100 vs 2
「正直私はね」
「あ?」
月明かりの下、蓮とリズが群衆を待ち受ける。
そうしているときに、リズがぽろりとこぼした。
「エルド家の奴らと、遅かれ早かれこうなると思ってた。圧政も重税も、今に始まったことじゃないから。ただ、たまたまアンタが引き金だっただけ」
「…………」
「ごめんね、さっきは言いすぎたわ。どれもこれも、アンタのせいじゃない。バニラを助けてくれてありがとう」
「調子狂うな、オイ。急にしおらしくなンなよ」
「別に。腐っても命預ける相手だからね。遺恨は消しておきたいの」
リズのその言葉に、蓮は目を伏せ、消え入るような声で「そうか」と夜の闇でつぶやいた。
リズは手慣れた様子で柔軟を行っている。
その所作は、『戦える』というリズの言葉に嘘偽りがないことを証明していた。
そのアメジストのように輝く瞳は、外敵を迎え撃つ意思を持っていた。
「私も聞いていい?」
「あ?」
「逃げないの?」
一瞬の沈黙。
蓮は遠くを見やる。
自分の世界ではろくに見えなかった星が、眩しいくらいに綺麗に見える。
「この村は、アンタにとっては無関係でしょ。一宿一飯で命かける感覚が、私には分からないわ」
「……そンなンで命賭けねェよ」
「じゃあ、なんで?またバニラを守るため?客観的に見れば、そこまでするほど、アンタがバニラに借りがあるとは思えない」
「俺を心配してくれて嬉しかったからだ」
は?とリズが素っ頓狂な声を出す。
蓮がそちらを見やると、その声に相応しい顔をしたリズがこちらを見ていた。
「あー…やっぱ俺こっちの世界きてなにかおかしくなったな。ガラにもねェ、穴があったら入りてェ」
「そ……そんなことで?そんなことでアンタ、あいつらとやり合うつもりなの?」
「……そンなこと……か」
目を細め、魔剤を握る。
バニラから受け取った可能性。
きちんと効く保証はないが、不思議と蓮は、これに頼れば、なんとかなるという確信があった。
「……でもな、それが……そンなことが……死ぬほど嬉しいと思える人生もあるんだよ」
敵の群衆が蓮とリズを捉える。
もう接敵は避けられない。
「それと、もう一つの理由がある」
「?」
「許せねェのさ」
「何がよ?」
「……あっちの世界も、こっちの世界でも、みんなが必死に生きてンのを、ヘラヘラ笑って踏み潰すやつがいる」
「気に入らねえ……。いや、気に食わなかったンだよ」
◆
「昼以来だな、ボンボン」
まずは一発、蓮が軽口を叩く。
その目線の先には、馬に乗ったフリット・エルドと、立ち尽くす百人の用心棒。
フリットの頬には、手当の跡が残っており、顔には憎悪の色があった。
互いの距離は20m以上あるが、ここまで歯ぎしりの音が聞こえてきそうだ。
「何しに来たんだ?」
「───決まっているだろう。我が父の命により、不法入国者の貴様と、それを庇う愚かな村人たちを逮捕しに来た」
悔しさを抑えつけ、顔を歪めたフリットがつぶやくように宣告する。
「テメェの親父?……本当にテメェの親父がそう言ったのか?村一個の住人全員捕まえるって、領主的にはデメリットの方が大きいだろ」
「なっ……!?」
「親父じゃねェだろ。正直に言えよ、『僕がムカつくからお前をボコボコにしに来ました』ってよォ」
図星であったのか、フリットの顔がみるみる紅潮する。
夜風になびく金髪すら怒りで逆だっているように見える。
「テメェは親父の操り人形なのか?親父がカラスは白いと言ったら、テメェも白いって言うのか?テメェの意思はねぇのかよ」
「いい加減にその臭い口を閉じろッ!!どこまで私達を愚弄するつもりだ!?」
「違ェよ。人の言うことを聞くだけが、尊敬を伝える形じゃねェっつってんだよ」
ちょっと、とリズが蓮に耳打ちする。
「何の話してんのよ、蓮」
「ああ……悪ィ、今話すようなことじゃねェな……」
眠気に襲われたように閉じかけるまぶた。
細目の先に、松明が揺れる。
光が踊る。
「俺は不法入国者じゃありませンっつったところで聞かねェだろ?」
「当然だ。お前も、村の連中も今日が命日となるだろう」
敵意を隠そうともしないフリット。
その体は怒りに震えていた。
……どうしてそこまで怒るのか。
どうしてこのフリットは、目に映る全員敵だと言えるほど怒れるのか。
蓮は素直に疑問だった。
しかし、最早衝突は避けられない。
半分は分かっていたことだが、蓮としてはやはり戦いは避けたかった。
「───家に帰って紅茶でも飲ンでろよ。一晩寝れば、大抵の怒りは忘れられるぜ。自分自身のことだってなァ」
何気ない一言だった。
しかし、結果的にそれが火蓋を切って落とす言葉だった。
フリットの怒りの混じった号令が飛ぶ。
弾けたような笑顔を浮かべた用心棒たちが、地面を鳴らしながら、一斉に蓮とリズのもとへ突進してくる。
威圧感に気圧され、リズの体が強ばる。
キュポン、という空気の抜ける音。
魔剤に栓をしていたコルクを、蓮が引き抜いた音だった。
「リズ。俺の後ろにいろ」
百人。
絶対に勝てない。
結論から言うと、蓮がいくら強かろうと、一人の人間にできることなど知れている。
しかし、リズの言動から、この『魔剤』がまともに機能するなら、この戦況をひっくり返せるかもしれないと蓮は踏んでいた。
分の悪い賭けだった。
けれど、これに賭けることに、蓮は不思議と躊躇がなかった。
バニラが作ったから?
いや、バニラが、というより───彼女の、彼女やリズ、この村の在り方が。
何もかもがくそったれな世界に希望があると信じたかった蓮の心を、救ってくれたからか。
彼女がくれた得体の知れない液体を口につける。
喉を走る清涼感。
体にエンジンがついたみたいに、力が漲る。
瞬間、蓮のナイフのような鋭い瞳から、バチッと音を立てて、閃光が走った。
「─────!」
自分の感覚が『本物』であることに確信を得た瞬間、蓮は笑った。
悪人面に似合うチーズを割いたような笑み。
白く鋭い歯が覗く。
地面を蹴り、土煙とともに、赤星蓮は群衆の中に突っ込んだ。




