9、風の王の頼み事
「…ぎもぢわるい」
まるで洗濯機に突っ込まれたように何度も上下が反転する目にあった
マリオは、口を押えてその場に屈みこんだ。
「いきなり風魔法での長距離移動とは、いささか乱暴ではありませんか」
マリオを気遣いながらイツキが男に抗議する。
「乱暴なのは認めるが、こっちも一族の存亡がかかってんだっ。
こまけぇこと言うなっ」
「一族の存亡って…」
聞き捨てならない言葉に、マリオはリバース寸前の身を押してのろのろと顔を上げた。
「殺しても死なないような虫人族がですか?」
「虫人族?」
小馬鹿にしたように言葉を綴るイツキに、マリオは驚いたように男を見返す。
「はい、此処はストーンフォレスト。深淵の森の西にある虫人族の国です。
そしてこの方は飛蝗族の頭領にして風の王でございます」
イツキの言葉に、おうさと頷くと男は被っていたフードを捲り上げた。
そこにあったのは…。
「うわぁ」
マリオから上がった声に、風の王は忌々し気な視線を向ける。
他種族、特に人族は虫人族を酷く忌み嫌っている。
こっ酷い報復が待っていると分かっているので手出しはしないが、虫人族を見る目には常に忌避の色が宿っていた。
しかし…。
「あ、あのっ」
「何だっ?」
「握手してもらっていいですかっ?」
「はぁぁっ!?」
キラキラとした憧れに満ちた目を向けるマリオに風の王から頓狂な声が上がった。
「な、何だ。こいつ」
「我が王は渡来人ですゆえ、少しばかり変わったところがおありです」
「渡来人だとっ!?あの黒の魔王と同郷かっ」
風の王の叫びに、ええとマリオが頷く。
「この世界に来る前に会った女神さまがそう言ってましたから」
「女神…イネスさまにお会いになったことがあるのか?」
「はい、いろいろとお世話になりました」
にっこりと頷いてからマリオは改めて風の王の前に手を差し出す。
「一応、緑の王をやってます。タチバナ・マリオです」
「お、おう…本当に変わった奴だな。俺が風の王だ」
ぎこちなく握手を交わすと風の王はまじまじと相手を見返す。
そこには握手した手を嬉しそうに見つめているマリオの姿がある。
「そんなに嬉しいのか?」
「はいっ。僕がいた世界には風の王様そっくりのヒーローが居るんです。
その人に凄く憧れていたんで。でも惜しいな、首に巻かれたスカーフの色が黒じゃなくて赤で、目も赤だったら完璧だったのに」
「あ?何だそりゃあ」
「いえ、こっちの話です。…ところで風の王様の名前は何て言うんですか?」
「虫人族には決まった名はねぇよ。大抵は一族と体色を合わせたもんを呼び名にしてる。俺の場合は飛蝗族の緑碧だな」
緑の体色と碧い目をした風の王はそう言って笑った。
「だったら僕の好きな名で呼んでもいいですか?」
「あ?呼びたきゃ勝手に呼べよ」
「はい、本郷さんっ」
「そいつは止めろっ」
「何でですかぁ」
「ガキみたいに拗ねた顔すんなっ。それにその名はヤバいと俺の本能が言ってんだよっ」
「えー、だったら一文字さん」
「そいつも却下だっ」
「…盛り上がっているところを申し訳ありませんが、そのようなやり取りをするために此処にやって来た訳ではございますまい」
「わ、分かってらぁっ」
割って入ったイツキの言に、バツが悪そうに返すと風の王はマリオに向き直った。
「緑の王のお前に頼みがある」
「はい、何でしょう。本郷さん」
「だからその名は止せって言ってんだろうがっ」
「もー、我がままなんだから」
「どっちがだっ」
「じゃあ…リョクさんで」
「渋々言うなっ。だが、まあ…それならいい」
はぁっと派手なため息を吐いてから風の王…リョクは言葉を継ぐ。
「この先に虫人族にとっての聖樹がある。聖樹の実は魔力の塊みてぇなもんでな。こいつを喰うとしばらくは何も喰わずに済むんだよ。だからガキを育て中の奴には必須のものなんだ」
「あれ?虫人族って子育て中は絶食してるんじゃないんですね」
先ほどマールに教えてもらったことを口にすると、アホかとリョクが呆れ顔を浮かべる。
「その前に飢え死にするわっ。子供がそう簡単に育つわきゃねぇだろ」
「ですよね。つまりその大切な聖樹に起こった異変を何とかしてくれってことですか?」
「お、おう。話が早くて助かるぜ。…こっちだ」
先に立って歩き出したリョクの後をマリオとイツキが追って行く。
「十年くれい前から聖樹に生る実の数が減ってきてな。とうとう去年は最盛期の半分まで落ち込んじまったんだ。
今までは実の収穫量に合わせて子を産むことを抑えさせてきたんだが…」
