51、我がまま姫と囮
評価、ブックマークをありがとうございます。
「52話 姫の想いと母の言葉」は土曜日に投稿予定です。
これからも楽しんでいただけるよう頑張ります。
「あれって…」
幅5m程の川を渡ろうとしていたマリオの目が此方に移動してくる人影を捕えた。
総勢で10人、その耳は長く彼らがエルフ族だと言うことを示している。
贅を尽くした小型の子竜車を囲み、辺りを警戒しながら森の中を進んで来る。
「逃げ出してきたハイエルフ一行ってとこか」
その様にリョクが皮肉めいた笑みを浮かべる。
そのまま川を渡ろうとした一行だったが、かなり水深があるため諦めて一旦車を停める。
すると車の中から怒りの声が聞こえてきた。
「何をグズグズしているのですっ。早く渡りなさいっ」
「し、しかし姫様。このままでは危険です。一度降りて…」
「早くなさいっ。帝国軍が迫って来ているのですよっ」
きつい口調に、従者たちは諦めたように子竜車を進ませる。
ゆっくりと川の中に足を踏み入れた一行だったが、中ほどで彼らの足が止まる。
どうやらその先がさらに深くなっていて渡れないようだ。
仕方なく方向を変えようとした時だった。
川底の石に乗り上げたのか車がバランスを崩し、たちまち引手のトカゲと共に水中に没してしまう。
上がった悲鳴に、思わずマリオとリョクは顔を見合わせた。
「どうするよ?」
「この場合、助けない訳にはゆかないよね」
ため息混じりのマリオの言に、仕方ねぇなとリョクは川に飛び込んだ。
「リョクさん、こっち」
新たに購入した火石で火を起こし、花唐草模様の風呂敷を敷いて席を作ったマリオが手を振る。
「おう、すまねぇな」
エルフの女性を小脇に抱えたリョクが、他の者達を引き連れて此方にやって来る。
焚火の傍に下ろされたのは最高級と思える煌びやかな服を着た15歳程の少女だ。
もっともエルフの場合、見掛け通りの年齢では無いことが多いが。
「どうぞ」
春とは言え水浴びには早い気温だ。
焚火の近くに来ても震えている彼女の前にマリオが手持ちの布を差し出す。
「そんな汚らしい獣を連れた者の布で私の身を拭けとっ!?」
「フーッ」
汚らしいと言われてマリオの肩にいるタマが怒りの声を上げる。
「タマの名誉のために言わせてもらうけど、毎日ブラッシングしてるしお風呂にも入っているよ」
しかし彼女はマリオの言葉を聞く気はないようだ。
目に入れるのも嫌だとばかりにフンと顔を背ける様に、なら使うなとリョクがにべもなく言い捨てる。
「こっちはお前を助ける義理はねぇんだ。かってに寒さに震えてろっ」
「無礼な、私を誰だとっ」
「知ったことかっ、国じゃ偉いのかもしれねぇが此処じゃお前はただの生意気な小娘だ」
「なっ…」
その物言いに絶句する相手にリョクはさらに言葉を継ぐ。
「おい、コイツには茶なんか出す必要はねぇからな」
集まってきた者達に温かいお茶を配り出したマリオに、そうリョクが言い放つ。
「喚いたところで茶も着替えも出ては来ねぇぞ。悔しかったら自分一人で何とかしてみな」
「大変申し訳ございませんっ」
一行の中で一番年嵩な男が進み出てリョクの前で深々と頭を下げる。
「助けていただいた方に非礼な振る舞い。お怒りは当然でございますが何卒ご寛恕下さい」
「いえ、慣れない道行で大変でしたでしょうから気が立つのも仕方ありませんよ」
「何とお優しい言葉を…お気遣いいただきありがとうございます」
笑顔で手を振るマリオに再び彼は深々と頭を下げる。
しかし…。
「爺っ、人族に誇り高いエルフが軽々しく頭を下げてはなりません」
必死に取り持とうとする努力を地蹴らして叫ぶ姫にリョクは呆れ顔を、マリオはやれやれとばかりに肩を竦める。
