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「……ん?」


 翌日、学校に登校すると、涼の机の中に一通の手紙が入っていた。まさか、これは下駄箱に仕込まれている事の多いという、ラブレターか?

 兎にも角にも、開けて見るのが一番だな。


「放課後、体育館裏に来て。香織」


 ラブレターだな。


(しかし何を今更こんな遠まわしに言うんだか?)


 と涼が思案していると、誰かに横腹を突付かれた。


「おおう、ラブレターですか?」


「芹沢さん……そんなんじゃないですよ。ちょっと体育館裏に来い、って指示があっただけです」


「え?」


「大方、明日にはぼろぼろの姿で登校してると思いますけど、何ででしょうね?」


「ちょ、ちょっと行くの!?」


「……嘘ですよ。ただのラブレターです」


「なんだ――ってラブレター!?」


 面白い人だ。反応の一つ一つが大袈裟で周囲の注目を集めている。と、涼が内心で笑っていると、芹沢が真顔で涼の顔を覗いた。


「えっと……告白されたら受けるのかな?」


「そうですね……美人だったら受けますね」


「受けるの!?」


「嘘です」


「嘘なの!?」


「あ、でも、芹沢さんだったら受けるかも」


「え……ちょっとやだ……。瀬川君ったら」


 芹沢が頬を赤らめる。涼はその様子を見て半歩下がった芹沢の手を両手で掴んだ。すると、芹沢が驚いた顔で涼を見てきたので、涼は芹沢と視線を合わせながら顔を近づけた。


「本気ですよ」


 芹沢の顔がこれでもかという位に赤くなり、頭から湯気をぷしゅぷしゅと立てていた。その様子を見て、涼は一言。


「冗談です」


「冗談かよっ!?」


 面白い人だ。


×     ×     ×


「それで手紙でわざわざ呼び出して、何の用?」


 指定通り、放課後に体育館の裏に行くと怪訝な顔付きの香織と何故か悲しそうな顔をした一美が居た。

 体育館の裏――それは右手に体育館が、左手にフェンスがあり、前後を囲まれたら逃げ出すのが困難な私刑リンチには絶好の場所。

 ……そう考えると怖いな。


「昼休みは随分と無視されたけど、人前だと話せない話?」


 昼休みだけでなく、中休みや合同授業だった時にも涼は香織に手紙の事を聞いたが、全て無視された。

 またそれだけでなく、普通の会話すら適当な相槌を打たれたり、切り上げられたりした。

 ちなみに一美は近づいただけでも逃げられた。


「ええ、瀬川君にとっては人前だと難しい話かもね」


(……瀬川君?)


「どうしたの香織? 名前で」


「その前に、私が先に幾つか質問させて貰うわ」


 香織の顔つきが険しくなったと思ったら、急に優しげな顔になった。


「ねぇ、涼。初デートの事を覚えてる?」


「……ああ」


 嫌な予感がして、背筋に冷たい感触が走った。


「……質問一、待ち合わせ時間は何時だったでしょうか?」


 これは……疑っている。どうしてだ? 昨日までは完全に信じていたはずなのだが。


「早く答えて」


 ――知らない。知るわけがない。例え覚えていたとしても、それは『記憶を失う前の自分』であって、今の自分は覚えていない。

 しかし、ここは何とかして切り抜いて、何故か無くなった香織の信頼を取り戻さなければいけない。

 こういう質問の場合は『忘れた』が一番だ。


「はは、香織……初デートとは言え待ち合わせ時間は覚えてないよ」


「確かにそうね。してもないデートの待ち合わせ時間を覚えている訳が無いわよね、瀬川君」


「……!」


 思わず涼は一歩後ずさりした。……最初から鎌をかけていたというのか。


(くそっ!)


 涼は心の中で悪態を付く。どうしてだ? どうして香織にばれた!?


