10、風の精霊王登場
「ホントに身体能力が上がってるなぁ。全然疲れないや」
枝の間を移動しているマリオからそんな呟きが零れる。
古い枝葉を落として新芽を残す作業はそれなりに大変だ。
しかもこれだけ大きな木だと、その労力とかかる時間は膨大になる。
だがマリオは信じられないスピードで作業をこなしてゆく。
「こんなものかな」
「随分とすっきりしましたね」
太い枝の上でフウっと額の汗を拭うマリオの傍らにやって来たイツキがそんな感想を述べる。
「そうだね、最初に見た時は何年もトリミングされてない毛玉とムダ毛だらけの小型犬みたいだったけど、風通しも良くなったし。これならもう大丈夫だろう」
軽く肩を竦めたマリオだったが、下から聞こえてきた喧噪に目を向ける。
作業に夢中で気付かなかったが、いつの間にか聖樹の周囲には多種多様な虫人族が丘を被い尽くすように集まって来ていた。
数が多いのはやはり飛蝗、蟻、蜂族だろう。
その間に挟まるように蜻蛉、蝶、蚊、蠅、蛍、甲虫、蜘蛛、百足、蟷螂と言った者達がいる。
体長は人族と変わらず、二本の太い後足で立ち、顔はマリオが知る地球の虫を人に寄せてデフォルメしたような造作をしているのが見て取れた。
「リョクさん、頑張ってるね」
「ええ、今回の顛末を話し理解を得ようと奮闘しております。
ですがどうあっても聞き入れぬ者もおりますようで」
「その筆頭が蜘蛛族ってとこかな。まあ、自分たちの過ちの所為で虫人族が滅びかけたなんて簡単に認める訳にはいかないだろうからね」
そう言って頷くマリオにイツキが不思議そうに問いかけた。
「我が王は…恐ろしくはないのですか?」
「何が?」
コテンと首を傾げるマリオにイツキは木の下に集まっている虫人族を見やった。
「あれだけの数の虫人を前にして平静でいられる者はそう多くはおりませぬゆえ」
「うーん、別に僕は怖いとは思わないけどな。それよりヒーローショーを観てるみたいで楽しいけど」
「…そのようなものですか。いや、我が王は本当に面白い」
「そうかな?渡来人なら誰もがそうだと思うけど」
しれっとそんな言葉をマリオは返すが。
此処に他の渡来人がいたら『それはお前が特撮オタだからだろっ』と突っ込んだことだろう。
「あ、何だか危ない雰囲気になってきたね」
リョクに詰め寄っていた蜘蛛族の一人があからさまなファイティングポーズを取って威嚇し始めた。
三つのオレンジの目に赤いラインが入った黒い体に丈の短い黒いマントを羽織っている様は迫力十分だ。
どうやら彼が蜘蛛族のリーダーらしい。
「虫人はどちらかと言うと『話し合い』より『殴り合い』を好む一族ですゆえ」
「言葉より拳で決着をつけようってことだね。勝った方の言い分が正しいって。…でもさ」
「何か?」
そのまま考え込んでしまったマリオにイツキが問いかける。
「リョクさんって…自分が風の王だと周りに教えてないのかな」
「何故そのように思われるのです?」
「んー、イツキの話だと七王君って世界の守護者として敬われているってことだけど。それにしてはリョクさん扱いが普通だなって」
「そうなのよ。まだ浮世の義理に縛られて…困った子だわ」
「あなた様は…」
突然割り込んできた声にイツキから驚きの声が上がる。
いつの間にやって来たのか、マリオの隣に虹色に輝く髪と同色の衣を纏った絶世の美女が佇んでいた。
しかもその姿は半透明で、体を通して後ろの聖樹の若葉が見えている。
「えっと…どちら様?」
「あら、私を見ても驚きも恐れもしないなんて中々見どころがあるじゃない。
ねぇ世界樹」
