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べんとうをとどけるおつかいのぐりむてききけんせい

 日はすっかり中天に懸かり、北国の秋ながら結構な強さで容赦なく照りつけた。

 おそらく100kgを超える重量の岩を、手押し車に満載。その車自体も分厚いオーク材で作られたごつい代物とあって、村までの距離を半分残す辺りで俺は既に相当へばっていた。 


「クソ、見栄張らずにもう少し少なめに積むんだった」

 毒づきながら、手を離しても勝手に転がっていかない程度の勾配の場所を探し出して、そこで車にもたれかかり、犬のように口をあけて荒い呼吸を繰り返す。

 喉が渇いた。スポーツドリンクでも炭酸飲料でも、冷たい飲料なら何でもいい。飲みたい。

「あっちだったらこの辺に自販機が立ってて、ゴミ箱が空き缶でいっぱいになったところに、投入口ふさいで不躾なストローつきカップがはめ込まれちゃってるんだよな」

 埒も無いことを連想する。21世紀の日本は考えてみれば恐ろしく贅沢な世界だったのだ。正直、今はただの水でもありがたい。


(そういえば弁当の類は持って来て無かった)

 村にはインゴルフがいるはずだ。年齢から考えて、彼はフリーダの祖父か何かに当たるのだろうと思われる。おそらくこの石を彼の元へ運んだら、水かあるいはミルク、それに携行性のいい食糧を渡されて放牧地へ戻ることになる、そういう段取りなのではないかと思う。

 

 だがとにかく村まで戻らなければ話にならない。


「ううううううううぅぅううぅうぉおおおおんどりゃあああああ!」

 ステージでの癖でついデスボイスで叫びながら、一旦上りになる小道を、車の荷台に直接肩をつけて押し上げる。道の中央部にはちょうど車輪二つにはさまれる形で草の根に抱え込まれた固い土が残っていた。それを足がかりに無理やりに上っていく。

 大体750ccのバイクを押して山道を行く感じだ。たまに吹き付けてくる突風が今度は心地よく、有難い。


 村に近づくにつれて、「ベェー、ベェー」といった感じの鳴き声が辺りに響いていた。時折「ピーッ」と魂消るような悲鳴が混ざる。餌の乏しくなる冬に備えて、余分な羊を肉にしてしまうらしい。ちょっとしたお祭り騒ぎだ。フリーダには悪いが少し見物していくことにした。

 男二人ほどで羊を広場まで引き出してくる。羊が血の匂いをかぎつけて少し暴れるが、男の一人が素早く足払いをかけるとあっという間に地面に押さえ込んでしまった。ヘッドロックのような体勢で頭を押さえ込むと、大き目のナイフで頚動脈を掻き切った。血が噴き出し、辺りの地面が赤く濡れる。


 しばらく足をばたばたさせてもがいていた羊が動かなくなると、腿の付け根辺りの毛を剃り、そこに小さな傷をつけて息を吹き込む。すると皮と肉の間に空気が入り込んでパンパンに膨らんでいくのだった。

 ナイフを入れて、腹側を開くようにして皮を剥ぎ取っていく。内臓を抜き取り頭を切り落とし、蹄やそのほか余分なパーツを取り去ってあっという間に羊の枝肉が一丁上がり。解体が済んだ肉は持ち主がそれぞれ家へ持ち帰った。


「すげえなあ」

 残酷とかショックを受けるとか言うより、俺はただただその手際のよさに感心してしまっていた。無駄や迷いの無い洗練された動作と、慈悲深いとまで思わせる速やかな処理。俺もここでずっと暮らすとしたら、あの手際を身につけなければならないだろうか。いささかぞっとしないが。


 そういえば、羊の腸。弦に金属線を使わないガットギターという物があるが、あのガットと言うのは確か羊の腸からとる材料だ。作り方の詳細がわからないのが残念に思えた。


(……ああ、俺はまだギターを諦められていないのか)

 因果なことだと思う。受験の最中でも、多いときは一日六時間くらいぶっ続けでギターをいじくりまわして親の顰蹙を買ったものだ。親には俺が今のようにまともな職にも就かずに、人生を棒に振るのが予想できていたのかもしれない。

(ああ畜生、それでも俺は好きだったんだよ、音楽が。好きなんだよ今でも。仕方ないじゃないか)

 インゴルフの家への短い道すがら、誰かの家の庭先で女たちが黙々と、羊の腸を丹念に洗っては解体で出たくず肉や内臓、それに血液を詰め込んでソーセージを仕込んでいるのが目に入り、俺は頭を振って途を急いだ。