「瀬川君、君の過去の事――記憶喪失だって事は一美から聞いたわ」


 ちらりと一美に目をやると、一美が申し訳なさそうに顔を俯けた。


「そっか……ばれちゃったんだ」


「……本当に記憶喪失なの?」


「ああ、そうだよ。覚えてる限りでの最古の記憶は三年前――君の前から姿を消した年だね」


「何で……何で嘘付いたの!?」


 香織が涼の襟首を掴む。その目には既に堪え切れていない涙が流れていた。余程悲しくて悔しくて腹が立つのだろう。

 そこで涼は思った。一層の事、もっとその悲しみを、悔しさを、苛立ちを爆発させてやろうと。


「……面白かったからさ。名前も分からない女の子が感動の再会を果たして喜ぶ様が、騙されているとも知らずに親しくしてくる様が面白かったからさ」


「貴方……!」


「残念だったな。ま、此方としては面白かったから良い――!」


 涼が言葉を紡ぎ終わる前に香織は涼を殴っていた。不意の一撃に続いて、香織が殴ってきたが、涼はそれを捌くと同時に香織の腕を取って捻りあげると、香織の頬を一発叩いた。

 香織が驚きの表情をするが、直ぐに鋭い目付きで涼を睨んだ。


「叩かれるばかりは嫌なんでね。……これでお互い様だね、香織」


「下衆が……涼の真似をするなぁ!」


「真似、ね」


「そうよ! お前なんか所詮は偽者の涼だ! くそっ、くそっ、涼を返せ! 返せえええ!」


「……うるさい女だな。少し黙っていてくれ」


 涼が掴んでいる腕を更に捻ると、香織が苦痛に顔を歪めた。


「さて一美、一体どういう経路で香織に記憶喪失の事を喋ったんだ?」


 急に声を掛けられてか、それとも今の涼の姿を見ていたか、一美は体をびくっと震わせた。


「そ、その前に香織を離してくれ――離してあげて下さい」


 思わず涼は苦笑した。同級生相手に、それも昨日まで親しかった相手に敬語になるとは。言葉には出していないが、僕の事が怖いのだろう。沈黙は金、雄弁は銀とは言ったものだ。足が震えている。


「分かった」


 涼が香織の手を離すと、香織は力が入らないのかその場に尻餅を付いた。それを見て一美が近づこうとするが、一瞬だけ涼を見ると、足を止めた。

 一体、今の一美の中で『瀬川涼』という人物はどう描かれているんだか。


「それで、どういう経路で話したの?」


「あ、はい。香織に私と涼君の出会いを聞かれたんです。出会ってから涼君との遊んでた事を話している内に、香織が『私の知っている涼とは違う』って言って」


「それで、記憶喪失の所為じゃない、って言ったんだね?」


「……はい」


 その後に香織が記憶喪失について詳しく聞きだして、疑いを持ち始めた、という訳か。成るほどな。


「……一つだけ香織に聞きたい事がある」


「何よ!」


「以前の僕は……どんな性格だった?」


 涼が悲し気に言うと、香織がハッとした顔をした。


「や、優しくて、一緒に居ると心が温まる様な人間だったわ。今の貴方と違ってね!」


「そう……」


「……」


「最後に一つだけ香織に言いたい事がある」


「?」


「……騙していて悪かった」


「……」


 そう言って、涼がその場を立ち去ろうとしたが、一美に声を掛けられて振り返った。


「何?」


「その……ごめんなさい」


「いや、いいよ。じゃあね」


 涼は一美に微笑みかけると、踵を返して今度こそ本当に去って行った。


×     ×     ×


「ひっく……涼……涼! 涼! 涼ぉぉぉ!」


 涼君が立ち去った後、私の目の前で香織が声を上げて泣き始めた。本当は今の『瀬川涼』が、自分の知らない『瀬川涼』だとは信じたく無かったのだろう。

 それにしても、先程の涼はあいつ等に似ていた。あの目付きに口調、香織に手を上げる素振りまでそっくりだった。


(もしかして、あの瀬川涼は……)


 と、一美はそこで冷静に状況を分析している自分に気付き、酷い吐き気を覚えた。そして目の前で泣いている香織を見て、途端に罪悪感に襲われた。


(私が言わなければ、私が言いさえしなければ、こんな事にはならずに済んだのに……)


