52.醜い世界
急に現れた伝説の古竜《大地の白神》。
赤黒く一枚が分厚い竜麟に覆われた巨躯を持ちながら、本能的に魔法を使うことによって空を飛ぶ怪物。
怪力で強力なブレス。
でも一番の脅威はそれじゃない。
一番の脅威は、その肉体にある。
古竜の肉体のほとんどはマナで出来ている。
加護の源の神気とは違う、魔法を発動するための力であるマナ。
そのマナでできた肉体は強靭な魔力を持ち、高い魔法耐性を持つ。
また神気と同じで劣化しないから、人より圧倒的に高い寿命を持っている。
竜を始め、魔物と呼ばれる生物は程度に差はあれど肉体の一部をマナで作っている。だから、魔物は本能的に魔法を使う。
中でも古竜には知恵がある。
考えずとも使えるのに、知恵があるおかげで魔物の中でも古竜の危険度は抜群に高い。
「正直、勝てるかどうか怪しいねぇ……」
外へ飛び出していったウィリアムと古竜を見送ったあたしは、落ち着くために小さく長い息を吐いた。
改めて、部屋に残った相手を見る。
「ほんと、最低ね」
薄手ながら上等な衣服に身を包んだ太った初老の男。
レイヴェステルと名乗ったその男は、聖人になった時期にもよるんだろうけど、初老ってことはかなり長い年月を生きているはず。
おそらく竜と一緒にいることから、このグラノリュース天上国が建国された当時からこの国はこの王の支配下にある。
古竜の強さは未知数で恐らく大陸最強だ。
ならあたしがはやくこの男を倒して、加勢に行ってやらないと危ないね。
といっても……
「神器が三つ……未知数で危険なのは変わりないわね」
こっちもこっちで、簡単には勝たせてくれそうにない。
「ほんっとに、旅の初めで来るには厄介すぎる国だこと!」
先手必勝、あたしは杖を男に向けて、魔法を放とうとした。
「天上人以外の魔法使い?」
レイヴェステルは眉をしかめながらも、既に倒れた女性の首を掴んで盾にした。
「――ちぇっ!」
本当は死んでるんだから撃つべきだった。
でも最後の最後まで苦しんで死んだ彼女をさらに痛めつけたくはなかった。
――この判断が、後の最悪になることも知らずに。
「本当にゲス野郎ね!」
「余を下種だと? ハッ、余ほどこの世界に愛された者は他にいない。神器、そして竜。かつて世界を救った英雄に許されないことなど一つもない」
この男がなにを言っているのかは知らない。
この国がどうやってできたのか、この男が何者なのか、知りたい気持ちは確かにある。
でもそれはまだ先よ。
「恐れたか?」
男は嗤った。
そして、手にした宝玉と女性の遺体を掲げた。
「もっと味わうといい。だが安心したまえ! 世界はこんなにも不思議と希望に満ちているとな!」
――それが最悪の始まりだった。
「刮目せよ! 天上より賜りし戦士の訪れだ!!」
掲げた宝玉が眩く輝き、視界を覆った。
「くっ!」
こらえきれず、手をかざした。
まばゆい光の中、目に飛び込んできたのは――
女性の遺体が肉と骨、血管、神経、臓器と分解されていく光景。
そして――
「うそでしょ!!」
分解された肉体が再び再構成されていく瞬間だった。
光が止んだ時には、一糸まとわぬ完成された綺麗な女性の肉体だった。
女性の目は瞑っていて、見た感じでは異常は見られない。
「ほう? これはまた上玉だ。元が良かったからか?」
出来上がった女性を見て、男は下卑た笑みを浮かべた。
確かに奴の言う通り、現れた女性の姿はさっきの女性と酷似していた。
ウィリアムがステラと呼んだ女性は傷だらけで、正直顔の原型はほとんどわからなかった。
でも今ならわかる。
きっとステラって人はとっても美人だった。
それがあんな風に傷つけられ、穢された。
それだけじゃない。