「それも限界ってことですね。確かに次代を育てることが出来なければいずれは滅びてしまうから」
「そう言うこった。しかも今年は春になっても花がまったく咲く気配がねぇ。このままじゃ秋に実が一つも生らねえことになる。でな、緑の王たるお前なら何とか出来るんじゃねぇかと連れて来た訳さ」
リョクの言葉にマリオは不思議そうに首を傾げた。
「異変は十年前からなんですよね。どうして先代の緑の王に助力を…」
「あの性悪女が俺らに手を貸す訳ねぇだろっ」
「へ?」
首を傾げるマリオの前でリョクが忌々し気に口を開く。
「頼みに行ったら家に籠ったきりで顔も見せやしねえ。
代わりにお付きの優男がやってきて『お帰り下さい。そのような些末なことで王を煩わせないでいただきたい。…卑しい虫人の分際で』とか抜かしてせせら笑いやがって。それっきり何度行っても門前払いさ」
「うわぁ」
一族の存亡が掛かっている大問題を些末と切って捨てる傲慢さにマリオが思い切りドン引く。
「まあ、あれは風の王の対応も悪かったですし。会いたくないとなるのも致し方ないのでは」
一応、そんなフォローを入れるイツキにマリオが問いかける。
「…何をしたの?」
「べ、別に…その、ちっとばかり腹が立ったからその優男の右腕を喰ってやっただけでぃ」
慌てて言い訳をするリョクに、どっちもどっちだなーと遠い目をしてマリオが嘆息する。
「…こいつが聖樹だ」
小高い丘の上に立つ高さ20mほどの大木。
橘の木に似たその姿は雄大で、見るものを圧倒する威厳に溢れている。
しかしその姿を見た途端、マリオの眉間に盛大な皺が寄る。
「…酷いな」
小さくそう呟くと、マリオは珍しく怒気を孕んだ声でリョクを問い質す。
「一族の存亡がかかるほど大切な木なら、この有り様はなんですかっ?」
「へっ?」
訳が分からず盛大に首を傾げているリョクに、派手なため息をついてからマリオは言葉を紡ぐ。
「葉や枝が伸び放題でまるで手入れをされてないです。これだと地から吸い上げる水分より葉から蒸発する水分が多くて、常に水不足の状態になってしまってます。こんな状態でよく今まで実を生らせたと褒めてあげたいくらいです」
「はぁっ!?マジかっ」
マリオの説明にリョクから驚愕の声が上がる。
「普通なら余分な葉を剪定するか、でなければ葉を主食とする虫たちが適度に間引いてくれているはずです。
でも今はそのどちらもされていません。この木の管理者は何をしているんです?」
マリオの問いに、それがなーとリョクから歯切れ悪く言葉を綴る。
「前は蝶族の一派の青紫が世話役をしてたんだよ。
奴らのガキ共の好物が聖樹の葉だったからな。
けど15年くらい前に『大切な葉を食すとは聖樹に対しての冒涜である』とか蜘蛛族が言い出してな」
「誰もがそれに同調して世話役が蜘蛛族に交代。で、大事にすると言って傍観するだけで何もしなかった。その結果が一族滅亡の危機。
絵に描いたような自業自得ですね」
続けられたマリオの言葉に、面目ねえ話だとリョクは大きく肩を落とした。
「取り敢えず、このままだと聖樹が枯れてしまう可能性が高いですけど、どうします?」
「そ、そりゃぁ決まってるだろ。枯れないようにしてくれっ」
「分かりました。余分な葉や枝を切り落として調整します。
でもその後のことは関知しませんから悪しからず」
「へ?」
「僕が剪定作業に入ったら『神聖なる聖樹に何をするっ』て蜘蛛族を筆頭に面倒な輩が集まってくるでしょうから、そこはリョクさんが何とかして下さい。じゃ、そういうことで」
「はあぁっ!?」
悲鳴に近い声を上げるリョクをサクッと無視して、マリオは手近な枝を目指して地を蹴った。
そのまま高くジャンプして枝に取り付くと、密集する葉をかき分けながら奥へと進んでゆく。
「お、おい。簡単に切るって言ってもな。聖樹は別名『鋼の木』って呼ばれるくらい固てぇんだ。そうそう切れるもんじゃ…」
リョクの言葉が終わる前に、ドスンとその足元に太い枝が落ちて来た。
「何か言いましたーっ?」
愛用の植木鋏を手にしたマリオが葉の間から顔を覗かせる。
「…いや、続けてくれ」
呆気に取られた後、リョクは力なく手を振った。
「かの道具は女神さまからの贈り物の一つで、この世に切れぬものはない名鋏ですので」
そんなリョクをフォローするようにイツキが口を開く。
「…何が飛び出すか分からない、マジでビックリ箱みたいない奴だな。
今度の緑の王は」
「当然です。我の王なのですから」
楽し気なイツキの様子に、そうかよとリョクから派手なため息が漏れた。