狭間を駆ける
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夕暮れの廃墟の中でいくつものの影が動き回っている。生きている者ではない。透けた影達は〝日常〟を営んでいた。崩れかけた塔を中心にした市場では商人らしき影達が軒を連ね、女達は籠に今日の食材を詰めて家路に急いでいた。子供達は遊び足りないようで追いかけっこを町中で続けている。
一人の少年が街のはずれまで逃げ切って、一息ついた。空は暗く成り始め、落ちた日から流れだした血のような光が大地にこびりついているのが見える。冷たくなりつつある風がため息のように吹いて、存在感の希薄な少年をすり抜けた。少年は死神に触られた様に一度だけ震えた。
その赤に目を染めながら、少年は赤黒い鎧をまとった騎士がこちらへ駆けてくるのを見た。手には手綱と小振りなランスを抱えている。馬上での使用のみに特化した細い円錐状の槍からはギロチンを思わせる冷たい鉄の輝きが漏れている。その騎士の鎧は酷く濡れているように見える。兜は涙を流した様な装飾がされており、紋章の削られた鎧は傷だらけでいくつもの擦り傷から血を流しているかのように赤い光を乱反射させた。
少年はしゃくりをあげて、喉を鳴らすと街へと逃げ帰った。眉間がちりちりと傷を負ったように痛んだ。
〝そうだった。鮮血の騎士が来たらみんな殺されちゃうんだ〟
少年はぽつりと呟いた。実際、何度も何度も彼は騎士に殺されていたから。だが、知っていたからといって、痛みに歪んだ顔から痛みが引くことはないし、騎士を振り切れるわけでもない。彼が市場へ駆け込んだ時、既に火が回り始めていた。いつ、つけたのか。誰がつけたのか分からない火があふれ出し、廃墟を焼くこともなく燃え続けている。
火を見たとたん、彼は母親の死に方を思い出した。彼女はこの炎の中、商店の下敷きになって死んだのだ。肉の焼ける匂いが彼の中でぶり返してきて思わず胸を押さえた。
どさりと前に死体が転がる。薄い色をした金髪には見覚えがあった。追いかけっこの鬼だった子だ。胸には穴がぽっかりと空いていて血が溢れていて、ハシバミの瞳が何も映さないままこちらを見ている。そして、太陽と彼の間に赤い影が立った。
そして、彼の顔面に振り上げられる、無機質なランス。夕日が反射しているそれが彼の眉間に突き刺さる前に、無骨な剣がそれを跳ね上げた。名刀や芸術品とは違う、叩き上げの剣だった。腹にはいくつもの傷がついてはいるが、夕日を反射させる様は鏡そのものにも思えた。
「鮮血の騎士、覚悟」
剣とともに飛び出してきた男は短く呟くようにいうと、馬の脚を切りつけた。横転した栗毛の馬から、鮮血の騎士は飛び降り、その勢いのままランスで突きかかる。それを剣士は後ろに跳んでいなし、無造作に得物を下段に構えた。騎士もまた徒では使えぬランスを投げ捨て、剣を抜いた。赤黒い刀身からは血が流れ出て、粘性を持ったそれはゆっくりと騎士の手に伝った。
北からの風が剣士を打ちつけて、銀灰色の短髪を小さく揺らした。北方風の顔立ちで蛮族を思わせる出で立ちだった。夕日が沈みゆくにつれ、影が伸びてゆく。騎士から血がぽたりぽたりと流れていく。そして伸びきった二つの影が夜の闇へと溶けた時、踏み込みの音が響いた。
騎士が振り上げた剣を蛮人はそのまま打ち下ろす。そして、剣を押さえ込んだまま踏み込んで脚を蹴り払う。重い鎧を纏った騎士は地滑りするように転げる。剣士はそのまま体重をかけて首を突く。しゅっと血が漏れて、大地に染み込むように騎士は消えていった。
ヒュッウと短く息を吐くと剣を収めた。剣士は振り向いて先ほどの少年を見た。少年は落ち着かない様子で口をもごもごさせた。
〝あの、その……あ、あり……〟
馬の駆ける音がする。夕日が沈み込み、低い位置にある赤い月に照らされて、立ち上る煙のように鮮血の騎士が現れた。打ち出された太矢のように少年に近寄り、ランスが眉間を貫いた。そのまま、ランスを高々と振り上げて、少年を掲げたまま駆け抜ける。血の跡だけが廃墟に点々と続いた。
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赤い大地に囲まれた街に商人の声が絶えず聞こえる。荒野の真ん中に在る交易の中継地点の街ゆえだろう、活気に満ちているそのさまは剣士に昨日の様子を思い出させるのに十分だった。その中で北方風の剣士は目立っていた。背こそ高いが、年の頃は若く、実際は少年と言っていい年だ。
彼は淡々とした様子で街を歩き、小さな宿屋にゆっくりと入っていく。主人に一礼するとさっと二階へと上がった。無造作に木の板をみしりみしりと踏み、二階の一番端の扉を無造作に開ける。
「は、え、どうしたんです」
細身のいかにも頼りない青年が、本を片手に戸惑っている。少年は彼との間を詰めると見下ろした。じろっと睨みつけ、青年を威嚇している。
「切っても、切っても倒せなかった、どういうことだ、魔術師アルノー殿」
むっつりと呟いた剣士の表情に引きつったような顔をして、アルノーは答える。
「え、あーいや確かに、あの魔法をかければしばらく幽霊が切れたり見られたりするとは言いましたけど、倒せるって保証は」
「していた」
頷きながら、剣士は魔術師の肩を握りしめた。目を合わせてじっと見つめ合おうとする。アルノーの目は泳いだ。だが、むすっとしたまま剣士は目をそらさない。
