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12.別れの日



 僕は父を知らない。

 記憶が無いのだから、当然だ。


 自分の家族も、名前の意味も名付けた人も知らない。


 そもそもが『ウィリアム』が本当の名前なのかも。


 だけど、父親がいれば、きっとこんな人なんだろうと思った人はいる。


 それは、



「先生?」



 アティリオ・アーサー。

 僕の先生。

 生き方を、戦い方を、強さとは何かを教えてくれた僕の道しるべ。


 その先生が、死の風が吹く前にフリウォルに切りかかり、魔法を妨害したのだ。

 風は霧散し、僕の元にはそよ風のような暖かな風が吹くだけだった。



「な、なんで先生がここに?」



 つぶやいても、誰も答えはくれない。

 先生はフリウォルとカットスの相手をしていた。


 目を剥いた。


 今まで先生が戦う姿をずっと見てきた。

 だから、勝てないまでも先生のおおよその実力はわかってきたつもりだった。



 でも全然違った。



「クソ! なんでアティリオがここにイル!?」


「天導隊もだと!? あいつらは城に常駐する近衛騎士団のはずだろう!!」



 アティリオ師の登場に、先ほどまであれだけ余裕ぶっていた天上人二人が焦りの表情を浮かべる。


 それもそのはずだ。


 アティリオ師はカットスの無数の短剣の上を、難なく乗り、あまつさえ走っている。

 フリウォルの鉄すら切り裂く鋭い斬撃も簡単に躱し、ときには風に乗って敵を翻弄する。


 宙に舞う短剣をつかみ取り、二人に投げつけたり、時にはひも付きの短剣を投げつけ、三次元的に飛び回ったり、二人の身体をほんのわずかとはいえ縛り上げたりもする。


 僕と戦った時とは、比べ物にならないほどの戦闘技術。


 魔法も使えないはずなのに、その身一つで無数の魔法の短剣を退け、風に乗る先生は、誰よりも頼もしい味方だった。



 ――だけど、そんな先生の戦闘を見ている余裕はない。



「ソフィア、ソフィア!」



 僕の腕の中で、ソフィアが徐々に冷たくなっていく。

 周囲にはいつの間にか火の手が上がり、僕たちとは違う、先生と同じ鎧に身を包んだ騎士たちが軍人たちと戦っていた。


 いつの間にか状況は激変し、ほんのわずかな間、僕の周りに敵はいなくなった。



 絶叫、悲鳴、瓦礫が崩れる音、甲高い金属音が鳴り響く、鼓膜をつんざく喧騒の中でも、



「ウィリアム……」



 彼女の小さな声だけは、はっきりと聞こえた。


 震えを止められない。

 かすれた声で、言葉を紡ぐ。



「あ、あぁ……ダメだ。いやだ、いやだいやだ」



 彼女を抱きしめる掌に伝わる、生暖かい液体。炎よりもなお赤い、ねっとりとした血。

 それはゆっくりと手を伝い、あふれだし、服に染み、赤黒く染めあげる。


 服ですらこらえきれなかった血は地面に落ち、乾き、固まっていく。



「ウィリアム、ごめんね……ここまでみたい」



 腕の中で息も絶え絶えに、大切な人が冷たくなっていく。


 目は焦点を失い、何もない虚空を見つめている。


 何度呼び掛けても、その瞳の先には何もない。


 ――信じたくない。


 僕の心臓まで止まりそうだった。



「ダメじゃない……お願いだ。いかないでっ。オスカーも先生も、みんな待ってる。ソフィアを待ってるんだよ」



 力のないぐったりとした体を抱きしめ、すがりつく。

 かつてあった優しい匂いも、あたたかなぬくもりも感じられない。

 感じるのは、乾燥し、ひび割れ、血に濡れた唇の隙間から漏れる、わずかな空気が震える音。



「約束を……果たさないと。ウィリアム、ごめんね」



 彼女の瞳から、透明な雫が落ちる。



「約束なんて、いらないよ。ただソフィアがいてくれれば、それで」


「ごめん……なさい」



 首を振る。

 彼女が謝らなければいけないことなんて、何一つない。


 最後の時に、なんで彼女が謝らないといけないんだ?


