表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

あんすへいむのむら

 船が進むにつれて視界が晴れていく。そこは湾口を西に向けた、小さなフィヨルドの入り口であるらしかった。ヴァイキングたちは再び甲板にマストを立てはじめていた。


 アルノルに促されて、俺は他に四人の男たちと共に位置についた。船尾方向から声を掛け合いながらロープを引き、帆桁ヤードをマストの途中まで吊り上げる。

 そこでそのロープを操作して、帆にかかる風圧を受け流すようにヤードを船体の軸に対して斜めに(マスト横の支索に触れないぎりぎりまで)回す。 男達のロープ捌きは巧みで、アルノルの号令も手馴れたものだ。だがこっちは初めての作業に掌の皮がもっていかれそうになった。


 帆をまとめるロープを一気に引いて解くと、帆脚(帆の下辺)を船に固定するための入り組んだ索具の束とともに、帆布は騒音を立てながら甲板へ向かってなだれ落ちるように拡がった。

 後方からの風を受けて帆が膨らむ。それにあわせて一気に帆桁をマスト上部の定位置まで引き上げる。

 まるで大砲のような破裂音とともに、その手織りの重く巨大な布は、後世の板金鎧の胸当てのようなカーブを描いて固く張り詰め、船に推進力を与えた。いまやオールは役目を終えて甲板に引き上げられ、船は順風に乗って湾の奥へと優雅に進んでいくところだった。

 

 海岸が近づくにつれ男たちの表情から緊張が取れ、軽口や哄笑が飛び交っている。おそらくこの場所が彼らの本拠地、我が家のあるところなのだろう。

 その推測を裏付けるように、船が水路に沿って大きく進路を変え、風を岩山がさえぎる形になるにつれて、あたりの空気には潮風と針葉樹のヤニの香りに混ざって、木を燃やす煙と雑多な食べ物の匂いが漂い始めた。


「Ansheim!」

 マストに上った男がそう叫んだようだった。またどっと歓声が上がる。進路にはフィヨルドを囲む急峻な山のすそに、張り付くように広がる集落が見えた。


 太古に氷河が削り取った地形らしく、彼らの「港」は遠浅で、ごく喫水の浅い船でなければ接岸することが出来ないものだ。船はそこへ軽やかに乗り上げ、男たちは帆をたたむ役目の者を数人残して、待ちわびたように船べりを越え、ひざ下までの水の中にためらいも見せずにとび降りていった。

 集落からは大勢の人間が歓声を上げながら港へ小走りでやってくる。老人と子供、女、それに何人かの、何らかの理由でこの航海に参加しなかった男たち。


 船の甲板となって船倉を覆っていた板が何枚か取り外され、そこに収められていた積荷が陸揚げされた。穀物らしい布袋や太い柱のように巻かれた色鮮やかな布、装飾された刀剣、貴重品を納めたものらしい重そうな箱などが見て取れる。集まった住民たちは手に手にそれらの財物を携えて、集落へ向かい始めた。

 分配はもっぱらホルガーが指図して行っているようだ。彼はまだ年若く見えるが、おそらくはこの村における実力者であり族長なのだろう。


(どうやら掠奪の帰りらしいな)

 俺はそこで自分の身の上について、はじめて不安を覚えた。ヴァイキングの掠奪においては、捕虜を奴隷として連れ帰る事例が多い。

 俺は捕虜ではないはずだが、扱いとしては難船者や漂流者に近い物になるに違いない。彼らはいったい、そういう不慮の事態で自分の保護下に入った人間に対してどういう扱いをするのだろうか。


 あまり明るくない見通しにひとしきり頭を煩わせていると、船を桟橋に舫い終えたホルガーが、野太い声で俺を呼んだ。

「トール!」

 彼は手招きや背後に回っての小突きで俺をどこか特定の方向へ向かわせようとしている。手首や腰に縄をつけられないだけ、まだ希望的観測がもてるかもしれないが、言葉が通じないのはなんとも微妙な気分だった。