「お久しぶりでございます。風の精霊王ウェンリーさま」
恭しく頭を下げるイツキに、いやねと軽く手を振ってウェンリーが笑みを浮かべる。
「そう改まらなくてもいいわよ。あなただって原初の木なんだから立場は同等でしょ」
「原初の木?」
不思議そうに首を傾げるマリオに、ええとウェンリーは頷いた。
「火、水、風、土、光、闇、そして最初に芽生えた木の精霊王…世界樹はこの世界の誕生と共に生まれたの」
「…つまり地球みたいに微生物から時間をかけて進化したんじゃなくて聖書の天地創造みたいに突然存在したってことか」
ブツブツとそんなことを呟くマリオを見やりながらウェンリーは言葉を継いだ。
「創造神様に造っていただいて以来、ずっと私たちは世界を見守ってきたの。
私たちの相方である王と一緒にね」
「つまりリョクさんは貴女の…」
「そうよ、あの子は天命によって選ばれた私の愛しき風の王。
本来なら私と共に風の谷に居るはずなのだけれど、まだ王位について7年。
友や顔見知りの仲間が生きている間は只人として暮らしたいと虫人の国に留まっているのよ。
そのうえ親しい者に王と知られて距離を置かれるのは嫌だと言って風の王の紋章も、ああして布で隠しているの」
そう言って彼女は切なげな笑みをリョクの首に巻かれた黒いスカーフへと向けた。
「正体を隠して人知れず世界を守るために戦う…スタンスもそっくりだ。
やっぱりリョクさんはヒーローなんだな」
嬉し気にそんなことを呟いているマリオにウェンリーは笑みと共に口を開いた。
「そんなのはあの子だけだと思ったけど、どうやらあなたも同類のようね」
「はい、僕もただ守られるだけの生活はしたくないです。
せっかく来たこの世界をいろいろ見て回りたい」
「我が王は渡来人。それも二日前に渡ってきたばかりですゆえ」
マリオをフォローするようにイツキがそう言葉を付け足す。
「あら、そうなの。渡来人が王になるなんて開闢以来ね」
少しばかり目を見張ってからウェンリーはニコリと笑った。
「王には百年の壁と言うのがあってね。
身近な者が死に絶えた頃に心を病むことが多いのよ。
あなたならあの子の良い友人となって、共にその壁を越えてくれそうだわ」
「百年ですか…今の僕には途方もない時間ですね」
「あら、百年くらい可愛いものよ。何しろ水の王はもう二千年も王位に着いているし、光の王も今年で五百年の在位となるはずよ」
「凄いですね」
王になって二日のマリオにしてみたら、その歳月は完全に神話の世界だ。
「ですが百年を超えた王は歴代の中でも半分ほどです。最短で四年、大抵は五十年前後で自らが持つ力の誘惑に負けて道を踏み外し、王の紋章を失います。それだけ王の責務は重く、その重責に圧し潰されてしまう者は多いのです」
「そうなんだ」
続けられたイツキの言に、マリオが頷いた時だった。
「どうやら『決闘』が始まるみたいね」
ウェンリーの言葉に2人して木の下に視線を向ける。
「緑碧っ、昔からお前のことは気に入らなかった。
自分のしていることがすべて正しいとばかりに正義面しよってっ」
「ケッ!、それの何処が悪い。俺は俺の信ずるものの為に戦うまでよっ」
「まるで伝説の第一話みたいなシチュエーションだな」
構えを取って睨み合う2人の姿に、マリオが嬉々として言葉を綴る。
「しかし…良いのですか?」
「何が?」
「王は不老ではありますが、不死ではございません。
虫人の決闘は相手が死ぬまで終わることはありませんので」
「マジで!?止めなくていいんですか?」
イツキの話に慌ててウェンリーを見やるが、当人は暢気なものだ。
