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「そうですか。そういった事情があったのですね」
私と同じ位の歳の男の子が、怪我をした足を治療しながら話かけてきた。優しい人だな。し、しかも間接キスまでしちゃったし……こ、これはもうお嫁さんに行くしか――
「……よし。これで大丈夫かな。どうですか?」
私が莫迦な考えを起こしていると何時の間にか手当ては終わったようだ。ふと足に目を向けると足にハンカチが巻かれていた。
「え? あ、はい、大丈夫です。ほら、この通――痛ッ!」
「うーん、包帯も何も無いですから無理は出来ないようですね。応急手当では限界がありますし……そうだ!」
「どうかしました?」
「この山の下り方、分からないのですよね?」
「はい」
「では、嫌でなければおぶって行きますよ」
「えぇ!? 嫌ではないですけど、そんな悪いですよ」
「良いですよ。ほら、困った時はお互い様、ということで。どうぞ」
男の子が背中を向けてきた。ちょっと恥ずかしい。
「……じゃあ、失礼します。んっ」
うわぁ、大きい背中。こうしてると小さい頃に親にして貰った時を思い出すな。とても温かくて、頼もしくて、優しい背中。そんな事を思っていると私がペットボトルを離さないでいたためか『それ全部どうぞ』と言ってきてくれた。いただきます、そう言ってから再び喉を潤した。やっぱり美味しい。
「あ、そういえば、お名前をまだお聞きしていませんでしたけど、何と言うのですか?」
何となく沈黙の状態で歩を進められるのが嫌だったので、名前を尋ねてみた。あ、こういう時は自分から言わなければいけないのに……今日は失態ばかりだ。
「瀬川涼、と言います。浅瀬の瀬に――」
「瀬川!?」
「え? はい、そうですよ。知っているのですか?」
相手は対して気にしていなかった様で普通に応答してくれたけど……瀬川って、まさか『あの』瀬川? 思わず吃驚しちゃったけど、何とかごまかさないと。もし、もし『あの』瀬川だった場合、絶対に私の正体がばれる訳にはいかない。絶対に。
「い、いえ。ただ、その……友人に同じ苗字の方が居たので吃驚しちゃって」
何て下手な嘘なんだろう。自分でそう思う。だけど相手は気付いていないのか、振り向きかえりもせずに歩を進めている。
「そうですか。それは驚いたでしょうに」
……ごまかせた? 相手も何か不思議な口調になってるけど、ここは聞かなければいけない。そんな使命感が私を襲った。
「失礼ですけど、涼さんはこの山について詳しいようですが、ご両親と一緒にここの近くに住んでいるんですか?」
「……住んではいますが、親とではありません。祖父とですね」
「親はどうなさっているのですか?」
「……親は二年前にどちらとも亡くなりました」
「あ……ごめんなさい」
「いえ」
沈黙。ああ、私の馬鹿。初対面でこんなに良くして貰った人に何を聞いているんだ。私のばかばかばか。でも、あと一つだけ聞かなきゃ。この人があいつ等の息子だとしたら……この優しさも全て嘘、ということになる。
「あの、失礼なことを聞いた上で申し訳ないのですが、ご両親の名前は?」
「……」
再び沈黙。しばらく待ったけど、口を開く気配が無いようだ。でも、答えて貰わなければ私が困る。
「どうかしましたか?」
「知りません」
「え?」
「両親の名前は知りません」
「知らない!?」
一瞬、ふざけてるかと思って強い口調で尋ねてしまった。すると涼は笑っているのか、くすくすと声が聞こえた。一美は腹の中で何か熱い物が煮え立つのを覚えた。
「どういうことですか!?」
「どういうこと、と申されましても言い辛いのですが」
「知らない訳ないでしょう!?」
「……知らない――正確には憶えていない、でしょうか。どうしてか、それすらも憶えてなくて。すいません」
「え……あの、もしかして記憶喪失ですか?」
「多分、そうなのではないでしょうか? 気付いたら祖父の家に居ましたし。ああ、勿論、祖父と言っても本当の祖父かは分かりませんので、そう呼ばせて頂いている方の事です」
そういって彼は此方を向いて苦笑した。そんな涼の顔をみて、今度は罪悪感が一美を襲った。ああ、何て馬鹿な事をしたんだろう。今すぐにでも謝ろう、そう決意した一美だったが、それを言う前に涼は顔の向きを戻して歩を進めてしまった。
「さて、寒くなってきましたね。急いで帰りましょう」
「あ、あの……」
「はい?」
「私の名前、まだ教えていませんよね?」
「そういえばそうですね」
「私、水木一美、と言います。助けて貰ったのに、色色と失礼なことを聞いて申し訳ありませんでした」
「いえいえ、構いませんよ。それにしても一美さんですか。素敵な名前ですね。美人にぴったりの名前です」
「えぇ!? び、美人? 私が? お、お世辞にしても程がありますよ!」
「お世辞ではありませんよ。本音です」
「あぅ……」
私の体温が著しく上昇していく。こ、この人ったら、もうっ!
