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ネクタイが曲がっていない事を確かめ、制服に皺が出来ていないか確認して、よしっ、と頬を叩いて気合を入れる。しかし、まだ入場前だというのに、今から心臓が早鐘の様に鼓動して止まらない。
見上げれば清清しい晴天の空。まるで今日を持って高校生になる人達を祝福するかの様に咲いている桜。
パチパチパチ、と体育館の中から拍手が聞こえて、前の列が入場していく。それと共に、更に鼓動が早まって行くのが手に取る様に分かって、全身に緊張が走る。そんな一美の背中に突然、衝撃が走った。
「大丈夫、一美?」
「か、香織! はぁ〜、吃驚させないでよ」
溜息を吐くと共に一気に緊張が解けていった。相変わらず悪戯好きな親友だと思う。
「ごめん、ごめん。でもさ、緊張しっぱしも良くないよ? リラックス、リラックス」
香織が可愛い笑顔を見せながら一美の顔を引っ張る。痛い痛い。
「……そうだね。有難う。よし、もう大丈夫! だから、もう引っ張らないで?」
「このもち肌を離すのには抵抗が……まあ、いっか」
そう言って香織は手を離して、笑った。相変わらず可愛い笑顔だと思う。付き合い始めた当初とは比べ物にならない位に可愛い。
中一の後半、いつも明るく元気だった香織が何故か凄く落ち込んでいた。あの頃の香織は、絶望と憎悪の塊の様な感じがして、見ているだけで凄く辛かった。そんな香織を、一美は元の香織に戻したい、その一心で慰め続けた。その結果、香織は元の明るい香織に戻って、一美との仲も深まって今ではすっかり親友だ。
(でも……何であの時の香織は落ち込んでいたんだろう?)
そういえば、と一美が香織に尋ねようとすると同時に自分のクラスである一年四組が動き始めてしまい、聞きそびれてしまった。また後で聞けば良いか、そう思い一美は思考を放棄して入場する事に集中した。
緊張していた割にいざ入場して席に座ると、周りは同級生の人に囲まれていて、シーンと静かだけれども想像していた以上に遥かに落ち着けて、あんなに緊張していたのが馬鹿らしくなってきた。
しかしそんな静けさも嘘の様に、プログラムの半ば頃を境目として、急にざわめき始めた。どうやら、噂の美人で大人びた生徒会長の登場らしい。美人って言ってもそこまで騒ぐ事ないのに、そんなになのかな?
そんな一美の思念を吹き消すように、生徒会長がタンタン、と階段を登る姿から舞台の中央に来るまでの歩く姿、どれを取っても優雅で気品のある大人にしか見えなかった。し、しかも飛び切り美人さんだし。
「皆さん、初めまして。生徒会長を務めさせて頂いている、月島琴乃、と申します」
――正直、男子が騒ぎ立てるのも無理がないと思う。身体的な美しさ、というのもあるけれど、何かこう存在そのものが美麗に感じる。ああいうのを妖艶、というのだろうな。
隣に居る香織が『全く、男共が……』と言っている傍ら、私の脳裏にとある男の子が思い浮かんだ。
――瀬川……涼。
涼君もこういう女性が好きなのかな? 同じ高校に入ったらしいけど、何組だろう。私の命の恩人、涼君はどこにいるのだろう……? 急に気になり始めて、一美は辺りを見回し始めた。
× × ×
「私のばかぁ……」
転ばぬ先の杖で、方向音痴な一美は今度の遠足で行く樹海(近くの山だけど)で迷った時の為、皆と逸れた時の為に、前もって下見に来ていた。入る前は『私は何て賢いのだろう』、そう思いながら鼻歌まじりにこの樹海へと足を運んだ。
ただ、一つ一美は勘違いをしていた。それは下見で迷ったら対策のしようがない、ということだ。現在、一美は迷子の子猫状態である。
周りにあるのは木、木、木、どこを見ても木だけだ。十月の中頃、秋と言う事もあって、たまに得体の知れないキノコを見つけては、はしゃいだりするものの、当然の如く何の役にも立たなかった。
とりあえず、めげていてもしょうがない、適当に歩いてみよう。そうすれば運良く出れるかもしれない。そう思って踏み込んだ一歩、見事に草の蔓に足を取られて倒れてしまった。
「……ぐす。だ、大丈夫、泣かないもん。まだ歩ける――痛っ!」
うぅ、足を挫いちゃったみたい。これじゃあもうそんなに歩けないよぉ……。ど、どこかに休める場所――あった! 古いけど休憩所の小屋みたい。とりあえず行ってみよう。
× × ×
負傷した足は小屋にたどり着くと限界を越えたのか先程の数倍の激痛が走っていた。
それにしても随分古びている。誰も居ないし……色色と大丈夫なのかな? でも、ここしかないし、とりあえずどこかに座ろう。と言っても、硬そうなソファが一つ部屋の中央にぽつんと置いてあるだけだけど。しかも何故か緑茶が置いてあるし。何か不気味だけど、ひとまず座ろう。
「……ボスン、ボスン」
やっぱり硬い。でも、この足ではもう歩く事は出来ないし、とりあえず、ある程度の痛みが引くまで此処で休む事にしよう。
それにしても安心したら喉が乾いてしまった。ここに来るまでに用意した飲み物は飲み終えちゃったし……あるのは直ぐ隣にある、この緑茶だけ。
――ごくり。凄く美味しそうに見える。でも、これ賞味期限――は全然大丈夫みたい。
辺りを見回す。……誰も、居ないよね? よし。
「ん……ぷはっ、やっぱり喉が渇いてると美味しい」
もう一口とは言わず、全部飲んじゃって良いよね?
いただきます――と再度口を付けた瞬間。ガチャリ、と入り口の扉が開く音がした。目を向けてみると、一人の少年が呆然と立っていた。
「あのーそれ僕の何ですけど……しかも一度飲んだのですが……」
……間接キス?