普遍的脅威
ぴん、とあたりの空気が張り詰める。
フリットは思わずごくり、と唾を飲み込む。
その矢先だった。
一段と強い風が吹き、あたりの葉が一斉に擦れ合う。
ざあっ、という音があたりを彩った瞬間、護衛の一人が警棒を振り下ろしながら蓮に向かって突進する。
振り下ろされた警棒を、蓮は少し身を捩ってかわす。
そのまま警棒を両腕で絡めとり、体を回転させながら警棒の持ち主に接近。
不意に距離を詰められた男は身じろぎする。
蓮は回転の勢いをそのままに、右足を振り上げる。
鋭い蹴りは男の顎に命中。
男は一回転して、ゴン、と。
あっという間に彼は地面を舐める。
「っ!?」
フリットの表情に焦りが浮かぶ。
倒れ伏した男はぴくりとも動かない。
護衛から警棒を奪った蓮。
まるで元々の持ち主であるかのように、身の丈以上の警棒を慣れたように握る。
スナップをきかせ、風を切る音とともに警棒を手中で回転させ、男たちに向かって構えた。
一瞬の静寂。
フリットや護衛たちが、蓮をただ者ではないと認識した瞬間だった。
「もう一度だけ言う。バニラから離れろ、ボンボン」
「ふっ……ざけるなっ!!これ以上父上を愚弄するな!!全員でかかれ!たかが一人だ!!」
「俺はお前の親父には言及してねえンだがな」
用心棒たちが蓮を囲む。
その数は六。
じりじりと円が迫るように、蓮と用心棒たちの距離は縮んでいく。
「…………。」
そして、ある距離を越えた刹那───。
堰を切ったように、警棒を携えた男たちがなだれ込む。
空気を引き裂くような音を立て、蓮が警棒を回転させる。
脅威を感じ、動きを止める護衛。
回転させた警棒の勢いを殺さないまま、蓮は見えないはずの背後の護衛の足を払う。
「うわ!」
不意を突かれ転ぶ男。
そこが蓮にとっては、包囲網の『穴』だった。
蓮は後退し、倒れた男を踏みつけ、蓮は他の護衛たちと距離を保ちながら警棒を振り回す。
警棒が風を切る音は、まるで威嚇する獅子の咆哮のように森を駆け巡る。
蓮に勢いよく接近し、警棒を振り下ろそうとする二人の男。
しかし、蓮からすれば、その動きはあまりに緩慢で不用意であった。
射程圏内に自分から入ってきた二人を、蓮は右、左と薙ぐ。
勢いを逆に利用され、彼らもは盛大に吹き飛ばされる。
右に吹き飛ばされたものは丘を転がり。
左に吹き飛ばされたものは背中を木の枝に強打し、そのまま顔面から地面に倒れる。
ようやく最初に足を払われた男も立ち上がるが、ついでと言わんばかりにその頭を蓮に踏み潰され意識を手放した。
まるでアクション映画のように、流麗に、軽やかに。
三人の暴漢を処理した蓮。
本当に映画なら、このまま次々と他の護衛が襲いかかるシーンかも知れないが。
格の違いを見せつけられ、残った三人は警棒を構えたまま身震いしていた。
「あと三人」
「何をしている、たかが一人相手だぞ!いけ、お前たち!なんのために金を払っていると思っているんだ!!」
喚くようなフリットの号令に、残った三人も、なかばやけくそなのか、雄叫びを上げながら突っ込んでくる。
そしてそれは、蛮勇に終わる。
三人のうち、二人は、自由自在に操られた警棒の餌食になった。
残りの一人は、蓮の線の細い体から出てくるとは思えない、鋭い後ろ回し蹴りにより沈黙した。
「ふー……」
護衛全員の戦闘不能を確認し、蓮は最後に警棒をフリットへ向ける。
フリットは鼻息を荒くして、精一杯に蓮を睨む。
プライドが傷ついたのか、拳は握られたまま震えている。
その後ろでは、バニラが体を丸めて震えていた。
「終わりだ。うちに帰れ、金髪」
「っ……!」
こちらまで聞こえてきそうな歯ぎしりをして。
とうとう、フリットは自らの腰に据えていた剣を引き抜いた。
「侮るなよ!!不法入国者め!!ここからは決闘だ!!エルド家の名に誓い、貴様を討つ!!」
どうやらフリットは、ここまでの惨状を見せつけられてなお退くつもりはないようだ。
「へぇ……」
思わず笑みが溢れる。
「何を笑っている!!」
「いや……こんな状況になっても、バニラを人質に取ろうとはしねぇンだなって思ってよ。根性あるじゃねェか、見直したぜ」
「チィ、言わせておけば……!ならば見せてやろう、魔力をその身に宿せし、魔道士の力を!!」
「あ……?」
聞き慣れない単語に思考が途切れる。
『魔道士』?
