2-1 妹のために、親友をCreditできますか?
「こちらへどうぞ!」
さくらはそそくさと相談者を椅子に案内する。伊織さんもこちらに、とどさくさに紛れてさくらが椅子を勧めてくる。退部すると固辞するのは簡単だが、相談者の前で部内のゴタゴタを見せるのは見栄えが悪いだろう。
伊織がしぶしぶ椅子に戻ると、さくらはほっとした表情を浮かべ、自分に腰かけた。
「ええと、1年D組の、野崎秀樹さん……でよろしいでしょうか?」
「ああ」
そっけなく答えると、野崎はきょろきょろあたりを見回した。
「随分と殺風景なんだな。部員は2人だけなのか?」
「ええ、そうなんです」
俺は違う、と否定したかったが、一応書類上はまだ部員のままだ。伊織は黙って話の続きを待つ。
「本日は相談部にお越しいただき、ありがとうございます。Creditの関係で、何かご相談があるとか」
「ああ……」
野崎は言いにくそうに口ごもったが、ふうっと息を吐くと、ぽつりぽつりと話を始めた。
ーー俺の家は6人家族で、言ったらなんだが、家族みんな仲が良いんだ。親父もお袋も、稼ぎは少ないが、夕飯はみんなでそろって食べるし、運動会にはみんなで応援に行くし、まあ平凡な幸せってやつだ。
俺たち一家は、小さい頃からこのあたりの団地で暮らしているんだが、まあ団地ってのはどこも似たようなもんで、団地内でコミュニティが出来上がるんだ。俺も幼稚園の頃からつるんでる奴らがいて、もう家族みたいなもんだと思ってる。
ーーえ? うっとうしくないかって? まあ、そりゃあ、情報はなんでもかんでも筒抜けだし、プライバシーがほしいと思わなくもないが、そんなもんだって昔から思ってたからな。そんなに苦に思ったことはねえよ。特に幼稚園から一緒の翼ってやつは、俺の家と同じ棟に住んでて、まあ腐れ縁ってやつだ。小さい頃はよく一緒に悪さをして叱られたもんだが、高校は俺よりもいい進学校に行ってる。近所だから、今でもしょっちゅう顔合わせるし、週に3日は晩飯を食いにうちに顔出すんだけどな。
ーー話が逸れたな。何が言いたかったかっていうと、俺らは平々凡々な家族で、ご近所づきあいなんかもそこそこうまくやりながら、今まで暮らしてきたんだ。
そこで、野崎はふう、と息をついた。緊張しているのか、額には汗が浮かんでいる。
「お茶をどうぞ」
さくらもそれに気づいたのだろう、さっとお茶を差し出す。ああ、ありがとう、と言って、野崎はごくっと一気に飲み干した。そして、ふーっと再び息をととのえると、再び言葉を紡ぎ始めた。
ーーまあ、そんなこんなで、うまいことやってきたんだが……今年の春に、一番下の妹が病気になったんだ。妹はまだ小学校にあがったばかりで、この4月からランドセルを背負えるって喜んでた。
そんな矢先のことだった。入学してすぐに、妹は体が重くてだるいと言い始めた。最初は慣れない環境で、緊張してるんだろうと思った。友達もできたようだし、しばらくすりゃあ良くなるだろうと思ってた。
ところが、5月になっても、6月になっても、一向に具合がよくならねえ。念のため、お袋が病院に連れて行ったんだ。
ーーがんだった。それも白血病だ。必死になって、治療法を調べたよ。でも調べても調べても、よくねえ情報ばっかりで……なんであいつなんだ、って何回も思った。あんなに小さくて、まだ小学校にあがったばっかりなのに……。お袋は泣いてた。親父は、泣いていなかったけど、医者から治療の話を聞いて、顔真っ青にしてた。抗がん剤やら入院費やらで、とんでもない額の治療費がかかるらしい。とてもじゃないが、親父とお袋の稼ぎじゃ、どうにもならない額だってのは俺にもわかったよ。
野崎は再び言葉を止め、そしてさくらと俺を見た。
「だから、だからな。俺、考えたんだ。どうしても妹を助けたい。そのためには金が要る。そのためにCreditするってのは、悪くないアイデアなんじゃないかって」
「そんな事情がおありだったんですね……」
さくらは思った以上に重い話だったのか、どう言葉をかけたものか悩んでいる様子だった。Credit絡みの話は、どうしてもデリケートになりがちだ。かわりに、伊織が尋ねた。