 謝らないといけないのは僕の方なのに。



「ソフィア……僕は、ぼくは君と……家族になりたかった。ずっと、一緒にいたかった」



 全部終わらせて、胸を張って言いたかったのに。



「僕は、約束を……守れなかった。守るって言ったのに……三人で帰るって言ったのに」



 こんなにも、胸が痛い。


 それでも彼女は、最後に痛いくらいにきれいな笑顔を浮かべた。



「嬉しい……ありがとう、ウィリアム……っ。わたしも、約束を、果たす……。どうか、変わらないでね」



 血に染まり、しかして血の気の失せた震える手が、宙をさまよった。



「ソフィア……」



 ぬくもりを感じたくてその手を取り、額に押し抱いたそのときに、



「――あああああ!!?」



 すべてを思い出した。


 脳からたくさんの記憶の奔流が湧きあがる。

 いくつもの情景がコマ送りのように断続的に駆け巡る。



 ――これは、元の世界での記憶?


 知らない、いや、知ってる人に囲まれて、穏やかに笑ってる光景。

 この世界とは、似ても似つかない平和な世界。


 急激な情報量に、脳全体が焼き切れそうなほどに熱い。



 ――湧きあがった記憶は、元の世界の物だけじゃない。



『ねぇウィリアム、これなんていいと思わない?』



 誰かから見た、僕が見える。



『あなたは誰よりも優しくて勇気のある人よ』



 照れくさくて熱い、僕じゃない感情が胸の内を埋め尽くす。



『私と、家族になろう?』



 ――これは、ソフィアの記憶。



「あ、ああ、ああああああああああああああああああああ!!!」



 こんなもの、耐えられない!!


 こんな激烈な感情と記憶を刻まれる。

 彼女がこれまでどんな想いだったのか、どれだけの想いでこの記憶の魔法を作ってくれたのか。



 全部わかった、全部理解した!


 だからこそ!


 彼女を失うことに、耐えられない!



「ソフィア!! いやだいやだいやだ!! いやだよ!!」



 息ができない!

 叫んでも叫んでも、胸の内は一向に吐き出せない!



 なぜか、涙だけが出ない。



「ああ、あ……あぁ」



 腕の中の彼女は、もうなにも言ってくれない。

 その目は虚ろに、顔は固まる。


 体は冷たく、力もない。


 やがて周囲の音だけが、やたらはっきりと聞こえるようになった。



「アティリオに弟子がいるなんて聞いてない!!」


「あの出来損ない! 頑丈ダト思ったが、ヤツの弟子か!」



 天上人相手に対等に戦う先生は、盾で短剣の嵐を防ぎ、剣を振るう。



「ウィリアムは、出来損ないではない。誰よりも強い、私の自慢の子だ」



 今まで聞いたことない怒りを滲ませた先生の声。


 僕が戦場の人角で呆然とうなだれていると、



「ウィリアム! こっちにこい!!」



 突如肩を掴まれ、勢いそのままに担がれた。

 腕の中から、ソフィアが落ちる。



「ああ! ソフィア! ソフィア!」

「落ち着け! ソフィアもオスカーも連れていく! こんなところで置いていきはしない!」



 僕を担ぐ人は力強い言葉で言った。

 歯を食いしばり、叫ぶのをやめ、耐え忍ぶ。


 もう、何が何だかわからない。


 彼らはなんだ? 何が目的だ?