「ケッ、何が誇り高いだ。エルフ族なんぞ緑の王の名を笠に着て他の者から金をせびり取ってたハイエナだろうが」
「ぶ、無礼…」
「お前はそれしか言えねぇのか。助けてもらったのに礼の一つも言わねぇ奴の方がよっぽど無礼だろうが」
もっともなリョクの言に、さすがに言い返すことが出来ず少女は悔し気に口を閉ざす。
「そもそもどうしてエルフ族の人達がこんなところに?」
御付きの一人が風魔法を使って全員の衣服を乾かしたところでマリオが問いかける。
まだ浅い場所ではあるが深淵の森は第一級の危険地帯だ。
魔法に長けているとはいえこれだけの人数、しかもか弱い女性連れで来るようなところではない。
「それが…」
少し悩んだようだが爺と呼ばれた男が事の顛末を語り出した。
彼の名はディーノス、ハイエルフのマデリン家に使えている侍従の一人だ。
連れていたのはマデリン家の三の姫でレニーラと言い、帝国軍から逃れるためにキリーナ国へ向かう途中だった。
本来ならばもっと多くの手勢を率いて向かうはずだったのだが、後継ぎたる腹違いの兄の護衛に人手を取られこの人数で出立することになった。
しかしさっきの出来事で車は水没、引手のトカゲも逃げてしまった。
この先のことを考えるとため息しか出ない。
「妹より兄貴の方が大事って訳か」
弱い者は守ると言うのが信条である虫人族のリョクからしたら呆れるしかない。
「仕方ありません。レノル様は次期当主でございますから」
深く息をつくディーノスの横で、それまで黙っていたレニーラが顎を上げてリョクとマリオに命ずる。
「お前たちに私の護衛となる栄誉を与えてやります。私をキリーナ国へ連れて行きなさい」
「断るっ」
「何ですってっ!?」
「行きたきゃ勝手に行け。何で俺らがお前の為に動かなきゃならねぇんだっ」
「わ、私は緑の王君の甥の娘よっ。私の言葉は王君の言葉と同義、誰もが言うことを聞かなくてはならないのよっ」
そんなレニーラの言葉を、ハッとリョクが鼻で嗤う。
「王の甥の娘だぁ?それの何処が偉いんだ。力を持ってるのは王でお前は何の力もねぇだろうが。しかもいつまで王の親戚ってことにしがみついている気だ。その王はとっくの昔に死んで、もう新しい緑の王が即位してるじゃねぇか」
「そ、それは…」
言い返せない悔しさに唇を噛み締める様を見ながら、彼女もターザと同じ特別扱いの被害者だなと思う。
王の親族であることで栄華を極めていたハイエルフたち。
そのため彼女もずっと下にも置かれぬ扱いを受け続けてきたのだろう。
どんな我がままも聞いてもらえて、何を言っても肯定される。
その行いを咎める者は皆無で、好き放題に生きて来た。
何故なら彼女は特別な存在だと教え込まれ、それを疑うこともなかったからだ。
「いい加減、現実を見ろ。王がいなくなった今ではお前は只のエルフの小娘だ」
「ち、違うわっ。私はハイエルフの姫よっ。誰よりも尊ばれる存在だとお父様も言っていたわっ」
「で?その親は何処にいったんだ。お前が特別なら傍にいて守ってくれるんじゃねぇのか?」
「お、お父様たちは別の道を行ったのよ。バラバラに動かなければ全員が帝国軍に捕まってしまうからって」
レニーラの話に、なるほどとマリオは頷いた。
そして憐憫を刷いた目を彼女に向ける。
「囮だね」
「あ?どういうこった」
怪訝な顔をするリョクにマリオが自らの考えを伝える。
「本当に帝国軍から逃げるんだったら、彼らの目を欺くために車両は質素なものを使うだろうし、衣服や持ち物も華美なものは避けるのが普通なんじゃないかな」
マリオの言に、なるほどなとリョクが大きく頷く。
