ふぇあうぇる、じんせい
――詰んだ。
寒さがそろそろ洒落にならなくなった晩秋の夕方。空を見上げながら、俺は呆然とため息をついた。
俺――熊倉トオルは九州生まれの三十歳。職業はドラッグストアのレジ係。いや、正確にはレジ係だった、というべきか。三か月前にその仕事は失った。
今は無職だ。借金が無いだけまだましなのかもしれないが、蓄えがあるわけでもなく、手持ちの資金は底をつきかけていた。定収入が無いのでは、まともな金融業者である限りは融資などしてくれない。
その日、俺は求人情報サイトで見つけた人材派遣会社の説明会に出ていた。取りあえずの仕事内容は、住宅地を歩き回ってのテレビアンテナ設置状況調査。早い話、翌年に控えていた地上波デジタル放送への移行に先立つ、地固めというところだ。
すぐにでも働いて初日から報酬を受け取れるような文言の広告だった。だが会場で話を聞いてみれば、実際に派遣されるのは二十日後からで、報酬の支払いはさらにその一ヵ月後という実情が突きつけられた。
出勤は現地からの最寄り駅に集合、送迎のバンに乗り込んでから現地へ。つまり、他にはろくな交通機関の無い不便な場所だということだ。
そしてとどめに、実際に仕事をする期間はたった十日。日給から考えるとせいぜい10万かそこらを稼げるだけ。そのあと何か仕事があるかは不明。
(何だ、こりゃあ)
説明を受けるにつれてどんどん明らかになる、求人広告との差異。聞けば聞くほど話がしょっぱくなっていく。高層ビルの一フロアを借り切った会場には、俺よりずっと年配のおっさん達も引きつった顔で並んで座っていたが、彼らが暴れ出さないのが不思議だった。
(帰ろう、時間の無駄だ)
財布にはもうあまり金も残っていなかったが、これは駄目だというしかなかった。拘束時間が長く、スーツ着用その他、仕事をするための条件もやかましいのに、ただでさえ安い給与の支払日が遠すぎる。その間にかかる経費で逆に干上がってしまいそうだ。
「何かほかに質問はありますか」
苦労と縁のなさそうな若い女性スタッフが、柔らかな非情さを貼り付けた顔でそう言った時、俺は荷物を手に、ことさらに静かに立ち上がっていた。
「え、どうされました?」
「いえ、もういいです。失礼します」
これ以上ここで茶番に付き合うのは業腹だ。配られた資料をホワイトボードの前の卓にそっと返して、俺はその会場を足早に立ち去った。
誰も止めなかった。
さて、いよいよもってどうしようも無くなった。骨身にしみるような風が吹き始めた夕暮れの街中を駅に向かって進む、俺の足取りはさすがに力なく重い。怒りも落胆も不思議なほど感じない。ただただ乾ききった無力感とともに、俺は自分の人生がクソったれだったという結論を噛み締めていた。
まあ誰が悪いわけでもない。原因はひとえに俺自身の甘さと怠惰、地に足のつかない性分だったのだから。
高校時代に洋楽にかぶれてバンドを始めたのがそもそもの始まりだ。大きな図体(余談ながら身長は185cmある)の割りには小器用だった俺は、ギターを選んだ。
そのときのバンドはまあ、高校卒業とともに影も形も消えてうせたのだが、なまじそこで燃焼し切れなかったモノが、大学に進んでから、よりいっそう拗れていびつな花を咲かせたのだ。
どちらかといえば残念な首都圏の大学3校の有志が合同で作った軽音楽サークルで、趣味の似通った同士が集まって結成されたバンド。それが俺の青春を形作った「GoatCounter」だった。
プレイするのはそのころ北欧をベースにマニアの人気を集めた、ヴァイキングメタルやペイガンメタルといったジャンルの音楽だ。ネットで人気の動画サイトで、「異臭騒ぎ」などというおかしなタグをつけられているジャンルといえば、解っていただけるかもしれない。
「Goat Counter」は、学生バンドとしては比較的幸福な経過をたどったバンドだった。曲がりなりにも教育学部の音楽コースで、ピアノとエレクトーンを学んでいた女子メンバー、矢部ケイコがいたおかげで、次第にコピーバンドから脱却して、近隣のライブハウスを賑わす程度にはなった。
専門の音大にこそ在籍していなかったが、才女というのは彼女のような女性のことだろうと思う。譜面の入手できない楽曲を、さほどの苦労もなく耳コピーで書き取って見せたし、泥臭いブルース・ロックからテクノ風のものまで、細部にわたってアレンジに凝ったオリジナル曲を書き上げて来てくれたものだ。
それに加えてすらりとした日本人離れのした容姿。実のところ俺は相当に彼女に参ってしまっていた。
そんなわけで、俺は――俺たちは、半ば本気で将来はプロのミュージシャンとして音楽シーンで活躍するものと考えていたのだが。
人生、そんなに甘いものじゃなかった。まあ考えてみてほしい。俺たちは確かに北欧メタルを中心に「独自の」音楽性を追求しているつもりだったし、アマチュアなりに人気も得た。
だがマニアックなジャンルの音楽を知っている、知悉している、そのこと自体は悪くはないが、それは決して自分たちの才能とか天分とかと言われる物では無い。
例えるなら、いい肥料を(ほかの園芸家が使わないような)手に入れることが出来たからといって、苗木の植えられていない鉢に施しても、あるいは土の入っていない鉢に苗木と肥料だけを入れても、立派な盆栽に育つ見込みはない。そういうことだ。