 僕はなおも痛み続ける頭で、ぐるぐると考え続けていた。




 ◆




 担がれたまま、馬車に放り込まれ、馬のいななきとともに揺られだす。

 猛烈な勢いで走り出した馬車はがたがたと揺れ、傷だらけの身体は打たれて全身に痛みが走る。


 戦闘から離れたことで、徐々に鮮明になってきた痛みを歯を食いしばって耐える。


 やがて、馬車は止まる。

 体感的には短かったが、結構な時間走り続けていたようだ。

 馬がかなりバテていた。



「降りろウィリアム! 急げ!」



 僕を担いだ赤髪の精悍な男性と、もう一人青髪を縛った女性の騎士がかなり慌てた様子で僕の肩に手を回し、担いで走り出す。

 僕はほとんど地に足をつけずに荷物のように運ばれているだけだ。


 馬車から降りて見えた景色は、一見してなんの変哲もない小さな村だ。人口は百人もいないような、とても小さな村。


 その中で横に長い木造の馬小屋の中に、僕は放り込まれた。

 幸いにして、藁の上に降ろされたので、痛みはそうでもない。



「あなたたちは、一体?」



 顔をしかめながら、ようやく聞けた。

 僕を連れてきた二人は、ひどく険しい顔をしながら、応えてくれた。



「私たちは天導隊。知っているか?」



 首を横に振る。



「天導隊は、まだ若い天上人を導く者たちが所属する部隊だ。天上人を育てるのだから、構成される人物はこの国でも最強の騎士たち」


「導く……。ということは先生たち!?」



 アティリオ先生がいた、ということは、もしかしてこの人たちは――。



「お二人はオスカーとソフィアの……」


「…………」


「…………」



 二人はうつむき、沈黙した。

 その沈黙が、何よりも雄弁に事実を物語っていた。



「この国は……どうなっているんですか? なんで、こんなことに」



 おかしいことだらけだ。

 なんでこんな目に遭わなければいけないんだ?


 ただ、普通に生きてただけなのに。ただ、人を守るために強くなろうとしただけなのに。


 この問いに、男性の方が答えた。



「この国は、歪んでいる」



 端的に言い切った。



「この国の在り方も、天上人という存在、その役割も、すべてが狂っている。たった数人の天上人のために、すべてが存在するような国だ」


「上層の人のほとんどは中層以下に行ったことがない。言ったことがある兵士たちも天上人を恐れて反抗しない。死を恐れて天上人を迎合する彼らは、やがて自らの価値観すらも歪め、愉悦的に同じ人間であるはずの中層の民を平気で殺めるようになった」



 反吐が出る話だ。

 結果、どいつもこいつも自分可愛さで平気で人を傷つけ殺す。



「……天導隊の人たちは、ずっと見逃していたんですか」



 二人は下唇を噛む。


「見過ごすしかなかった。……でなければ、実力はあれど世論さえも味方につけた天上人を相手にはできない。下手を打てば、私たちは全滅する。それでは、何もかもがおしまいだ。やがて天導隊ですら、他の兵士たちと同じように、奴らに迎合してしまうだろう」


「じゃあ、なんで今回は助けてくれたんですか」


「それはお前がいるからだ。ウィリアム」


「?」



 眉根を寄せる。


 僕がいるから?


 ソフィアは? オスカーは?

 あの二人はどうでもいいのか?



「真っ向から天上人とぶつかるわけにはいかない。だが私たちは天導隊、まだ若き天上人を導くことができる。上級の天上人にこの世界にきたばかりの下級の天上人は普通の方法では勝てないが、それを可能にする方法が一つだけあった」



 赤髪の男性が淡々と語る。

 もう一人、青髪の女性騎士が視線を合わせるように座り、肩に手を置いた。



「それがアティリオ・アーサーの鍛錬に耐えられるウィリアム、あなたよ」



 女性が微笑んだ。

 その顔は、どこかソフィアに似ている気がした。


「たった数年魔法の修練を積んだだけでは、奴らには勝てない。それに奴らは全員血狂いの享楽主義者だ。後先なんて考えずに勝手な行動をする。その行動を予測、あるいは阻止する隙を生み出すために、アティリオの弟子、そしてエドガルドの弟子がいる今が絶好の機会だったのだ」


「エドガルド?」


 聞きなれない名前。

 オスカーの師であろう赤髪の男性騎士が言った。



「エドガルドはアティリオと並ぶ天導隊のトップだ。だが彼とは違い、天上人と天導隊の対立の外側にいる。いわば親天上人派とでもいうべき男だ」


「そんな人がなぜ――」


「思惑あってのことよ」



 女性騎士が言葉を紡ぐ。



「エドガルドは天上人に近づいて、彼らから伝え聞いた情報を私たちに流してくれている。いわばスパイ。だけど、それだけじゃ足りないの。彼の弟子の存在も必要不可欠だった」


「エドガルドの弟子? ……まさか」



 また怒りがわいてくる。

 思い当たる人間は一人しかいなかった。



「まさか秀英が!?」



 ――あの裏切り者が!