そんな言葉は小説や漫画の中か、薬でおかしくなった奴の口からしか聞いたことがない。
訝しげな表情をする蓮に、不意に声が届く。
「蓮さん!!逃げて!!フリット公は『魔道士』です!!」
バニラは縛られたままなんとか目隠しを外していた。
叫び声は彼女のもの。
その声は未だ恐怖に掠れていた。
それを押し殺してでも、蓮に伝えねばと。
バニラは喉を裂いて叫んだ。
「もう……遅いッ!!」
瞬間、太陽の光に逆らうように、フリットの剣が輝きを見せる。
ボウッ!と大きな音とともに、その剣に炎が宿る。
「……これが『魔法』ってやつか」
なにやら物知り顔で、しかし興味深そうに、蓮は静かにフリットの動きを観察する。
炎はまるで意思を持つかのように、剣に纏い、猛り、唸る。
「大したやつだ、この魔法を見て退かないか。ハハッ……犯罪者のくせに、キモが据わっている」
あくまでも上から目線で語るフリット。
しかし、その額には冷や汗。
「……『ここ』で長く世話になるつもりなんだ、撃ってこいよ、ボンボン」
蓮は腰を低く、さらに攻撃的な型に構える。
正面から叩き潰すと宣言するかの如く。
フリットも腹を据える。
炎を宿した剣を、振り上げるために深く構える。
「───『炎閃』ッ!!」
目を見開き、フリットが渾身の一撃を放つ。
轟!と、振り上げられた剣から、刃の形をした炎が射出される。
飛び道具と化した炎は、巨大な手裏剣のように、熱を持ってこちらに向かってきた。
「!!」
炎は唸り、形を崩さない。
高速回転したまま飛んでくる。
一つ踏み込み、全身の力を警棒に無駄なく伝える。
────この一撃でこの『魔法』を打ち破れなければ、きっと俺に、この『世界』での先はない。
蓮はそう思った。
深く息を吸い、吐き────空気を置き去りに、警棒が唸る。
刃状の炎と、何の変哲もない警棒がぶつかり合う。
耳をつんざくような破裂音と共に───軍配は上がった。
瞬く間に、フリットに接近。
『敗北』の二文字がフリットの思考を侵す。
炎の刃は、『炎閃』は、破られたのだ。
「貴様ッ……一体ッ……!」
「ただの死に損ないだ」
今までに、幾千幾万と振り下ろしてきた───。
空気を薙ぐ旋風脚が、フリットの意識を刈り取った。
◆
腕の拘束を解き、目隠しを外し、自由の身になっても、バニラの震えは止まらなかった。
バニラは自分を抱きかかえるように、腕を交差する。
「俺のせいで難癖つけられた。悪いことをした」
「い、いえ……蓮さんのせいじゃ、ないですよ……」
バニラは気丈に笑って見せるが、止まらない身震いが、かえって痛々しく見える。
「バニラ、帰り道を案内してくれ。送っていく」
「あ、ありがとうございます……。あはは、実は、腰抜けて立てなくて……」
わかっていると言い、そのままバニラの体をひょいっとかかえる。
細く小さく、頼りない体だった。
「まずはどっちに行けば良い?」
「え!?えーっと、西ですね、西なので……あっちです!」
蓮は太陽を見やる。
気の抜けた爬虫類のような顔でしばらく観察した後。
「……あっち東じゃね?」