早い話が勘違いをしていたのだ。俺自身は音楽理論について深く学んだわけでもなく、ギターにしてもきちんとレッスンを受けたわけではない。
才能といえるようなものはもしあったとしても埋もれたままで、磨く努力もろくにせず、ただただのほほんと、今手にしているだけの力量でのぼせあがって楽観していた。今となってはそう自覚できる。
世間で音楽CDがまともに売れなくなって久しい。世の中はどんどん進歩していく。もしも本当に才能があったら、的確な努力をするだけの才覚があったら、いつまでもアマチュアで活動を続けるバンドにはいい加減に見切りをつけ、2000年代に入って急速に進歩したDTM技術を駆使し、動画配信サイトで活動するような方法もあったろう。だが俺はといえば、気心の知れた仲間とのぬるま湯のような人間関係に浸って甘んじていたのだ。
残念ながらそうしたもろもろを俺が思い知ったのは、ケイコが故郷に帰省中、その地方を未曾有の震災が襲い、彼女の行方が知れなくなってからだった。
善後策を講じるべく連絡を試みたバンドのほかのメンバーは、ことごとく言葉を濁してバンドの存続に難色を示した。ドラムの照井は家業を継ぐと言って東京を去り、ベースの佐古は付き合っていた女性と輸入雑貨の店を出すといって結局会合場所のファミレスには顔を出さず、携帯のアドレスも数日後に抹消されていた。
そうこうするうちに仕入れ元の工場が震災で操業停止したのが原因で、勤め先のドラッグストアが廃業した。
利根川水系に属するであろう、名前も知らない一級河川の中流に架かった橋の上で、オレンジを通り越して暗いピンク色に染まった空を見ているうちに、なんだか視界がにじんだようにぼやけてきた。ああ、もしかして俺は泣いているのか。
何で在学中まじめに就職活動をしなかったんだろう。
何で根拠もなく自分の趣味を才能と勘違いしたんだろう。
何で照井や佐古は俺に相談もなくバンドが解散する想定で準備をしていたんだろう。
何で……ケイコは結局俺に一線を許してくれなかったんだろう。
答えは大体解っていた。だが頭の中でもう一度はっきりと言葉にして認識するのはイヤだった。言葉にしたら多分俺の精神はその痛みに耐えられない。
電車賃をだしてアパートまで帰ったら財布に残るのはもう1万円足らず。何年も連絡を取っていないが、実家の親父に泣き付いて九州でまじめに出直すしか無いだろうか。
大学や高校の友人が何人も都落ちして郷里に帰っているが、みなおもうように仕事にありつけず、実家に逼塞しているらしい。
ああ、イヤだ。一人で暮らしてる分にはまだしも、実家で親兄弟と顔つきあわせながら、自分がゴミクズであることを反芻することになるのか。
西の空はとうとうその最後の赤みを吹き払われて、地平線に起伏する山々の稜線沿いに薄い水色を残すだけになった。下流の方角に当たる東はもう真っ暗で、河川敷の野球グラウンドや遊歩道には水銀灯、あるいはナトリウム灯が温かみのない光をまばらに灯している。
よく晴れた一日だったが、気温が急激に下がったところに、川面から蒸発した水蒸気が流れ込んだのだろう。橋の上にいる俺のところまでひどく濃い霧がかかってきて、羽織っていたダッフルコートがじっとりと水気を含んで重くなった。
「くっそ、酷い天気になったな」
ぼやきながら駅への道を再びたどろうと踏み出したとき、耳慣れない物音に気がついた。
呼吸するほどのゆっくりしたリズムで繰り返される、共鳴を伴った打撃音。すぐに照井を連想した。バスドラムより少し高目の、太鼓の音だ。
それが、川下からゆっくりと近づいてきている。やがて霧に拡散した灯火を背に、大きな黒い物体が水面にその姿を見せた。
「何だアレは」
何か祭りでも、と思ったが、このあたりに川船を出すような祭りは無い。東京湾のあたりに観光屋形船が営業してた記憶があるが、こんなところまで上ってくるはずはないし、そういうものにしては提灯やライトのひとつも灯していないとはどういうことか。
違和感を抑えられず、膝が少し震える。やがて水を掻く何対ものオールらしき物音が加わった。短い単語で構成された耳慣れない言語のざわめきも。
橋の上、30メートルほど離れた場所を歩くカップルがその物体に気づいた様子で、何か叫んでいたようだが、俺の耳にまでははっきりと届かなかった。
俺にとってはそれはある意味、ごく親しみのあるものだった。
(ヴァイキング船だ……)
全長はおよそ20m。防水のためにタールを塗っているらしい船体は外光を反射して黒々と鈍く輝き、照明で白くあるいは黄色く変化する霧の中、船首に龍頭の飾りを高く掲げて進んでくる。
(何の冗談だよ、まったく)
自業自得とはいえ、ヴァイキングメタルに魅せられた挙句に人生をみすみす棒にふり、東京でのたれ死ぬか郷里で生き腐れるかの二択に追い込まれた男の前によりにもよって。
瞬間、カッと頭に血が上った。これが何かのアトラクションだという可能性への冷静な考慮は、そのとき俺には不可能だった。一瞬だけ、アパートの部屋に残したギターとか、パソコンの中のDTMデータ(俺だって遅ればせながら手をつけ始めてはいたのだ)が気にはなったが気づいたときには体が欄干を乗り越えていた。
「本物のヴァイキングなら、俺を連れて行ってくれ!」
少し離れた場所で悲鳴が上がったようだったが、次の瞬間俺は足元から暗い川の水面へ、しぶきを上げて突っ込んでいた。