 腰を浮かしかける。



「落ち着きなさいっ」



 女性騎士が肩を押さえつけてくる。

 睨み返す。

 だけれど彼女は一切ひるむことなく、ぴしゃりと遮った。



「彼は裏切ってない。すべて思惑通りなの」


「思惑通り? ソフィアもオスカーも死んだ。これが思惑通り? あなたたちは、あの二人が大事じゃなかったのか! なのに、なんで!?」


「私たちとて死なせる気など毛頭なかった!!」



 男性が肩を震わし怒鳴った。

 だけどすぐに、声は沈む。



「すべては私たちが至らなかったせいだ……。強秀英(ジャンシューエイ)を上級天上人の懐に潜り込ませると同時に、アティリオの弟子を作ることで私たちが介入するための口実を無理やり作った。選別が始まる前に兆候を捕らえられると思っていたが、想像以上に奴らの動きは勝手が過ぎた」


「強秀英は今もまだ危険な立場にある。スパイだと悟られないように、君たちとは距離を取り、すぐに上級の連中に迎合した。席次争いをさせなかったのも、ウィリアムと秀英がアティリオとエドガルドの弟子だと悟られないようにするため」


 二人が教えてくれる。

 この国の内情を、この惨劇の原因を。


 だけど、わからない。

 なんでこんなことになってるんだ。この国がここまで狂ったのは、なぜだ。


 二人に聞こうと口を開こうとしたとき、



「ウィリアム!!」



 馬小屋の扉が勢いよく開き、怒鳴り声のような大声が響き渡った。

 見れば、少しの傷を負っただけのアティリオ先生がいた。


 先生は肩を揺らしながら、力の入った足取りで一直線に向かってきた。



「ウィリアム! 無事か!?」


「……無事といっていいのかは、わからないですね」



 自嘲する。

 体だってぼろぼろ、心はもう立てないほど。

 これを無事と言えるのかはわからない。


 もう、戦える気がしない。


 だけど先生は気にすることなく、矢継ぎ早に指示を出す。



「撒いては来たが、向こうにはカットスがいる。この家もすぐにばれる」


「ということは、奴らが来ると?」


「ああ」



 三人の会話を聞いて、ぴくりと心が動く。


 あいつらが来る?

 今の自分に、あいつらを殺せるか?

 先生たちがいるなら、不可能じゃないかもしれない。


 だけど、戦える気がしない。

 ソフィアとオスカーがいない。何のために戦うのか、わからなくなってしまった。



「ウィリアム」


「…………」


「ウィリアム!!」



 先生に胸倉をつかまれる。


 先生の目は、いつになく険しく力強かった。

 この人がいれば、何とかなるかもしれない。そう思えた。



 ……僕なんていらないに違いない。



「ウィリアム! すぐに馬車に乗れ! 連中がここに来る前に逃げるんだ!」


「……逃げるってどこに?」


「なに?」



 胸を掴む先生の手を掴む。



「どこに逃げるっていうんだ! 僕は、いや、『俺』はこの世界の人間じゃない! ソフィアもオスカーもいない! 俺の居場所はどこにもない! ソフィアから記憶をもらって取り戻しても、今更もう全部遅いんだ!」

「っ!」



 この人に言ったって仕方ない。

 わかってる。

 だけど、一度吐き出した言葉は止められなかった。



「あんなに死に物狂いで鍛錬しても、結局奴らにかなわない! 魔法がない、出来損ないの俺には何もできない。ずっと足を引っ張り続けるだけ!」


「ウィリアム!!」



 視界がぶれた。

 口の中に血の味が広がった。


 殴られたのだ。


 理解する前に顔が固い地面に叩きつけられる。



「がはっ」


「お前はお前のために命を懸けたあの二人の人生を無駄にする気か。今のお前がするべきことは、自棄になることでも死にに行くことでもない」



 上から降ってくる、いつもの鍛錬のような先生の厳しい声。

 こんな風にいつもぶたれて、血を飲んで、そのたびに俺は立ち上がっていた。


 だけどもう、立ち上がれる気がしなかった。



「立て」


「……」


「立て!」



 腕を掴まれ、強引に立たされる。

 傷に響き、思わず顔をしかめる。


 それでも叫ぶ。



「今更! 何をどうしろっていうんですか!? 俺だけ逃げ延びたところで何もできやしない! 一人おめおめ逃げ暮らすくらいなら、ここでいっそ!」


「お前は死んではいけない! お前は私の希望だ! 生き残るべきはお前一人だ!」


「何を――!?」



 言葉を紡ぐこともできずに、先生が強引に僕の手を掴み、力任せに自身の頭に押し当てる。



「ウィリアム、ソフィアから記憶を渡されたといったな」



 先生の言動の意味がわからなかった。


 確かにソフィアからもらった記憶の中には、記憶に関する魔法についての記憶もあった。

 元の世界の記憶を取り戻した今、俺は魔法が使える。

 ソフィアの記憶をもらった今、記憶の魔法を使える。



  ……まさか!



