生徒に人気の養護教諭さん!?
二月十日。
春間近な暖かい日の夕方。学校帰りの学生たちで埋まっているカフェ・ド・グリューに淡雪も同級生三人と来ていた。
「そろそろバレンタインだね」
右隣に座っているのゆるふわ巻きの少女、藍佳はテーブルに備えつけのメニューを見ながらしみじみと呟く。すでに注文はしてるが、追加で注文しようかなと呟く藍佳。
この季節、どの店でもチョコレート色一色になる。チョコレート好きには天国のような景色だが、そうでもない人もいる。
「本当だ! 淡雪ちゃん、いっぱいもらえるのかな?」
淡雪の目の前でドリンクを持ちながら笑うおさげ髪の少女、美智恵。その言葉にうっと詰まる淡雪。彼女にとってそれは突かれたくない話題のひとつだ。
「たしかに淡雪ちゃん、どうなるんだろう? すごくかっこいいもん。文化祭じゃ"ミスター立睿"に選ばれるくらいだし」
左隣の少女、優美の言葉に机に突っ伏す淡雪。
そう。
彼女は高校一年生の少女である。
なのにもかかわらず、オトコマエな容姿と圧倒的な強さにより、並み居る男子を抑えて"ミスター"に選ばれてしまったのだ。
こうなってしまった以上、バレンタインでもらうだろうチョコレートの数は計り知れないだろう。
そんなことを考えている同級生たちは優しい目を淡雪に向ける。当の本人は死にたいとやる気のない目で呟いていた。
「かっこいいで思い出したけど、この学校って先生方の人気もすごいよね。中学部のときから今年もだれが一番もらえるのかって、毎年みんなで賭けてたよね?」
「たしかもらう側の男子も混じってたよね」
そんな淡雪を憐れんだ……わけではないだろうが、唐突に話題を変える美智香。藍佳もあったねぇと頷く。
友人たちの言葉に悲鳴をあげる優美。
うっかり風紀委員の彼女にまずいことを言ってしまったのかと思い、焦る二人。
「そんな面白いイベント、私も参加すればよかったぁ」
彼女は風紀委員であるから取り締まりたいというわけではなく、ただ自分が除け者にされたことが悔しかったようだ。
「あはは。今年はまだ大丈夫だよ。あとでメッセージグループに招待するね」
「うんうん。こんな面白いイベント優美も参加しなきゃ。胴元は教頭先生だから、非公認行事ながら公式行事なんだもんね」
言葉にありがとぉと優美は涙目になる。
そんな同級生三人の話題に一人、我関せずの淡雪は運ばれてきた無糖のホットコーヒーをすする。
「去年の一番人気は現社の佐々木先生だったけど、意外ともらえてなかったよね。相馬先輩が勝ったって喜んでいたような」
「それはちょっと意外」
「うんうん。佐々木先生、サッカー部の顧問だから、キャプテンの相馬くんに負けてショック受けてたよね」
二人の話題に驚く優美に対して、淡雪はくだらないなと聞き流す。
「数学の鹿野先生とか、英語の三ツ島先生とかすごい数だったよね」
「あは。たしかにあの二人は去年、新任の先生だし、からかいがいがあったのかもね。たしか鹿野先生は事務の由良さんにもらえなくてしょんぼりしてたし、古文の平先生に堂々ともらって嬉しそうな三ツ島先生の対照的な感じがウけたよね」
「本当。今年はどうなるのやら。でもさ、それ以上にすごい数をもらった先生がいたよね? しかも、今年はないだろうと毎年のように言われつつ、大穴掻っ攫っていく先生が」
「あぁ、たしかにいるねぇ。しかも今年もいまだに一票も入ってない人が」
「え? だれそれ?」
美智香と藍佳の質問に首を傾げる優美。
いたずらっ子のように笑う二人はさしずめ悪魔だった。
「あれれ?」
「わからない? 優美なら想像できそうだけど」
そんな二人から逃れようと淡雪に助けを求める優美。
「うん? ……淡雪ちゃんは…知ってる?」
「知らない」
今まで日陰で生きてきて、そんな賭けやイベントには一切縁がなかった淡雪には、そんな情報を知る由もないしーー知りたくもないが、藍佳はうっそぉ!? こんなに美味しい情報知らないなんてと大げさに肩をすくめられ、またまたぁと苦笑いを返す優美。
「聞いて驚くことなかれ。それはね……」
藍佳が途中で区切り、優美(と淡雪)の反応に顔を見合わせて美智香と頷きあう。一呼吸ののち、淡雪にとってとびきりの爆弾を落とす。
「「保健室の陸亀先生だよ」」