「確かにこれじゃ自分がハイエルフで逃げてる最中だと言ってるようなもんだな」
事実、その様子を見ただけでマリオもリョクも彼らが逃走中のハイエルフだとすぐに分かった。
それは帝国軍も同じだろう。
「そ、そんな…。爺、どういうことなのっ!?」
マリオの話に驚き詰問するレニーラに、はぁとディーノスは深く息をついた。
「気付かずにいて下されば良かったのですが」
そう言うと彼は少しばかり気の毒そうに言葉を継ぐ。
「彼らの言う通りです。御当主さま達がオライリィ国に逃げる為の囮として姫様は送り出されたのです」
「何故ッ、どうして私がっ!?」
「捨てても惜しくはない者だからです。姫様の亡くなった母上はハイエルフの血を引かぬ只のエルフ。しかも側室ですらない愛人の身分。御当主さまは『いずれ何処かの豪族と縁続きになるための駒として飼っておいたが、今はそれくらいしか役に立たぬ』とおっしゃっておられました」
「そ、そんな…」
愕然となるレニーラに向かいディーノスが手を差し出す。
「このまま囮の御役目を果たして下さいませ。それが私達の家族を救う条件なのです」
覚悟を秘めた目をするディーノスに、なるほどとマリオが頷く。
「つまりあなた達は家族を人質に取られて仕方なくこの役目を引き受けたってことですか。真実味を持たせるために全員が姫さまを守って討ち死にするように言われているんでしょう?」
その問いにディーノスは黙ったままだが、その沈黙こそが答えだった。
「本当にハイエルフって奴らは性根が腐ってやがるぜ。けどお前らもお前らだ、何でそんな奴らの言うことを大人しく聞いてんだっ」
続けられたリョクの叱責にディーノスは微苦笑を浮かべた。
「イレアエーナさまが緑の王君となってから、我らエルフはハイエルフに媚びへつらうことでしか生きる術がなかったのです」
その声にはすべてを諦めてしまった者が持つ絶望が感じられた。
『ハイエルフの後には王がいます。森で王に逆らうことは死を意味しますから。
誰もが忍従するしかなかったのです』
彼らの様子にキルスの言葉が甦る。
それを見たマリオが何かを決心した様子で静かに言葉を紡ぐ。
「王が仕出かしたことは王が何とかしないとね」
「おい、マリオ」
ただならぬ様子にそうリョクが声をかけた時だった。
「ミギャっ!」
それまでマリオの肩で大人しくしていたタマが警戒の声を上げる。
「チッ、どうやら帝国軍のお出ましらしいぜ」
次に聴覚が鋭いリョクがその正体を告げて身構える。
「自分たちが逃げる逆方向にレニーラさん達を向かわせただけじゃなくで、抜かりなくその情報も流したみたいだね」
これ程の短時間で帝国軍がやって来た訳を語るマリオに、まったくとリョクが忌々し気に言葉を綴る。
「次から次へと面倒事が続くぜっ。どうするよ?」
「戦って騒ぎを起こすのは不味いよね。此処はやっぱり『三十六計逃げるに如かず』かな」
「あ?何だそりゃ」
「形勢が不利になった時、あれこれ思案するよりも逃げてしまうのが一番良い。面倒な事が起こった時には逃げるのが得策であるという諺だよ」
マリオの説明にリョクは嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「逃げるってのは俺の性に合わねぇが…この場合は仕方ねぇか」
「取り敢えず急いでこの場を離れよう」
言うなりマリオは胸ポケットから羅針盤を取り出した。
「いったん逃げますよ」
「いえ、我々は」
「つべこべぬかすなっ、御託は後でたっぷり聞いてや…」
リョクが言い終わる前に羅針盤から光が溢れる。
光が治まった時、その場に居る者はなかった。