なんだか、現れた女性はどこかルナマリナに似てた。
それが余計に、あたしの腹の虫を苛立たせる。
「あたしはあいつみたいに、殺意ましましで戦うなんてごめんなんだけど……今だけはホントに思うわ」
――こいつは絶対に殺す。
「堕ちた英雄はもういらない。今はもう戻ってきた英雄を称える番よ!」
杖を握り、ほうきを駆って、あたしは魔法を放った。
「《爆発・四連》!」
レイヴェステルの周囲を囲うように、爆発が立て続けに巻き起こった。
古竜のブレスによって傷んだ王の間は、爆発によって崩落し、男はなすがまま女性から手を離して下に落ちていった。
「おっとっと」
急いでほうきを操って女性の手を取って落下を防ぐ。
意識のない彼女が落ちたら、打ち所が悪いと即死しちゃう。
追撃はやめ、一度女性を安全な場所に寝かせてから――
「女と眠るか? 魔法使い」
悪寒が走り、咄嗟に箒から飛び降りた。
次の瞬間、宙に浮いたほうきを飲み込む光の柱が立ち上がり、一瞬ですべてを無に帰した。
「今のは魔法じゃない、なに?」
光が止んだ後には、まるで城を縦に串刺しにしたかのような丸い大穴。
竜のブレスと光の柱によって王の間があった階層は完全に崩れ、一つ下の階層がむき出しになった。
そこには悠然と、あの男が剣を抜いて立っていた。
「余の盟友は一人にあらず。しかして一人が一騎当千、万夫不当の英雄よ。たかが魔法使い一人で勝てるとでも?」
男の右手には、橙色の光を放つ黄金の剣があった。
対峙しただけで心臓が握られたような圧迫感。
今までの敵の比じゃない。
でも、あたしだってそうだ。
「たかが魔法使い一人? あたしがただの魔法使いだなんて、見る目のないじじいね。あんたんとこの死人たちと一緒にしないでもらえない?」
学ぶことをやめ、考えることを停止した人間を、あたしは生きているとは思わない。
魔法使いとしては特に。
だからあたしは学び続ける、生き続ける。
そのためにあたしは旅に出た。
「魔人であるこのウィルベルさんに、負けなんてありえないんだから!」
杖を振るう。
途端に溢れ出してくるかぼちゃのお人形たち。
「《魔女の悪戯》」
百を超える無数の人形が男に殺到した。
「児戯か? 余興には足りぬぞ?」
男が黄金の剣を振るうと、たちまち光の柱が空間に降り注ぎ、その人形たちを瞬く間に爆発させた。
「あれが神器……」
あの光の柱は、ちょっとやそっとじゃ防げそうにない。
光の柱が多いほど一つ一つの威力は落ちるみたいだけど、それでも綺麗に反比例とまではいかない。十に分かれたとしても、精々三分の二がいいとこって感じかな。
「まともに打ち合うのは難しいかな? それにもう一つの剣もある」
剣である以上、接近戦はこっちが不利。でも打ち合いにしてもあの黄金の神器があるならこっちが有利な遠距離もそう利点はない。
なんにしろ今はひとまずあたしの腕の中にいる女性をどこか安全な場所に置かないといけない。
「《玉響剣・陽炎》」
手加減なしの本気、可愛げの一切ない魔法。
飾り気のない剣が十本、周囲に現れ、男に向かって爆発した。
途端に熱気が溢れ出し、周囲の空気を陽炎のごとく揺らして互いの姿を隠した。
「よし、今のうちに」
あたしは一度城から離れ、外へと飛び出した。
「どこに置けば安全かな? 無人の市街地ならまだ――」
考えて、これならと思った。
上層は今無人、どこかのベッドを借りればと。
でも外に出た瞬間、そんな考えは甘かったのだと思い知った。
「え、うそでしょ?」
外は地獄と化していた――
◆
古竜。
神話に伝わる怪物であり、時には英雄、時には敵として描かれ、人々の心を掴んで離さない神秘に包まれた生物だ。