普段からファンの一人を公言している優美は目を輝かす一方で、淡雪は口に含んだコーヒーを危うく吹きだしそうになる。
「おお、たしかにそれは美味しい情報だね、ごめん!」
「へへっ。美味しい情報を持ってきた私を感謝してよね。ちなみに陸亀先生は結婚したい先生No.1にも選ばれてますし、いつ結婚されるかすでに賭けがはじまってます」
いや、あの人もう結婚してる……どころか、その娘もお前たちの目の前にいるぞ。
諸事情で公言できない淡雪はそう思いながら遠い目になる。
ーーなんでこんな目に遭わなきゃならないんだ、俺は。
狙ったもの……ではないだろうがーーというよりもむしろ狙ったとは言ってほしくはないがーー俺のためにもさっさと公にしてくれよと心の中で願う淡雪。
「え、陸亀先生って結婚指輪されてるよ?」
そんな淡雪にとって二回目の地獄は藍佳の言葉で終わりを告げる。
本当?と二人とも目を丸くするが、淡雪はその反応にですよねぇと心の中で頷く。八ヶ月前に自分が事実を知ったときも同じリアクションしたからなぁと、ひとりごちる。
「隣のクラスの和紗ちゃんが私の目の前で告白してたけど、もう結婚してるって言われて泣いてたよ」
「「嘘!」」
そりゃそうなるわなぁ。というか、そんな猛者がいたとはねぇ。
淡雪は中学部からの編入組だが、あの人の見た目にはたしかに騙される。とはいえ真実を知ってなければ今でも騙されていただろうから、彼女を非難できる余地はない。
というか、下手すると年齢も誤解されているのではないかと思ったが、怖くて聞けなかった。
「でも、どんなときでも奥さんの影が一切見えないっていうのもなんか怪しくない?」
「もしかして偽装結婚?」
たしかに徹底的に私生活は隠してるもんなぁ。そう思われても仕方ないですよねぇ。
事実、娘の彼女でさえすべて知らない。というか、奥さんに見せてる部分の一割さえも見せられてないのではと考える淡雪。
すでに事故を防ぐためにコーヒーを飲む手が止まってしまっていた淡雪は、興味がありますというように三人の話を聞く。
「そういえば、前にさ、陸亀先生といえば理事長さんと仲がいいとかっていう噂もあったよね?」
「たしかにしょっちゅう理事長室に呼ばれてるからね」
「『姿の見たことない理事長』ねぇ」
「そうそう。もしかして陸亀先生が理事長だったり? で、そのカモフラージュで理事長してるとかかな? 珍しい名字だし」
「あーそれもたしかにあり得そうだよねぇ。でも、なんか違うような気がするなぁ。あの人はどちらかというと参謀っていう感じだからね」
うん。優美、正解と心の中で頷く淡雪。
あの人の奥さんが理事長でしょっちゅう呼び出されてるし、面倒な業務を押しつけられたくないためのサボり部屋として理事長室を使ってるだけだ。これは本人から聞いた話なので間違いない。
「というか、一回さ、可愛らしい女性と理事長室のあたりを歩いてるところを見かけたことがあるけど、あれ誰なんだろう?」
止めてくれ、その話題を。
続けられた優美の言葉に待ったと心の中で言うが、当然話が止まることはない。藍佳と美智香は新しいネタに目を輝かせる。
「黒髪がふわっとしててさ、なんでいうんだろう。小動物のような感じだったなぁ」
あーそれ、うちの母親の特徴そのままですねぇ。
遠い目になった淡雪に気づかない二人は素敵と目が輝いている。
「あぁ!」
今度は藍佳が叫ぶ。美智香も優美もどうしたのと彼女の顔を覗きこんだ。
「その人じゃないとは思うけど、私もめちゃくちゃ綺麗なお姉さんと保健室あたりを歩いてるところを見たことあるよ」
うーん。心当たりは数人いるが、一番可能性がありそうなのは叔母さんかな。養護教諭を引退したのは十二年前だっていうけど、なにかと相談に乗ってるらしいからなぁ。
死んだ目になった淡雪が深く考えだすと同時に、美智香は深堀りする。
「どんな感じの人だったの?」
「うーんとねぇ、綺麗な真っすぐの黒髪で、かなりグラマラスというか理想的な体つきというか。とはいっても、ただナイスバディなだけじゃなくて、なんで言うんだろう……頭も良さそうで、動きも俊敏そうで、陸亀先生の隣でも全然おかしくないというか。なにか難しいことを話し合ってみたいだけど、それだけでも目の保養というか」
