魔剤
月明かりが照らす村。
その村の人々が集会をする際に用いられる広場。
そこにある木製のベンチに、風呂上がりの蓮とバニラが並んで座っている。
「これが魔剤です」
そう言って、バニラは透明の容器に入った液体を蓮に見せてくる。
液体はいわゆるメロンソーダのような色で、シュワシュワと泡立っている。
おそらく炭酸のようなものが入っている。
これだけでは正真正銘蓮の知るメロンソーダそのものだが、その炭酸に紛れて、キラキラと輝く光のようなものが漂う。
光は煌々と、容器を突き抜け、また受けた月光を反射している。
その神秘的な様からは、フリットが魔法を行使した際に漏れ出した光に似た不可思議な力を感じる。
「……と、言っても、私が独学で作った次作の魔剤なので……きちんとした魔剤師の方が作ったものみたいに、ちゃんと効力があるかどうかはわからないんですけど……」
「これを飲めば、俺もあのボンボンみたいに魔法が使えるのか?」
「いえ、これはすべての魔剤の基本中の基本になる……身体強化の魔剤なので、これじゃ魔法は使えないです」
「身体強化?」
興味を持った蓮は身を乗り出す。
「はい!魔道士は体に魔力を帯びることで、外部からの衝撃を弱めたり、自分の運動能力を高めたりできるんです。それと同じ力を、使用者に与えるのがこの魔剤です!」
「あのフリットとかいう奴もそうだったのか?」
「うーん……分からないです。魔剤の作り方は勉強してますけど、私も魔道士ではないので……」
もしフリットが身体強化が出来る魔道士なら、今の蓮にとっては好都合だ。
自分にはまだ伸びしろがあることが判明した上で、この世界で生き抜くのに必要な強さのハードルが下がるからだ。
今の蓮には、どうしてもこの世界を生き抜く力が必要なのだ。
「リズはああ言ってたが、飲んでみてェな、それ。実際どうなるのかってのも気になるし、事前に身体強化状態ってのを体験してみてェ」
「ダメです!リーちゃんに怒られちゃいます!……あ、そ、そうだ!今日はリーちゃんがごめんなさい!普段はあんな悪そうな言葉使わないのに……」
「ああ、気にしてねェよ。それより、いいヤツだな、アイツ」
バニラが想定している蓮の反応とはまったく違うものが返ってきたので、バニラは少し困惑する。
しかしすぐに「はい!自慢の友達です!」と満面の笑みで肯定した。
「大事にしろよ。友達のために怒れる奴は、この世にンな多くねェ。多分な」
「……少し気になってたんですけど」
先程とは打って変わって、少し神妙な雰囲気を纏うバニラ。
月明かりがバニラの青に近いエメラルドの瞳を輝かせる。
「蓮さんは……前の世界で、何があったんですか」
「その話、信じるかよ、フツー」
「言ったでしょう?私はそういう話、何でも信じるタイプなんです!」
「………」
……話したくないわけではない。
ただ、こんな少女に、ましてや平和の象徴みたいな生活を送ってきたバニラに、聞かせるような話ではない。
そう思った。
「……ごめんなさい。今日会ったばかりの私に話すことじゃないですよね」
「別にお前に聞かれたくない訳じゃねえ。ただ、楽しくない話なだけだ」
「……蓮さん、たまにすごく辛そうな顔をするから……私に、話したら、少し楽に、なるかな、って……」
「………」
「お前はすぐに顔に出るからなあ」
懐かしい声が聞こえる。
もう二度と聞けない声が、今の自分をからかうように響く。
過去の思い出。
失い、思い出になってしまったもの。
もう、取り戻せない。
(……いや。それを覆すために、俺はこの世界に来たンだろうが)
「バニラ」
「……はい」
バニラの声からは、沈痛の色が滲んでいた。
そんな彼女から、後悔も嘆きも必要ないと伝えるように、蓮は不器用に笑いかける。
「お前に会えて良かったよ」
世界は捨てたもんじゃない───。
そう思えたから。
そう続けて伝えようとしたが、そんな重い言葉。
そんなものを、バニラに背負わせる必要はない。
そう思い、蓮は口を閉じた。
寂しさの拭えない蓮の笑みを、月光が照らす。
それに応えるバニラの表情は、まるで蓮の抱えている得体の知れない痛みを、自分も感じているかのような憂いの色を帯びていた。
「何してんのよ、あんたら。湯冷めするわよ」
不意に二人に声を投げかけたのは、松明を持ったリズだった。
バニラに似た薄手の衣服を来ているが、バニラと違ってパンツスタイルだ。
「リーちゃん!」
「リズか」
「何気安く名前呼んでるのよ、アンタ」
「………」
「え、えーっと……そうですね、リーちゃんの言う通りです!!帰りましょう、蓮さん!」
バニラは立ち上がって体を一回転させ、上機嫌にリズの横へと走る。
その手にある魔剤が月明かりを反射させる。
「……ああ」
バニラに誘われるように、蓮も重い腰を上げる。
明日はどう動くか、と考えを巡らせながら、三人で帰路につこうとした矢先。
赤星蓮は、『敵意』を捉える。
「!!」
『前』の───自分の世界で、何度も感じた。
ヘドロに沈むような不快感と、ナイフのような鋭さを包含する独特の意識。
それが複数、しかも大量に、自分、否、この村へ向けられている。
バニラは何も気づいていないが、どうやらリズも似たものを感じたらしく、あたりをキョロキョロと見回す。
「リズ!その松明貸せ!」
「えっ!?」
強引にリズから松明を奪った蓮は、それを手に、村で一番高い丘へ登る。
来た森とはまた違う方向。
木々の少ない平原のような景色が広がる。
その先から、剣やら鈍器やらで武装した群衆がこちらに悠然と向かってくる。
後からやってきたバニラとリズも、その光景を目の当たりにして戦慄する。
「嘘……」
「そんな……!」
猛る獅子のように、蓮の目つきが鋭く、深く変貌する。