「構わないわ。負けそうになったら風の王であることを告げれば良いだけだもの。むしろ正体をバラす丁度良い機会なんじゃない」
「でもそれだとリョクさんは納得しないんじゃ。虫人族のことに口出しする気はなかったんだけど…仕方ないか」
ふうと深く息を吐くと、マリオは意を決して枝から飛び降りた。
「本当に面白い子ね、気に入ったわ。
それにこんなに楽しそうなあなたを見るのも久しぶりだし」
笑顔を向けるウェンリーに、はいとイツキが嬉し気に頷く。
「うちの子共々よろしくね、世界樹」
そう言うと彼女の姿は空気に溶けるように消えていった。
「ちょっと待ったぁっ」
突然の闖入者にその場にいた誰もが驚きの表情を浮かべた。
「聖樹を剪定したのは僕なんで苦情は僕に言って下さい」
「お、おいっ」
「貴様が冒涜者かっ!」
慌ててリョクが声をかけるが、それを遮って蜘蛛族のリーダーがマリオを睨みつける。
「見れば脆弱な人族ではないかっ。人族が我らの聖樹を傷つけるとは許しがたいっ。死をもって詫びるがいいっ」
「おっと」
言うなり襲い掛かってきた鋭い爪をひょいと躱すと、マリオは周囲に聞かせるように声を張り上げる。
「春になっても花が咲かないのは、葉を茂らせ過ぎて水不足になっているからです。ですから余分な葉や枝を落としました。
これは木を守るためにしたことです。冒涜するためではありません。
それは僕の庭師の誇りにかけて誓います」
凛然と言葉を綴るマリオに、うるさいとリーダーが叫び返す。
「口では何とでも言えるわっ。お前の言う通りならばすぐに花が咲くはずだろうっ。証として咲かせてみせろっ!」
「おい、いきなりそんなこと出来る訳が…」
「分かりました」
「へ?」
マリオを庇うように前に出たリョクだったが、続けられた言葉に唖然とする。
「勝手に安請け合いすんなっ。どうすんだよっ」
「まあ、見てて」
そう言って笑うとマリオは皆が見つめる中、聖樹へと歩み寄った。
「弱ってるところをゴメン。でもみんな君の元気な姿を見たがっているんだ。
だから少しだけ頑張って」
小さく呟くとマリオは幹に手を添え、緑魔法の【活性】と【開花】を放つ。
すると見る間に枝に数多くの小さな蕾が生えてきた。
やがてその中の一つが白い可憐な花をつけると、二つ、三つと続き。
「おお、花がっ」
「聖樹の花が咲いたぞっ」
その様にどよめく虫人達の前で次々と花が咲き出し、すぐに満開になった。
「…綺麗だな。まるで八幡宮の御神木みたいだ」
名木として有名な橘の木の様を思い返し、それに勝るとも劣らない聖樹の姿に感嘆の眼差しを向ける。
「そう言えば橘の実は常世の国から持ち帰った『不老不死』の妙薬だって伝説があったな」
そんなことを呟くマリオの背後から蜘蛛族のリーダーが焦った声で詰問してきた。
「き、貴様はいったい何なのだっ!?」
「通りすがりの仮…じゃなくて庭師です」
「こんなことが出来る者がただの庭師のはずがなかろうっ」
「えっと…」
大変返答に困る質問にマリオはポリポリと指で頬を掻いた。
「此処は我にお任せを…」
すると珍しくイツキが他者の前に姿を現し、マリオに右手のグローブを外し高く掲げるよう指示する。
言われた通りに右手が上がったことに頷くと、イツキは朗々と言葉を紡ぐ。
「この紋章が目に入らぬか。このお方をどなたと心得る。
畏れ多くも『緑の王』マリオ・タチバナ様なるぞ。
王君の御前である。頭が高い、控えおろう」
「なんでイツキがそのセリフ知ってるのさっ」
予想外の事態に、思いっきり突っ込んでしまうマリオだった。




