ひとつの願い
この世界は魔素を元に動いている。全てのものには魔素が宿り、魔素は魔力とも呼ばれては魔法を操る。
だが、せいぜいは少し火を出したり水を出したりする程度で、偉大なる魔法使い等人間の中にはいない。生命維持に必要な分しか持ち得ない。何故なら魔素が身体中を巡り喰い破るように外に溢れてしまうから。
ある夜、ある小さな村で子どもが産まれた。
「ほら、もうちょっとですよ。踏ん張って!」
「…う、ぎゃぅうぅぁあああぁ」
「はぁっ…産まれ、たの…?かわいい…?」
母親は涙を流しながら、産婆もやっとの想いだったというのにその子を見た瞬間悲鳴をあげた。
「あ…ぁああぁぁぁああああああ」
「…嘘、魔物だなんて…嫌……いやぁぁぁあぁああああ」
それはその子どもがあまりにも多くの魔力を持っていたから。この世界において魔力を大量に持つ人間など存在したことは一度と存在したことはない。異質なそれは、異質を嫌う人間達にとって、同じ人間等ではなかった。
幸せだったはずのその家族はたった一人の我が子によって不幸のどん底に落とされた。母親は精神が病んでしまい、慰める父親を包丁で刺し殺した後に同じように自害した。結ばれたばかりの新婚は、もうこの世界を見ることはなくなった。そう、我が子を置き去りにして…
村では、小さなそれをどうするかを村人総出で話し合った。この世界は極稀に強い魔物や魔王が誕生するだけで、それ以外の脅威など自然以外にありはしなかったのだから。あまりに非日常的なことに、誰もが対処しかねていた。
「殺そう、あんなの人間じゃない」
「だが、まだ小さい赤子だ」
「見てないからそんなこと言えるんだ」
「魔物なんて村には必要ない」
殺すと決まった小さなそれは誰に抱かれるでもなく、まだ独りぼっちで泣いていた。村人が近づくにつれ、泣き声は大きくなっていった。
「…なんて気持ちの悪い…魔物なんかここ数百年出てなかったのに……」
振り上げた大きな剣を、赤子の頭に振り下ろした。泣かなくなった赤子、ぐしゅっと言う剣が突き刺さる音、骨があるのか疑わしい程に柔らかい肉の感触…辺りは血が飛び散った。
「ふんっ、魔物なんて死んで当然だ」
剣を抜くと赤子はビクビクしながら力尽きた、ように思えた。
「……は…ありえねぇ…確かに、刺したはずだ…」
平和な世界で生きた村人達にとって魔物のイメージは「大量に魔力を持つ凶暴な化物」だが実際は「大量に魔力を持つ限りなく不死に近い生物」である。
故に大量に魔力を持つ赤子をただの村人が殺すことなど出来やしない。
殺せない化物は、その身に罵声を浴びながら陽を見ることなく地下牢に閉じ込められた。誰もがそこに逢いにいくことも、抱きしめることも、食事を与えることもしなかった。時が経ち泣いてばかりだったそれは、いつしか泣かなくなった。小さかったそれは、いつしか小さくなくなった。
もう何年経っただろうか。村人達は、たまたまやってきた商隊から「魔力を多く含むモノは貴族が喜んで欲しがる」ことを聴いた。考えたのは、閉じ込めた化物のこと。…目や臓器は高く売れるのでは無いか、どうせいくら取っても死にはしないし、死んだのならそれで問題ない、と…
向かった地下牢に居続けたそれは大きくなっていた。
「死んでなかったのか」
「相変わらず気持ちが悪いな」
「とっととやっちまおう」
「何を取るんだ?ついでに死んじまえばいいのに」
「とりあえず目玉でいいんじゃないか?珍しい黒瞳だ」
大きくなったとはいえ食事をしたこともなく、陽を見たこともなく、言葉を知らないそれは、ただ白く骨と皮のように細かった。村人達は逃げない様に3人がかりで押さえつけ、ゆっくりと、眼球を傷つけないように慎重にナイフを挿れた。目蓋もついでとばかりに切り落とし、血に染まる眼球を神経ごと引き摺り出す。力加減が分からないもので、片方は力を入れすぎて不様に簡単に潰れてしまった。
「…ぁ………っぅ……………」
それはわけがわからないまま、突然に押さえつけられ、泣き声以外一度も発声したこともない喉で、声にならない声をあげた。
なぜ、僕は死なないのだろう。