「それで、誰をCreditするつもりなんだ?」
「そう、そうだよな。俺、Creditをしたことがないから、誰でどれくらいになるかわからなくて……」
Creditするといくらになるのか、というのは実のところ、Creditするまでわからない。
Creditは、支払い機能が入ったスマホなどのデバイスを、Creditされる側の額に5秒当て「Credit」と唱えることで成立する。成立後、10秒以内に、相手からの信用に応じた金額がデバイスの中に入金される。同時に、Creditした者は、Creditされた者からの信用を全て失うことになる。これが「信用をお金に換える」という意味だ。
しかし、信用がいくらになるのか、というのは、実際に入金額を見てからでないとわからない。相手から信用が高いと思ってCreditしたら、意外と額が少なくてショックを受けたという話はよく聞く。
しかも難しいのは、一度Creditしてしまうと、取り消すことはできないという点だ。この額だったら今までの関係を保持したいと考えなおしたとしても、一度Creditしてしまえば、やり直すことはできず、1から関係を築きなおすほかないのである。
「いくら必要なのかは知らないが、両親の稼ぎを足してもたりないってのは、それなりの高額なんだろう。実際にいくらになるかはやってみるまでわからないが、参考値ならわかるだろ。近所の顔見知り程度だったら1000円にも満たないだろうし、クラスメイトだったらまあ、親密度にもよるが、1万円から10万円くらいか? 家族だったら1000万はくだらないだろうが、まあそんなことをするやつは滅多にいないだろ」
面白くもなさそうに伊織が言うと、さくらが目を丸くした。
「伊織さん、お詳しいんですね」
「……別に、これくらいは常識の範囲内だろう」
話を聞いていた野崎は、おもむろに口を開いた。
「……俺は、家族をCreditする気はない。だが、きっとそれに近しい金額は必要になると思う」
「だったら、誰をCreditする?」
「……翼だ」
野崎は絞り出すように言った。
「翼は、幼馴染で、ずっと一緒に育ってきた。お互い信頼し合っている。だからCreditすれば、家族と同じくらいの金額になるはずだ」
「だ、だめです!」
黙っていたさくらが、声をあげた。
「ちょっと待ってください、野崎さん。ちゃんとわかっていますか? Creditするってことは、翼さんからあなたへの信用が全部失われるってことなんですよ? それは、今までの16年間で築いてきた絆を失うっていうことと一緒なんですよ!」
「ああ、わかっている」
野崎は深くため息をついた。
「もし俺が翼をCreditしたら、翼は今までのように俺を信用してくれはしないだろう。だが、どうしても妹を救うために金が必要なんだ。それに翼が俺のことを信用しなくなったとしても、俺は翼のことを信じている。失った関係は、また築き上げればいい」
「そんな簡単に言わないでください! 16年分の信用ですよ? そんな簡単に作り直せるものではないはずです!」
「わかっている! だが……だがそれでも、俺は妹を救いたいんだ」
黙ってしまった野崎を、伊織は白い目で見た。これだから、Creditには関わりたくないんだ。
「じゃあ、すればいいんじゃないか」
「伊織さん!?」
咎めるようにさくらが伊織をにらみつけるが、伊織は意に介さず言葉を続ける。
「だって、あんたの中ではもう優先順位は決まってるんだろ。妹の方が親友よりも大事で、家族をCreditするつもりもない。じゃあ、すればいいんじゃないか」
「そう、なんだが……」
ここになって、野崎は言いよどむ。
「そう、そうなんだ。頭では理解している。ただ、俺はCreditするのが初めてだから、本当にやっていいのか、迷いが捨てきれなくて……。だから、Credit絡みの相談を受け付けているっていう相談部に来たんだ」
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