「あの、涼さん」
「何でしょう?」
「また、会えますか?」
「はい、会えますよ。僕は休日の昼頃にはこの山小屋に居ますので、来てくださればいつでも会えますよ」
「そうですか……では、また明日会いに行っても良いですか?」
「勿論です。おもてなしの準備をして待ってますね。あ、でも足は無理しないで下さいね」
「はい!」
涼君はやっぱり優しくて素敵な人だ。少しでもあいつ等の息子と疑ってしまうなんて。絶対に違うに決まっている。違っていて、欲しい。そう想いながら、一美は涼の背中に縋るように頭を乗せた。
これから涼君に会うのが楽しみだ。ああ、早く明日にならないかな、そう願いながら私は目を閉じた。
× × ×
「……み……ひとみ……一美!」
「ん……なあに?」
「なあに? じゃないわよ、一美が寝ている間に入学式終わったよ?」
「え?」
「ほらぁ! いつまでも寝ぼけてないで行くよ!」
「行くぅ……? どこに?」
「はあ……。教室よ教室! 月島先生が先導してるから、ほら、行くよ!」
「あ、待って、香織!」
× × ×
入学式を終えて、私のクラス――一年四組の担当の先生だという月島先生に教室まで案内された。先生は生徒達を適当な席につかせてから、騒いでいる生徒達に『静かに』と制してから、話し始めた。
「初めまして、月島千里です。一年四組の担当で、担当教科は国語。まあ、一部の項目を除いて入学式は静かにしてて良かったわ。流石、高校生ってところかな?」
月島千里先生か……優しそうな先生だな、と思っていると横腹に感触があった。香織だ。
「月島先生、優しそうな人だね」
「そうだね、今度は良い先生みたいだね」
「うんうん。中学校の時は最悪だったよねー。あの教師、マシンガントークで何言ってるか分からなかったよね」
「ふふ、そう――」
ふと視線に気付く。月島先生がこっちを凝視している。
「君達、話聞いてた?」
「あ、その……聞いて、なかった、です」
「そうか、そうか。じゃあ、もう一度繰り返して話してあげるから黙って聞いとけよ?」
月島先生の命令形の言葉に、一美は言葉が出ず、その代わりに了承の意、こくりと頷いた。どうやら香織も同じだったみたいで、顔を合わせたらお互いに苦笑いをして、小さく『怒ると怖いね』と言って来た。
「じゃあ、そこのおバカ娘二人のためにもう一度話すけど、この学校には文化祭が8月にあります。だから、入学早々だけど準備をする段階は早いって事は知っておいて。あと、中学校にもあったかと思うんだけど、この学校に万が一不審者が入ってきた場合に備えて、不審者が入ってきたぞー、って知らせる放送があるから。その場合は速やかに体育館に移動して下さい。その放送のキーワードは『エコ集会』だから覚えてといてね。じゃあ話は以上! 各自気をつけて帰ってね」
先生の言葉の終わりを合図に、クラスにざわめきが戻ってきた。中には先程の先生の態度を見ていながら、勇気があるのか『先生、お歳はいくつですか?』『独身? それとも結婚してるんですか?』などと聞いている人も居た。
私は私で、香織と一緒に文化祭早いねとか、おバカ娘って……と話しながら教室を出た。
ほどなくして階段まで来ると香織が立ち止まって、何故か目を輝かせながら私の方を向いた。
「どうしたの?」
「ねぇねぇ。屋上、行って見ない?」
「え? でも、立ち入り禁止だよ?」
「気にしない、気にしない。ほら、行くよ!」
「あ、ちょっと!」
屋上に行く、行かない以前に鍵かかってると思うんだけどなぁ。
……ま、まあ、とりあえずは香織を追いかけよう。
× × ×
「うー……」
屋上、照る太陽がアスファルトを暖めて、少し熱く感じるが、時折来る春風が心地良いのでそのまま寝る事にした。しかし、しばらくすると背中に汗が滲んできて気持ちが悪くなったので、隅に作られた給水塔を登って流れる水の音を聞きながら柵と給水等の陰で涼む事にした。
高校生活初日、入学式に遅れてしまった涼は、本来並ぶべきである一年五組の列に並ばせて貰えず、見知らぬ先生の隣で鎮座していた。かなり年配の方で『何で遅刻したの……? あ、そう。で、何で遅刻したの?』とかずっと同じ質問をされ続けた。あれは完全に定年を迎えているのではないだろうか?