俺の中にある記憶にも、古竜《大地の白神》に関するものは多くある。
だがその中のどれもが正確とは程遠いものだった。
「クソが!!」
目前に迫る白き炎、手元にある武具では凌げない。
雷魔法で作った磁場で、街にある金属をかき集めて盾にした。盾にしたとたんに、炎は俺の左右に分かれ後方へと流れていくものの、熱は防げず、金属は赤くなって溶解し始める。
やがて炎は止んだ。
そしてすぐさま、俺の上空に影が差す。
【潰れよ】
濁り、ダブって聞こえる声。
咄嗟にその場から飛び退くと、さっきまでいた場所に剣のような鋭い爪が生えた前足が振り下ろさせ、瞬く間に家屋がつぶれていった。
「黙れ。潰れるのはお前だ」
振り下ろされた前足に、マナを纏わせた剣を振るった。
だが、
「チッ!」
剣に纏わせたマナはあっという間にほどけて、前足にぶつかった刀身は小枝のようにあっさりと折れた。
「これじゃだめか!」
鱗の隙間からまた白い炎が噴き出して、距離を取った。
上層の無人となった家の屋上に着地して、竜と向かいあう。
【脆弱、惰弱、薄弱よな。其が国の王すら知らぬ小童よ】
目の前にいる古竜はただただ巨大だった。
鋭い牙、鉄をも切り裂く爪、剣をも通さない鱗の鎧。
ねじくれた禍々しい角に大きな尻尾、縦に開かれた金色の瞳孔。
【我が盟友の命を討ち、弄ぶものには死を】
そして、空を覆い隠すほどの巨大な翼。
竜の翼の陰の中で、折れた剣を捨てて、また新たな剣を空間魔法で取り出した。
「竜が何でここにいる。こんな腐った国に、竜が入る場所なんかない」
【祖が国のことすら知らぬ小童。英雄たちが起こしたこの国を潰すなど、笑止千万】
グルルと唸る口から吹きこぼれる白き炎。
すでに上層の町のほとんどの家屋は潰れ、白い炎がいたるところで炎上していた。
竜が一歩あゆみ、足を踏み下ろすだけで、大地は裂けて炎が上がる。
「この国のことなんか知りたくもない。ただ俺たちを殺そうとしてくるなら、全員殺す」
【矮小な人の子よ。貴様に殺されるほど、我が国は弱くなく、また我もまた弱くない。この世は所詮弱肉強食。弱きは奪われ、淘汰されるのみ】
「竜の価値観なんざ知らねぇな。こっちは人間なんだよ」
竜が口を開け、ブレスを吐いた。
すぐに肉体を雷魔法で強化し、建物の影に入ってやり過ごした。
【この世界に生きる生物として、人間も竜も変わらぬ。この世に正義も悪も存在しない。あるのはただの事実のみ】
「……なに?」
ずしんずしんと竜がこちらへ足を進めるたびに地面が揺れる。
【人は人を殺すことを悪だと定義する。だが竜は互いに殺し合う。強き子孫を残すため。両者とも知恵を持つにもかかわらず。この違いはなにか。人が勝手に定めた『思想』という不純物を『現実』に混ぜ込むからに他ならない】
「何の話だ」
【貴様らも家畜のように弱き生物から奪うであろう。この国も何も変わらぬ。強きオスがメスを抱けるように、弱き者は強き者に命も含めて蹂躙される】
自然の中、食物連鎖の中で頂点に立つ者に下の者は逆らえない。
物や金なんかじゃなく、その命を貪り食われるのだ。
だからこそ――
【この世界に正義も悪も罪も許しも存在しない。あるのはただの事実のみ。ただ強き者が生き残るというたったそれだけの事実のみ】
ぎろりと竜の瞳孔が物陰にいた俺を捕らえた。
「チッ!!」
【故に畏れよ。竜を前に人が成せることなど一つも無しに】
竜の前足が振るわれ、家屋ごと吹き飛ばされた。
「そんな醜い世界!」
【だがそれが現実だ。弱き勇者よ】
剣を盾にし、屋根の上に着地した。
再び竜と対峙する。
すぐに俺は駆け出した。
こんな世界はぶっ潰す。
そのために俺は城へ走った。
次回、「神器の力」