「俺の記憶を奪え」


「――なっ!?」



 信じられなかった。

 記憶を奪う? 意味を分かっていっているのか。


 それはつまり――



「ソフィアの記憶の魔法は完全じゃない! もしやれば、あなたは――」


「やるしかないんだ! もう時間がない! カットスどころじゃない、強引にここまで来たことでマルコス達までやってくる! そうなれば、逃げることなどできない!」


「でも、それじゃああなたたちは――!」


 言い争う途中。

 地面が揺れ、遠くから不快な声が轟いた。



「イッヒッヒッヒッヒヒヒ!! ここか!! 逃げ腰の天導隊ハぁ!」


「僕らに盾突いて逃げられるとでも思ってるのかい!?」



 近くにカットスとフリウォルがいた。

 それだけじゃない。



「まさかこんな大胆なことするとは思わなかったな。お粗末この上ない」



 一度だけ聞いた、あの男の声。



「マルコス……!」



 先生がひどく顔にしわを寄せ、つぶやいた。


 マルコスがいる。

 ありえない。奴は城にいたはずだ。

 いくらなんでも、カットスたちがここに来るのと同時に城からやってくるなんてどんな手を使っているんだ。


 頭の中がぐちゃぐちゃで混乱する。



「ウィリアム!」



 だけどすぐに先生の怒声で我に返る。



「やるんだ!」


「――っ」



 先生は自身の頭に俺の手を押し当てる。強く握られ過ぎて、手が痛い。折れそうだ。


 だけど、先生に魔法を使いたくない。


 だって、だって――。



「やるんだ!!!」



 先生の決死の声に、



 「あ……ああああああああ!!!!」



 耐えきれずに魔法を使う。

 手のひらが淡く光り、次々といろいろな情報が脳裏に駆け巡る。


 またこれだ。


 他人の記憶が自分の脳に刻まれる。

 知らない光景、知らない感情、知らない技。

 脳の形を無理やりに変えられる。

 数百年生きた先生の記憶が濁流のように流れ込んでくる。意識を失いそうだ。自分が何者かわからなくなりそうだ。


 だけど、そんなことよりも――



「う、ぐああ……」


「アティリオ!」


 僕の手の中で、苦しそうな顔をする先生と、それを心配する騎士たち。


 手の中で、先生から記憶が無くなっていく。

 先生の脳が傷ついていく。


 ――記憶の魔法は安全じゃない。



「やだ……やだ……やだ…………」



 強烈な感情を伴う記憶がなだれ込む。それはつまり、それだけ大事な記憶が抜けているということ。


 先生の記憶は多すぎて、大事なものが何かわかりにくかった。


 だけど、大量の記憶の中でもひときわ輝く思い出があった。



 ――それは、僕がいる記憶。



「『ウィリアム』……、その名は、息子の? ……父さん?」



 俺は? 僕は? 私は?

 誰だ? この記憶の中にいるのは、誰だ。


 混乱の極致に陥る間にも、魔法は先生から記憶を奪い続ける。

 やがて入ってくる情報が何もなくなった時に。



「……っあ」

 

 先生が膝から崩れ落ちた。

 俺も耐えきれず、うつぶせに重なるように倒れる。



「……くっ、すぐに彼を運ぶぞ! すぐに逃がすんだ!」


「他の騎士たちに呼びかける! 彼を逃がせば、私たちの勝ちだ!」



 ソフィアとオスカーの先生たちの声が聞こえる。

 身体が浮き上がる。

 担がれたのだ。ぐちゃぐちゃの頭の中で、漠然と感じた。


 そのままここにやってきた時とは違う馬車に放り込まれる。



「いい子だ。いいか、ただひたすら走るんだ。もうここには帰ってくるんじゃないぞ?」



 馬車の前の方で声が聞こえる。

 馬のいななきも。


 そして、



「行くんだ!」



 力強い掛け声とともに馬車が急に動き出す。


 急な動きで、俺は馬車の中を転がった。


 馬車が出た直後、背後から爆音が鳴り響く。


 振り向くことはできなかった。






次回、「堕ちる人」

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