まあ、そんな入学式を終えて、HRも終えた後は立ち入り禁止と書かれたプレートが貼られた屋上の扉を開けて、適当な場所に寝転んでいた。勿論、昼寝が目的だ。一応『屋上から景色を見たいんです』とか言って鍵を借りてきたものの、鍵は掛かってなく、骨折り損になってしまった。
そう考えると、だんだん返しに行くのが面倒に感じてきた。まあでも、涼しい日陰で春風を感じながら眠る事が出来るのだから、良しとしよう。
「じゃあ、お休みなさ――?」
と寝転がろうとした涼の耳に扉が開く音がした。誰か来たのか? 立ち入り禁止のはずなんだけど……。
涼は慎重に跪座した状態で柵に近づいた。この給水塔は柵があるから、跪座した状態なら見つからないはずだ。やがて、柵に辿り着くと少しだけ頭を出してみた。
どうやら扉を開けたのはショートカットの女子。見るからに風紀委員みたいだけど、本当に風紀委員とかだったりしないよね? その風紀委員(みたいな人)は、辺りをきょろきょろと見回している。傍から見たら明らかに挙動不審な人物だが、風紀委員だとしたらパトロールという事も十分に有り得る。というよりそれしかないだろう。
しばらくすると、風紀委員(っぽい人)はパトロールを終えたのか扉の方に振り返った。
「お努めご苦労様でした」
と手を合わせて陰ながら見送ろうとすると、その風紀委員(としか思えない人)は何を思ったのか、口を動かし始めた。それも内緒話の如く全く涼には内容が聞こえてこない。
(……もしかして発見されていたのか?)
見つかった場合の退路を確保しようと給水塔を調べ始めようとした涼の耳に聞きなれた声が入った。
「か、香織! や、やっぱり不味いよ」
「そんなにおどおどしなくても、大丈夫だって。何も初日から風紀委員も先生も此処には来ないでしょ。それに、見つかったとしても鍵が開いていたので、なんて言い訳するから」
「そ、そういう問題じゃなくて……」
「もうっ! 相変わらず一美さんは真面目で臆病な人ですね?」
(一美? まさか、あの一美か?)
涼は再び柵から少しだけ顔を出して見た。そこに居たのは、あの時の水木一美に間違い無かった。
「だって、先生とか風紀委員さんに見つかったら大変だよ。言い訳なんて通用しないって」
相変わらず臆病だな、と柵の陰で涼は笑った。あの小屋の出会いを通して一美とは何度も遊んで分かった事の一つだが、一美はかなりの臆病者だと言うこと。正確には、真面目でお化けとかオカルト地味た物が苦手な可愛らしい女の子なだけなんだけど。それにしても、あの風紀委員(に酷似した人)は風紀委員ではなかったのか。
(なら……そうだ。久しぶりだし一美を脅かしてやるか)
「香織、早く戻ろうよ。今ならまだ見つかってないし、大丈夫だから」
「へぇ〜」
「な、何よ」
「一美も案外に悪いねぇ。見つからなかったら良いんだ?」
「い、いや別にそういう事じゃなくて……」
今だ、とタイミングを計って立ち上がった。
「そうだ、見つからなかったら良いと思ってるのか!? それともこの風紀委員――瀬川涼の目を盗めると思ったのか!」
「え!? あ、その、えと……ごめんなさい! ……え? 瀬川……涼?」
一美は直ぐに頭を下げるなり、数秒してから訝しげな顔をしながら、顔を上げた。隣に居る香織という女の子も反射的に頭を下げていたが、直ぐに頭を上げて僕の顔を見るなり、何か思案する様な表情で黙り込んだ。微かに口が動いている様な気がするが、此処からでは何を言っているのかは全く分からない。
とりあえず、涼は給水塔から飛び降りた。相変わらず、香織という子はぶつぶつと呟いたまま此方を見ているが、何を言っているのか分からないので無視した。
「久しぶり一美。無事にお互い合格した様で何よりだね」
「久しぶり涼君。本当にお互い合格出来て良かった。でも、入学式の時には居なかったよね?」
「ああ、それは入学式早々に遅刻しちゃってさ、自分のクラス――五組で一美とは別なんだけど、そこに並ばせてもらえなくて教師と同じく体育館の壁際に立ってたよ」
「初日から遅刻しちゃったんだ? 早くも教師から目を付けられるかもね?」
「はは、それを言われると辛いね。ところで、隣の人は一美の友達? さっきから何か呟いてるみたいだけど」
え? と涼に言われて初めて気づいたのか一美が香織の方を向く。どうやら普通ではない様子だと察したのか、名前を連呼するが全く反応しない。
「あのー初めまして。一美の友達ですよね? 僕、瀬川涼って言います」
先程までの一美の声に反応しなかった香織が、涼の声が届いたのか口の動きを止めて涼を凝視した。一体何なのだろうか?