商隊は、驚きつつも喜んで目玉を買い取った。それは苦労して獣の皮を取るよりもひどく簡単に儲かった。味をしめた村人達は次々と商隊に売り込んだ。爪、髪、舌、歯、皮膚、内蔵、血、腕、脚…
どんどん温かくなる懐とは逆に、それはどんどん冷たく弱っていった。
なぜ僕は死なないのか、こんな扱いを受けるのか、失った手足がまた生えてくるのか。ねぇどうして?僕はただ、普通に生きたいよ…
それは、傷の修復される度に魔力を感じられるようになった。
貴族に目をつけられた村は、それを寄越せと兵達に攻めいられた。家に火をつけ、村人を切り、金目の物を漁った。
地下牢にも、火は回ってきた。初めて火を見たそれは「全てこうやって消えればいい」と、魔力を込めて願うと、その通りになった。
辺りは近くの山々を消し去り、一面の焼け野原。村人は兵に殺され誰一人残っては居なかった。殺した兵は、強力な火の魔法によってこれまた一人も残っては居なかった。そして一人、化物は初めて陽を見ては虚ろな瞳から涙を零した。
「なぁ、お前がやったんだろ?俺と一緒だな」
「ぁ…ぅ………??」
「…なんだ、言葉がわからないのか?」
「…ぅ?」
「お前は……辛かったな、おいで。俺が全部教えてやる」
初めてそれに笑いかけたのは、それと同じ大量の魔力を持つヒトだった。
それはそれではなくなった。化物でもなくなった。
「名前ないの?…綺麗な瞳だな、お前の名前、今日から濡羽にしよう。俺はなー、漣」
「…ぬぅは…?さぁなぃ…?」
「うん、そうだ。ぬれは、さざなみ。俺達の名前だよ。化物なんかじゃないんだ」
漣と出逢ってから、濡羽の世界が色付いて見えた。言葉を知って暖かい世界を知った。初めて食べた食事も、初めて知った外の匂い、景色。魔力のこと、魔法のこと。家族の温もりを知った。初めて生きていてよかった、楽しいと思った。
漣は、人間から魔王と恐れられる存在だった。そして、自分と同じように魔力を持つ動物達を集めては何千年も守っていた。濡羽は、自分を玩具のように売り捌いた村人の方が魔王のように思えた。
「ねぇ漣、僕はね、漣と出逢えてなかったら今頃死んでいたかもしれない」
「ははっ、魔力持ちはそうそう死なないぞ」
「うん。でもきっと、こんなにも綺麗な世界だって知らなかったらずっと、心が死んでいたと思うんだ」
「…何があったか、聞いてもいいか?」
全てを話した。
「……濡羽。濡羽、産まれてくれて、ありがとう。きっと、俺達と逢うために産まれてきたんだ。これからはもっと綺麗なとこ連れてってやるから」
黙って抱きしめ合った。
それからも毎日一緒だった。動物達と戯れ、食事を作って、一緒に笑い合って、色々な所に出掛けた。毎日が輝いていた。
でも、幸せな時は、残酷にも終わりを告げた。大量の魔力を用いて勇者召喚が行われた。皮肉にも召喚されるのに使われたのは、濡羽の身体。そして勇者は、大量の魔力を持ち、強大な魔法を持って魔物を殺し目の前に現れた。
漣は、濡羽を逃がそうとした。けれど、濡羽は漣を置いて逃げることはしなかった。世界でたった二人だけの魔力持ちは、また独りぼっちになることを望んでは居なかった。
「魔王!お前もここまでだ!」
「確かに魔王って勝手に呼ばれてるが、俺にだって名前はあるし、人間だ」
「嘘をつくなよ、化物め。人間を殺しておいて」
「そうだよ、魔王なんていない平和な世界にすべき」
「僕達は、人間を襲ってない!!襲うのは何時だって人間だ!」
「お前らが人間を襲うからだろう?」
「違う!人間は、とても汚い…!僕はっ」
「濡羽!!言わなくていい、そんなこと忘れていいんだ…なぁ、俺達のどこが化物に見えるのか、教えてくれないか?」
「は、時間稼ぎか?とっとと殺して俺は元の世界に帰るんだ」
「…待て、様子がおかしい」
「私も、早く帰りたいのよ!お母さん達に、会いたいの…!!」
勇者は三人だった。男二人に女一人。一人は話が通じそうだけど、あと二人は駄目だった。
先に動いたのは、男勇者。大きな炎の龍が二人に向かっていく。漣が氷の盾で防ぐと同時に濡羽を風魔法で遠くに飛ばした。
「…や、漣!!!!」
