
彼は短剣を引き抜こうとし、うまく引き抜けていない。
「どうしました? 刺したんでしょ? 抜いてください」
僕は痛みを押し殺し、無理やり笑顔を作る。
腕にはこれでもかと言わんばかりに力を入れ、筋肉の圧力によって徐々に血は止まり、ナイフを締め付けている。
僕は魔法が使えない。
ソフィアやオスカー、秀英のように元の世界の優れた知識があるわけでもない。
だからこそ、人よりもわずかに頑丈なだけの、未だ半聖人の体を極限までアティリオのもとで鍛え上げてきたのだ。
先生が僕を出来損ないではないといってくれた意味が、ようやくわかった。
まさか、文字通り身をもって知ることになるとは思わなかったけれど。
「テメェ……いい度胸してんじゃネェカ」
一瞬驚いていたカットスだったが、すぐに元の、いや、さらにゆがんだ顔を浮かべだす。
口はあり得ないほどに横に引き裂け、歯が奥歯まで全部見える笑み。目は見開かれ、真っ白な瞳孔と反比例して爛々と血走るのが目に見えてわかった。
カットスは腕に刺さった短剣から手を離し、どこから出したのかわからないほどの早業で新たな黒い短剣を取り出した。
僕もすぐに自分の腕から剣を引き抜き、防御の構えをして――
「うるさいわね。血はもうたくさん」
ぶつかるとなった瞬間に、僕とカットスの短剣が見えない壁に阻まれたかのようにぴたりと止まった。
「こ、これは……?」
見たことのない、いや、見えもしない現象を前に驚きの声を漏らす。
そんな僕とは反対に、カットスは何が起きたのか正確に理解しているようで、自身の背後を振り向き、声を荒げる。
「ヴァレリア! 邪魔スンナ!」
「邪魔はあなたよ。血狂いの切り裂き魔。ここで永久に凍らせてあげましょうか?」
新たな声の主は、わずかに高い落ち着いた女性の声。
目元を隠すような前に長い青髪に魔法使いのようなローブを羽織り、大きな宝石がつけられた長杖を持った物静かな女性。
天上人第二席、『水禍』のヴァレリア。
一度上層の町で見たきれいな人だ。
彼女は一度杖を振ると、僕とカットスの間に会った結界を解く。さすがのカットスも彼女には敵わないのか、舌打ちを一つして、僕を一睨みして自席に座った。
カットスの席は、もっとも上座の席を挟んだヴァレリアの反対側。
天上人第三席、『狂刃』のカットス。
僕は背中に気を付けながら、もっとも下座の席の隣の九席目に座る。
「ウィリアム、平気?」
「平気さ。先生の鍛錬のほうがよっぽどきつい」
小声で心配してくるソフィアに冗談で返す。
こちらを見てくるオスカーにも視線で大丈夫だと伝える。
秀英も少しこちらを見ていたが、僕と目が合いそうになると即座に視線をそらされる。
ヴァレリアがやってきて場が静かになったのを皮切りに、次々と人がやってきた。
「第五席、カベザ、入る」
「第四席、フリウォル、入りまーす」
入ってきたのは対照的な二人。
一人はぼそぼそとしゃべる大柄で禿頭の男。見た目的にはおそらく三十代くらいだが、表情が乏しいために老けて見える。
もっとも、彼らは聖人、見た目なんか当てにならないほど長生きしている。
もう一人は、小柄ながらも軽々とした声の、まだ十代にも見えるほどの若い青年。ネックレスや指輪といった装飾品を身に着け、髪色は珍しい緑っぽい金髪に碧眼。
彼もまた完全な聖人。体中から神聖な気配を漂わせている。
第五席『巌隕』のカベザと第四席『烈嵐』のフリウォル。
僕たちよりもはるかに長くこの国で活躍している天上人たち。
彼らと会うのは、今日が初めてだ。
この国に来て数年だが、こんな風に会議に同席することなんて今まで一度もなかった。
さきほどヴァレリアが忙しい、血はたくさんと言っていたから、何かあったのだろうか。
昨日、遠征から帰ってきたばかりのタイミングだ。きっと上層の外で何かがあったのだろう。
これは、上層の外を知れるチャンスかもしれない。
緊張と期待が入り混じり、どことなく落ち着かないまま、最後の一人が来るのを待つ。
腕から流れる血が軍服の袖を赤く染め切ったとき。
勢いよく、奥の扉が音を立てて豪快に開かれる。
次に聞こえてきたのは――
「ここまでだ。部屋で待っていてくれ」
「ハ~イ、すぐに来てね?」
「待ってるわっ」
男の声と媚びた女の猫撫で声。
燃え盛る赤毛を逆立て、明かに上質だとわかる赤系統の服に身を包んだ男。
「さあ、この国最強の『火星』マルコス様の参上だ。ひれ伏せよ」
次回、「初陣」