「あ、貴方、瀬川涼って言うの?」
「はい、貴方の名前は?」
「そう……涼が、やっと涼に会えた……」
どうやら僕の質問は無視されたらしい、というより聞こえてないらしい。それよりも、『涼に会えた』という事はずっと僕を探して居たのだろうか? 僕は芸能人でも無ければ著名人と言った類の有名人ではないし、この子との面識も初めてなのだが。
「あの、僕達、以前どこかでお会いしましたか?」
「……え?」
「え、と、だから以前どこかでお会いしましたか?」
「何……言ってるの? 私よ、楠木香織よ!? ほら、中一の前半の頃――私達付き合ってたじゃない!」
「楠木香織……。中一の頃……? えぇ!? 僕と貴方――」
「えっ、嘘!? 涼君と香織って付き合ってたの!? もしかして、中一の半ば頃にあんなに落ち込んでたのも……?」
涼の声を掻き消して一美が叫ぶ。そうか、この子は……。
「そうよ。だって急に涼が転校して、連絡もつかなくて、本当に悲しかったのよ!?」
香織という女の子の必死な形相の訴えに少し罪悪感を覚えた。しかし、それを決して顔には出さず、涼は真摯な表情をすると言葉を選んだ。
「ごめん、香織。あの時は連絡も何もしなくて本当にすまなかった。だけど、こうして再び会えて嬉しいよ」
「涼……」
「あの時は本当にすまなかった。幾らでも僕の事を責めても殴っても良い。でもそれよりも、僕は再会出来た香織と仲良くしたい。……駄目かな?」
慎重に言葉を選び、なるべく『彼女』を傷つけない様に涼が言うと、『彼女』は手を上げて涼の頬を一発叩いた。
(失敗したか……?)
一瞬頭に最悪の形がイメージされるが、どうやら違うらしく、香織の顔は清々しいまでに笑っていた。
「これで、許してあげる。これからはちゃんと傍に居てよねっ!」
「あ、ああ。分かってるよ、香織」
香織が涼の胸の中に飛び込んできたので、涼はそれを受け止めると背中に手を回して抱きしめた。ひとまずは安心、と言った所だろうか?
ふと、何やら熱い嫉妬が絡んだ様な視線を感じた。……一美の存在を忘れていた。
「お二人共お熱いですね。再会するなり抱擁ですか? 私が居なかったらそのままキスしちゃいそうだね?」
「ひ、一美!」
一美の言葉に香織はビクッと体を震わせると、一美の存在を思い出したのか涼を突き飛ばす形で離れた。
「あー良いよ良いよ、お二人さんはそのままイチャイチャしてて。お邪魔物は帰るとしますか」
一美が振り返って入り口から出ようとすると、何故か一美は入り口を見たまま硬直した。一体どうしたんだろう? と涼と香織が顔を合わせながら一美を呼ぶも反応しなく、硬直したままである。すると、不意に一美の代わりに誰かが返事をした。
「入学式――高校生活初日から立ち入り禁止場所に入って何をしているかと思ったら、不順異性交遊ですか?」
その声の主は噂の優雅で気品のあると言われた、(クラスの男子曰く)学校屈指のアイドル兼生徒会長――月島琴乃だった。