「ひ、一美。何泣いてるの?」


「え?」


 何時の間にか泣き止んでいた香織に声を掛けられて気付いた。止まる気配がなく涙が目から次々と溢れては頬を伝って落ちていた。


「一美……」


 香織が立ち上がった所に、私は香織の胸に飛び込んで泣き続けた。本当は私が香織を慰めなければいけないのに、私が慰められている。

 私は何て弱いのだろう。


「香織、香織ぃ、ごめんね! 私が余計な事を言わなければ……!」


「何言ってるの一美。……確かに、涼と再会出来て話せて、触れられて、嬉しかったし、今の涼とでも別れて凄く悲しいけど、一美に教えて貰って良かったと思ってる。だって、私が好きなのは昔の涼であって、今の瀬川君じゃないからね。だから、もうそんなに気にしないで」


「香織……ごめんね、ごめんね!」


「もうそんなに気にしなくていいったら。それよりも、私、気になる事があるんだけど、聞いてくれる?」


「な、何?」


「今の瀬川君って記憶喪失であんな風になっちゃったんでしょう? なら、記憶を取り戻せば以前の涼に戻ると思うの」


 言われてみて初めて気付いた。確かに記憶を取り戻せば、以前の自分の性格や体験した事、全て取り戻せる。そうすれば、元に戻る――という表現は可笑しいけど――かも知れない。

 そこで一美は心の底から奮起が湧き出した様な気がして、香織の手を取ると強く握り締めた。


「香織! 私手伝うよ。一緒に記憶を取り戻させてあげよう!?」


「一美……ありがとう!」


×     ×     ×


「はあ……」


 先程から溜息を吐いては止まらない。そしてその溜息に合わせるかの様に、涙もまた流れていた。あの場を去った後からずっとそうだ。

 そんな涼が校舎近くまで来ると、見なれた顔があった。涼は腕の部分のブレザーで涙を拭くと、その人物に駆け寄った。


「お久しぶりです、遠山とおやまさん」


「ん? おお、涼君じゃないか! ……どうしたんだい、目が真っ赤だけど泣いていたのかい?」


「あ、いえ! ちょっと目に塵が入っちゃって」


「そうか、どれ見せてご覧」


 遠山が涼の目を開いて覗く。

 遠山と涼は以前、中三の頃に一美と遊んでいた小屋で出会い、当時の遠山さんは建築会社に勤めていた。何でも、あの小屋を見掛けて以来、安全の為とはいえ、無償で崩れない様に補強してくれたり、いわゆる簡単なリフォームをしてくれたのだ。

 今もこうやって真摯になって心配してくれるし、相変わらず良い人だと思うが、何故かこの人と合う度に頭痛に襲われる。その度に涼は心の中で謝っていた。失礼な人間だと自分で思う。

 と、涼が今回も心の中で謝っていると、調べ終わったのか遠山が目から手を離した。


「塵はないみたいだけど……本当に塵が目に入ったのかい? 言いにくい事だったら無理にとは言わないけど、溜めるよりかは吐いた方がスッキリするよ」


「あ、いえ、本当に塵が入って痛くて目をこすってたから、赤くなっちゃったんですよ。ご心配掛けてすみません」


「いや、謝られる事じゃあないよ」


 遠山が大きな手で涼の頭を撫でる。涼は思わず笑みが零したが、遠山もそれを見て笑った。やっぱり良い人だ、と涼は思った。

 そこで遠山の頭を撫でていた手が離れていくのが、何だか愛しく思えて自身の二十センチは高い遠山を見て、ふと気付いた。


「そういえば、遠山さんはどうして此処に?」


「ちょっと私用で用事が合って来てたんだ。人と待ち合わせをしてたんだが、少し早く来てしまってね。無作法だとは思ったんだが、校内を見てたんだ」


「あ、良ければ案内しましょうか?」


「有り難い申し出だが、生憎もう見終わっちゃってね。すまないね」


「いえ、気にしないで下さい!」


「さて、じゃあ私は人と合いに行くから、じゃあね」


「はい!」


 涼は遠山が校庭へと歩いていくのを見送った。しかし、私用で人と待ち合わせという事は、建築関係では無いのだろうか?