はい、ビンゴ。
その特徴をもつのはあの人しかいないーーっうか、下手すると叔母さんも年齢間違われてないか? たしかもうすぐ還暦迎えるとかなんとか言ってたような。
それでいて、自分と二つ違いと一つ違いの息子二人いるんだからなぁ……
とてつもなく身内の話を赤裸々にされて、自分のことでないにもかかわらず、穴があったら入りこみたくなっている淡雪。
「いいですよねぇ。あの先生の隣歩けるなんて」
「ほんと。一度でいいから隣を歩いてみたいわね」
「うんうん」
そんな考え、もたないほうがいいぞ。
多分、いや絶対に隣歩けば、またあんたたちは希望を抱くだろうが、それは幻想にしかすぎん。あの人はあんたたちのことを一切見てないからな。
高速で彼女たちの希望を心の中で潰す淡雪。ポーカーフェイスどころか、能面になっていることに気づいていなかった彼女を三人が覗きこんできた。
「ねぇ、淡雪ちゃんは知ってるんでしょ?」
いきなり声をかけられた淡雪はへ?と間抜けな声をだしてしまった。
「だって淡雪ちゃんって生徒会長なんだから、陸亀先生とこういうことも話すんじゃないの?」
美智香が代表して言うが、ほかの二人の目にも期待が込められた。
「……もしかして好きだったり?」
な い な。
父親として尊敬はある……はずだが、騙されていたころはむしろ嫌いだったくらいだからな。
そんな薮蛇話を口が裂けても言えない淡雪はなんとかして、最適解を捻り出した。
「……ノーコメントで。というか、多分…うん、多分、みんなと同じくらいの情報しかないぞ」
我ながら最適解を短時間で導くとは。
そう愉悦に浸る淡雪にそれぞれからつまんないのぉと言われるが、トドメの一撃を刺しておく。
「仕方ないだろ? なにせプライベートは一切明かさない人だからな」
あるマンションのとある部屋、夕食後のゆったりとした時間。
「そういえば、もうすぐバレンタインだね」
「……ーーそうだな」
その翌日の授業後、三人きりのときに娘から直接ことの顛末を聞いた母親は大爆笑し、父親は思いっきり顔を顰めた。
本人の反応にアンタがノり気じゃないのは意外だなと言った淡雪だが、まあそりゃそうかと思い直していた。
「今年はどれだけもらえるのかな?」
「……さあな」
毎年恒例の学校非公認行事《バレンタイン賭け》。
これを本当に取り仕切っているのは教頭ではなく、ここにいる理事長本人ーー櫻である。何度も候補から外せと頼んでいる総花だが、それだと勘ぐられるでしょと一向に外してくれる気配がない。
「そう言いつつ、またいっぱい貰うんでしょう?」
「お前、楽しんでないか?」
毎年のように賭けの賞品ーー女子や女性教員は自分たちで作った(買ってきた)チョコレート、男子や男性教員はもらった(買ってきた)チョコレートーー相当の賞金を根こそぎもらっていく本人はさぁ今年はどれくらいの金額もらえるかしらねぇとブランドチョコのカタログを眺めながら、櫻は愛する人の肩にもたれかかる。
「べつにいいでしょう。それだけ人気だっていうことなんだから」
その言葉に総花が再び顔を顰めたのは言うまでもなかった。
そして当日。
例年以上のチョコレートやお菓子が職員室や保健室に届けられたのは言うまでもなく、さらに前日夕方に届けられた配当表に自分の名前が載っていなかったのを確認していた総花は櫻がまた一人勝ちしたのに気づき、げんなりしていた。
「勘弁してくれ」
頭を抱えながらもすべて目を通して贈り主が書いてある人は、お返しを送るリストに入れていく総花。
本人はそれさえ人気を集めている原因になっていることに気づいてない。
『律儀さと人当たりの良さ。だれにでも平等に接することができるという技術は見かけでは判断できない。でも、ソウは見た目もいいからそりゃモテるはずだよ』
その山の中に娘からのチョコレートもひっそりと入っており、口元を綻ばせたのは言うまでもなかった。
(なお、生徒内でもっとも多くもらった淡雪がもらったものではないチョコレートを隠し持っているのをクラスの男子が目撃しており、だれにあげたかという賭けが学年内でひっそりと行われていたが、その結果を知るものはいなかった)
並行世界上の人々が出てきておりますが、そこは気にしないでください。