母の影
父が死んだ。
独りぼっちで。
身動きもとれないほど弱り、部屋には糞尿が入ったペットボトルや、バケツが散らばっていた。
近所の人が気付いたお陰で、最後の数日だけは病院で過ごすことができた。
元気な姿で最後に会ったのはいつだっただろう。
一緒に暮らしたいとぼやいていたのは、どこまで本気だったのか。結局、こちらに来ることはなく、嫁にさえ、会うことは無かった。
自業自得だと、親族の誰もが言い聞かせるように口にするが、そう言い切ってしまうには、あまりに弱く、哀れな人だった。
葬式が終わった後、家に戻る前に叔母の家で数日を過ごした。
懐かしい、叔母の家。夏休みが始まると直ぐに来て、明日から学校というギリギリまで過ごしていた。
中学生頃になると、もう、泊まりに行きたいなんて言えなくて、ほとんど来ることは無かったと思う。それでも、俺にとっては実家とも言えるくらい、温かい場所で、今でもそう思う。
母は俺が小学2年の時に突然倒れた。
病名までは覚えていないが、頭の血管が切れたとか言っていた気がする。
倒れたのは、従兄弟の運動会当日で、母の姉である叔母が、家族と共に、重箱に入った弁当を持って駆け付けてくれた。
その日の夕御飯はその弁当だったのを覚えている。
母はずっと頭が痛いと言って、風邪薬を飲んでいたらしい。
病院に運ばれた後は、ずっと意識がなく、本当に、死ぬ直前に、少しだけ意識が戻った。
死んでしまってから、もっと大きい病院に行っていたら、だとか、もっと早くに気付いていれば、だとか、周りの大人達は、意味のないことばかり言って、慰め合い、悲しんでいた。
36歳だった。
それから俺達の生活は一変する。
父の両親、つまり祖父母が一緒に住むようになり、俺達の世話をしてくれた。
父はほとんど家に帰って来ず、朝仕事に行っては、そのまま外で飲んだくれていたと思う。
祖父母は一番上の兄だけを贔屓し可愛がり、居心地は悪く、もはや家は、家ではなかった。
その兄も高校卒業後、逃げるように家から出ていき、二番目の兄も同様。その頃には祖父母も他界していたが、俺もやがて家をでた。
後から聞いた話、残された父は酒を飲んでは、叔母に電話し、母を恋しがっていたようだった。
ある日、突然父は再婚する。
相手は3人の子連れの女だった。
いろいろと思うところもあったが、それで落ち着くのならまぁ、いいと思った。どうでも良かったと言う方が正しい。
かなり高齢であったが、子供を一人授かったらしい。上手くいくと良かったのだが、どうもそうでは無かったらしい。
新居を購入したかと思えば、そこには妻子だけが住んでいた。
そして、残された父は、年金は十分に出ていたであろうに、所持金は数十円。別居だとしても、妻はなにをしていたのか。
その妻は、葬式の時だけ顔を見せたが、事情をしらない俺達は、深く追及も出来なかった。
結局、父は再婚しても尚、母を忘れることはなかったのだと思う。再婚した後も、酒を飲んで叔母に泣きながら電話をしていたそうだ。
本当に弱い、弱い、人だった。
今頃はもう、母に会えただろうか。
「あんた、今でも母ちゃん恋しいとけ?」
突然叔母が聞いてくる。
俺は叔母の言葉に即答する。
「そりゃ、そうよ。今でも会いたい。
あの時最後に言われた言葉はね、『ごめんね。』やったとよ。あの言葉だけはね、絶対忘れられん。」
『ごめんね。』あまりに悲しくて辛い言葉。
最後なら、こんなに記憶に刻まれるなら、もっと違う言葉が欲しかった。
でも、今は解る。どうしてその言葉だったのか。家族が出来た今なら理解が出来る。
幼い俺達を置いて逝かなければならない母の気持ち。
あの時の『ごめんね』は母の全て。
俺の宝物
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