 インゴルフは家の裏手の日の当たらないところで、大量の粘土をこねていて、石を運んでいくと相好を崩して迎えてくれた。

 手招きして南側の日当たりのいい場所へ荷車を先導する。そこにはどうやら何かかまどか、あるいは焼却炉のような物を石組みで作りかけているようだ。荷車をそのあたりに停めると、老人は家の中に入ってすぐ戻って来た。


 デイパックほどの大きさの、口を紐で絞るタイプの袋を手渡される。そっと口をあけて中をのぞくと、予想通りどうやらこれが俺とフリーダの昼食らしい。

 燻製にした魚に固めのチーズ、直径10cmほどの丸いパン。蓋のついた縦長な桶も渡された。発酵した甘い匂いがする。


「Takke!」と耳で何度か聞き取った感じの発音をまねて感謝をあらわすと、どうやら通じるには通じたらしい。だが石をその場にガラガラとあけ、もう一回分もってこい、と手振りで命じられた。午後も楽はさせてもらえないようだ。

 少し日が傾いた午後の斜面を、放牧地に向かって急いだ。腹が減ったがフリーダに渡すまでは我慢しよう。なんとなくそう思う。

 一人で食事をするのはいろいろと荒むし寂しいものだ。こんな娯楽の乏しい時代に来てしまうとなおさらだ。

 タイムスリップなどと言う突飛な観念を自分がいとも簡単に受け入れてしまっている事に少々驚く。だがこれは現実なのだ。

 さっきの岩壁の下辺りまで来ると、様子がおかしいことに気がついた。羊の群れがバラけ過ぎている。普通はあまり遠くへ行かないよう、群れからはなれる個体を誘導したり連れ戻したりするものではないのか。開けた地形なのに、見回してもフリーダの姿は見当たらない。


「フリーダ!?」

 手をメガホン代わりにして呼んでみる。岩壁に反響して俺の声が辺りにこだました。


フリーダ


フリーダ


フリーダ――


「Ert tetta tu, トール?」


 いた!


 崖からさらにやや西の方角、少し下から聞こえてくる。草が伸びて足元が見えない場所が増えてきたので、速度を落とし慎重に進んだ。砂状に風化した石が所々に吹き溜まっていて、足をとられそうになる。

 腰を落として、常に何か草や潅木の枝に手がかりを確保しながらの、緩慢な歩調がもどかしい。


「hatte!」

 不意に足元から声がした。気がつくと20cmほど先で、草の根に隠れて3mほどの低い崖が口を開いている。そこにフリーダがいた。

 足を折ったらしい雌羊が一頭、傍らにいる。この辺りで曲がりなりにも下へ降りられそうな場所と言えばそこより他に無く、崖の下の小さな開けた空き地は周囲を見通しの悪い森林にふさがれていて、元いた放牧地へ戻るルートは、容易なことでは見つかりそうに無かった。


 フリーダは羊を下から押し上げて助けるつもりなのか、必死に立たせようとしているが、羊はベエべエとだみ声で無くばかりで、根が生えたように座り込んだまま動こうとしない。

 彼女自身だけでもと思ったが、崖にはあまり足がかりになりそうなポイントが見当たらない。


「こりゃあ、まずいなあ」

 とにかく彼女に弁当は渡さないといけない。俺が村に帰って救助を呼ぶにしても、食料が僅かでもあるかないかで、救助されるまでの猶予時間が変わるだろう。

 ここは北欧で、しかも晩秋なのだ。屋外に夜吹きさらしでカロリーを補うものもなしに取り残される危険性は想像できた。

 それにしても俺もいい加減喉が渇いたし、腹も減った。自分の分を先に取り分けておこうと、袋の口を開けた。パンとチーズ、魚の燻製を取り分け桶の蓋を開ける。度数の高そうな、むせかえるような香りがした。

「うわ、なんだこれ……蜂蜜酒とかいうやつか?」

 エールにすればいいのに、なんでこんな物を。却って喉が乾きそうだ。それでもないよりはまし、と袋の中の小さな角杯をとり、一杯汲んで恐る恐る口をつけた。

 日本酒と同じ位のアルコール度数だろうか。あまり飲まないほうがいいかもしれない。しかし口当たりはなかなかのものだ。結局俺はもう一杯角杯をあおってから蓋を閉め、袋に収めて紐を伸ばし、フリーダのほうへ吊り下げて降ろした。


 だがそれがまずかった。もう少しのところで俺は上半身を空中へ乗り出しすぎ、僅かに勾配のついた崖を、フリーダのほうへ滑り落ち始めたのだ。


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