 まあ、考えても分かる範疇ではないか。早く帰ろう。

 夕方の学校と言うのは中々薄気味悪く暗くて、ほどよい感じに怪奇的な雰囲気をかもし出している。人が居れば大した事は無いだろうが、ここは定時制の無い学校の為に全日制の生徒が帰ってしまうと、がらん、としているのだ。だから、度々角から人が出てくると、びくっとしてしまう。

 そんな事を何度か体験して教室へ入ると、自席に座り帰りの用意をした。基本的に置き勉はしない為に、今日みたいに持ってくる教科書が多い日は重くて堪らない。


「さて、帰るか」


 あの二人が既に帰っている事を祈りながら下駄箱まで来ると、もう見慣れた顔が『待っていました』と言わんばかりに立っていた。


「何してるんですか、生徒会長?」


「女子を殴った男子を注意する為に待ち伏せしてたの」


 一体どこで見てたんだか。まあいい、今はもう早く家に帰って休みたい気分だ。適当に話を切り上げよう。


「早く見つかると良いですね、それでは」


 ほとんど棒読みでそう言うと、涼は琴乃の隣を過ぎようとした。が、琴乃が涼の左手を捻り上げてそれを制したばかりか、涼の頬を一発叩いた。


「その生徒はこうして女子に暴行を加えたらしいわ。……生徒会室に来てくれるかしら? 行かなければその時の写真をばら撒くけど」


 琴乃が涼にネガを見せ付ける。一体この人は本当にどこに居たんだか。とりあえず、ネガは奪うにしても、此処は素直に従うとしよう。


×     ×     ×


「それでさっきの男とはどういう関係なの?」


 生徒会室に連れて来られた涼は、てっきり本当に香織との件を叱られると思いきや、先程から琴乃は遠山の事ばかり聞いてくる。入って席につくや否や聞いてくる物だから、ネガを奪う事も香織との件についても気を逃してしまった。

 涼は琴乃の考えている事を思案したが、結局分からず仕舞いで淡々とした琴乃の質問に答える事にした。

 しかし、先程から凄い丹念に事細かく聞いてきて、それを一言も漏らさない様にメモしている。

 やがて質問する事が終わったのか、琴乃はメモをブレザーの内ポケットに入れた。


「それで、何がどうして遠山さんの事を聞くんだよ? まさか、琴乃って中年好み?」


 と涼がおどけた調子で隣に居る琴乃に言うと、琴乃が机を思い切り叩き、机が悲鳴を上げた。


「いや、冗談なんだが、そこまで怒る事も無いだろう?」


「冗談でも言って良い事と悪い事があるわ。それに」


「それに?」


「私が殺したい程憎んでいる相手を好きになる訳が無いじゃない」


「……は?」


 一瞬、思考が停止した。殺したい程憎んでいる? 一体何がどうして?


「だから、殺したい程憎んでいる相手を好きになる訳が無いって」


「いや待て。待てよ。お前何言ってるんだ? 何故お前があの人を憎んでいる?」


「……写真」


 写真? そういえば以前に二人の男女が写った写真を見せられたな。それで『殺して頂戴』とか言っていたが……まさか。


「あの写真の男性の方が、遠山さんだというのか?」


「ご名答」


「顔が随分と違うんだが?」


「整形」


「……つまり、琴乃が殺したがっている人物というのは」


「遠山――いえ、本名は瀬川琢磨、貴方の義理の父親よ」


「な……遠山さんが僕の父親?」


「そうよ。もっとも貴方は記憶喪失で分からないし、信じられないでしょうけど」


 遠山さんが僕の義理の父親? 有り得ない……とは言い切れないが、信じられない。もし仮に義理の父親だったとしても、どうして僕に会った時に何も言わない? 僕が目覚めた時に祖父の家に居て、あの人の家には居なかったんだ?

 考えても分からない事だらけだ……。いや、一つだけ明確な事が分かっているか。


「信じる信じないはともかくとして、どうして僕の義理の父親を殺すつもりなんだ?」


「憎んでも憎み切れない程に憎んでいるから」


「……そんな事は絶対にさせない」


「そう、ただ一つだけ涼に言っておくわ」


「何だ?」


「貴方の記憶喪失――それは瀬川琢磨の所為よ」

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