「…一人で余裕ってか?上等だ。りー、あっち追いかけろ」
「了解」
「余裕かはわからないけど…行かせたくないんだ」
辺りを一面凍らせる。
「……っ、やるじゃん」
そこからは勇者二人に対して漣一人で戦った。ひたすら魔法のぶつけ合い。
どうして、漣は僕を飛ばしたんだろう。ずっと一緒って、約束したのに。
濡羽がこの場所に戻るまで続いたそれは、濡羽の目の前で漣が四方から貫かれることで終わりを告げる。
「漣!!!!!!」
「…ぬ、れ……」
「ちっ、しぶといな」
そして漣は完全に氷漬けにされた。
「いや…さざなみ、さざなみ…嘘だ…また、笑ってよ………」
「お前もすぐ送ってやるよ」
「待て」
戦わなかった勇者が、二人の勇者を止める。
「なんだよ、もうちょっとなのに。大体さっきも戦わないで」
「…なぁ、あれを見て化物だと思うか?俺はそうは思えないんだ」
「確かに人間くさいけど、見てきたでしょ?来るまでの荒地も、貧しい村も」
「どの世界だって戦争はする」
「うるさいな、とっとと殺ろうぜ」
濡羽は、氷の上から漣を抱きしめ涙を流した。世界の全ては漣だった。漣が居たから色付いて、輝いて、楽しく過ごすことが出来た。漣が、救ってくれたから今がある。漣が居ない今、この世界に価値などない。
あぁどうして…僕が何をしたの?ただ漣と、この人と一緒に生きたいだけなのに。
「……滅べばいいんだ、こんな世界」
思わず呟く。
「やっと本性出したな、糞野郎」
「なのに……漣はこの世界が好きだって、言うんだ……ずっと、一緒だ…」
濡羽の周りを氷の粒が取り囲む。
「…死のうと、してる…?」
「なんで、化物が泣いてるの」
「っ、待って!!君は、君達は本当に人間なのか!!」
濡羽は笑う。その瞳は涙をこらえ、憎しみと愛しさに溢れていて、感情が読み取れない。
「魅せてあげる、僕の人生を。教えてあげる、君達が魔王だと呼ぶ、漣のことを。人間の、醜さを」
言うやいなや、濡羽は氷で己を包み込み、勇者達の頭の中に記憶を送った。とても、幸せそうな顔をしていた。
漣…お父さんって、言えなかった。言いたかった。ずっと、傍にいる。ずっと、一緒だよ。
魔王と思っていたものが、化物だと聞いていたそれが、自分たちと同じ魔法を使える人間だと知った勇者達は、その記憶の過酷さに一様に嘔吐し泣きじゃくった。
「俺達…ただの…人殺しじゃないか…」
「うそ、いや、いやぁ…」
「…予想はしたけど、こんなむごい…」
女勇者は耐えきれずに精神を壊した。
「ぁぁああぁああああぁぁああぁ」
男勇者達は漣と濡羽に合掌した後、この歪んだ世界を滅ぼした。
「ごめんなさい、濡羽さん、漣さん」
「これでよかったかな」
「…こんな世界より、もっといい世界があるんだ。ここを好きでいるより、どこか別の所で幸せになって欲しい」
「……そうだな、俺達も結局帰れないし…逢いたいなぁ。弟、まだ泣き虫なんだ。俺がいないと駄目で駄目で…」
「………俺も、母さん残してきたんだ…」
三人しか残っていない世界、二人の会話。もうこの世界は永くは持たない。そして、帰ることなど出来はしない。
……声、聞こえてる。僕、まだ死んでないんだ。漣、漣起きてる?僕今ね、すごく幸せなんだ
………うん、聞こえてるよ、濡羽。あいつら、いい奴らだな。元の世界に、返してやらないか?
……ふふ、漣は誰にでも優しいんだから…もうこの魔力を使ったら、本当に死んじゃうよ?もう本当に残ってないんだ
……俺もだよ。もう、死んだようなもんだし、濡羽を巻き込むのは嫌だけど俺一人じゃ難しくてな
……うん、もちろん協力するよ。仇をとってくれたみたいだし。ねぇ漣?
……ありがとな。どうした?
……今までありがとうね、お父さん
……っ、ぁ。濡羽…俺いい父親だったか?
……当たり前だよ、お父さん
……そうか、そうか…また、逢おうな
……今度は本当のお父さんになってよね
勇者達を光が取り囲む。
「っなんだ!」
「死ぬのか…」
「……私は悪くない、私は悪くないんだ…」
一人の勇者がこっちを見た。
「…ありがとね」
ひっそりと、濡羽が微笑んだ気がした。