 前方に目をやると、まだ子供っぽさを残した顔立ちの娘が一人、各々の住居へと戦利品を持って戻る人の流れからやや離れて立っていた。


「フリーダ!」

 ホルガーがその娘に手を振って呼びかける。親しげな様子から見るに、血族の一人なのだろう。

「Hver er madurinn?」

 フリーダはなにやら咎めるようないぶかしげな様子で、ホルガーに話しかけた。尻上がりのイントネーションから考えると、何か問いただしているようだ。不機嫌な甲高いトーンでフリーダがひとしきりまくし立てると、ホルガーは決然とした表情でフリーダに告げた。

「Eg tok upp a siglingu tetta undarlega mann. Tessi madur er ekki trall」


 それを聞いたフリーダの表情には明らかな落胆が浮かんだが、続けてホルガーが何事かしばらく優しげな口調で諭すと、いくらか気を取り直したようだった。


 フリーダを先頭に、なにやら大きな荷物――おそらくフリーダの力では運べない物――を肩に担いだホルガー、そして俺。三人で一列になって半割りにされた丸太で舗装された小道を通り、やや奥まった場所にある古びた家へと向かう。

「インゴルフ!」

ホルガーが戸口から家の中へ呼びかけるとすぐに応答があった。

「ホルガー?」


 頭のつっかえそうな低い戸口をくぐってる屋内に入ると、広々とした長方形の土間の中央に、むき出しの囲炉裏のような炉があり、その前には木製の簡素なテーブルと、精緻な彫刻の施されたずっしりとした椅子がすえられていた。


 椅子に腰掛けていたのは見たところ盛りを過ぎた年齢の、しかし岩のような印象を与える長身の男だった。彼がインゴルフなのだろう。

 膝の上に据えた黒光りのする硬材の塊に、彼は手にしたノミのような刃物で丹念に加工を施していた。

 

 テーブルに作りかけの作品と道具を置くと、静かに立ち上がって訪問者へ近づき、感極まった様子でホルガーと抱擁を交わす。

 笑いあう二人のよく似た声が悦ばしげな会話を彩る様子に、自然と俺も口元に笑みを浮かべたが、ちょうどそのとき、おそらく7時間近く飲まず食わずで放置された俺の空っ腹が盛大に鳴り響いた。


 幸いなことにインゴルフもフリーダも、同じ屋根の下にいる人間を絶食のまま放っておくほど無情な人間ではなかった。

 土間から一段高くなった床に席を与えられ、しばらくするとフリーダが何かの肉の入ったスープと麦の粥のようなものを俺の膝の前に運んできた。


(食っても?)

 そんなニュアンスを目に浮かべて――意図どおりの表情になっていることを祈りながら、膝の前の食物を指差し、ホルガーとインゴルフの顔色を伺う。

 二人は鷹揚な笑みを浮かべてうなずいて見せた。


 どうも羊肉らしい。独特のにおいがやや鼻についたが、喉に通らないほどのことではない。何より、この数ヶ月しだいに乏しくなる貯えに戦々恐々としながら、切り詰めた食生活を営んできた身としては――

(美味い!)

 カップラーメンでさえ定価では贅沢に感じる、そんな生活を想像してみて欲しい。だが俺の目の前には今、子供の握りこぶしほどもある骨付き肉の塊がいくつも、氷山よろしく水面からごく一部を覗かせている。

 若い娘の目の前であることもほとんど念頭になく、俺はその食事を貪り食った。舌の上で溶けた獣脂がねっとりと転がり、香草と塩で程よく味付けられたスープが喉を滑り落ちる快感に身をゆだねた。

 粥には何か乳製品が加えられているらしく濃厚な味だが、繊維質の多い穀物でそれほどしつこさが無い。幾らでも食えそうだった。


 空になった木椀を差出し、お代わりのリクエストを身振りで伝えると、フリーダがあきれた顔で俺を凝視したが、肩をすくめるともう一杯持ってきてくれた。ささやかな幸福感が胃の腑から拡がっていく。


 俺の立場がもう一つはっきりしないのは不安だったが、いつしか疲労と満腹感で俺はそのままその場に体を投げ出し、床炉の熱を心地よく感じながら眠りに落ちていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