「ま、まあ、ちょっと話をしましょうよ」
ベットを指して座ろうよ、と呟いた。剣士はむすっとしたまま座る。ぎしりと音が鳴り、中の藁が沈んだ。
「で、何故倒せない」
視線を外さずに剣士はにらみ続けた。しばらく頭をひねらせてから青年はお茶入れますから、と下の階へと降りていった。おそらく言い訳と騎士対策を考えるためだろう。短い間ではあったが剣士にとってアルノーという人物は信用に足るように思えていた。少々、小人物のきらいこそあるが、ある程度善人に見える。
きいっと音共に扉が開いた。入ってきたアルノーは茶を持たず、さっと席に着いた。そこからは見覚えのある黒猫がさっと入り込んだ。そしてカタカタとカップの揺れる音と共に少女が入ってきた。年の頃は十歳程で淡い金髪が特徴的だった。
昨日の昼間、旧市街の廃墟でウォアルが出会った少女だ。名はリズとでもいっただろうか。
「おはようございます、お持ちしましたよ~」
「いやあ、やっぱりウォアル君も女の子に煎れてもらった方がいいでしょう。あ、リズちゃんもそこに座ってくださいね」
にやにやとしながらアルノーは紅茶を受け取った。赤い渋そうな茶の香りが部屋の中に満ちた。その香りを心地よく感じながらもウォアルはアルノーの評価を改めていた。自分に紅茶を渡すと、ベットにぽんっと座るリズ。片手には紅茶のカップが握られていて、その膝の上に黒猫が乗っかる。
少女を利用してウォアルの勢いを削ごうとしているのだろう。実際、先ほどのように詰め寄り辛い。じろりとアルノーを見ると苦笑するような笑い方で手をひらひらさせていた。
「じゃあ、ま、対策考えますか」
その軽い様子にむすっとしながらも、ウォアルはコクリと頷いた。
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ゆっくりと朝のお茶を楽しんだ後三人は廃墟へと向かった。街の外れにあり、旧市街と呼ばれる地域では昼間から幽霊が出ている。ウォアルが街から受けたのはその排除という依頼だった。
平和そうに追いかけっこする〝子供〟達がいた。昨日も殺された少年が駆け抜けるのを眺めながら、こんな依頼を何故受けたのだろうと思い返していた。
この街に長居する気もなかったし、知り合いの魔術師とも顔をつきあわせる気もなかった。だが、リズという少女と黒猫に後ろ髪を引きずられてしまった。
昨日の夕方、彼女が助けを求めてきた。血の抜けた青い顔でとても放っておける様子ではなく、医者代わりに近場にいたアルノーと共に落ち着かせた。その中で話を聞くと、あの騎士と〝住民〟達が死んでいく様子を見てしまったそうだ。最近街で噂の幽霊騒ぎのことらしい。
面倒なことに首を突っ込む気のなかったウォアルだったが、青い顔のまま「あの人達を助けて」と訴える少女の声と、呼応する様に無茶苦茶暴れる黒猫に耐えきれなかった。仕方なしに解決に乗り出すことになったのである。
もちろん街から多少の金額の出る依頼が出ていたが、まともな人間なら受けないような少額である上、それもアルノーと折半である。普段金銭に執着のないウォアルだったが、これはあんまりだとぼやきたくもなった。だいたい折半といってもアルノーは幽霊を見えたり切ったりできるようにしただけであって、不公平な気がする。ウォアルはふと、人間は実は本能的に正義や公正を求めるものだと、どこかの賢者が言っていたことを思い出した。
そうしてむすっとしていると、自分の前を〝少年〟が通り過ぎていく。眉間を貫いたランスの冷たい光を連想させた。剣士の思考には円錐状の凶器が彼の眉間を貫き、引きずる様子がありありと浮かび上がってくる。血の舞う様に喉の奥がうずき、拳を思わず握りしめる。
「で、どうすれば倒せるんだ、奴を」
むすっとしたまま、アルノーに問う剣士。その横には不安げに少女が黒猫を抱えている。ウォアルは大きく豆だらけの手で少女の頭を撫でながら、アルノーの返答を待った。
アルノーはしばし幽霊達を眺め、目を閉じた。呼び込みをしている商人の声やそしてどこかで洗濯物をしているのだろうか、布の広がる音が聞こえた。
「考えられる方法は、いくつかあります」
立ち止まっても誰に当たるわけでもなく、〝子供〟達はアルノーをすり抜けて追いかけっこを続ける。今日もなかなか鬼は追いつかないようだ。
「一つは強さの核になってるものを破壊すること。核になっているのはまあ、ここにいる人達ですよ。この人達が怖がらなければ、あー、まあ力は弱まります。あなたが言ってた再生はたぶん、殺されてしまう怖さから出てきたんですよ。実際は鮮血の騎士が皆殺しにしたわけじゃない、さっき読んでいた本にも書いてありましたよ。まあどこかの馬鹿が出した軍隊への指示、詰まるところ住民の虐殺の指示を行ったらしいのです。そして、その象徴がその軍をまとめていた鮮血の騎士というわけですよ」
だから彼は殺し続けるんですよ、そうため息のように漏らしてからアルノーは肩をすくめた。
「なら、どうするんだ。ここにいる人達をおれの手で殺して、破壊でもするのか」
むすっとした様子で魔術師を睨みつける剣士。怖がる住民がいなくなれば鮮血の騎士は蘇ることはないし、幽霊騒ぎも収まる。納得することができるのだろうか。ウォアルには分からなかった。けれど戦士となったからにはそんなことをする覚悟はウォアルにはあった。虐殺という指示にでも従わねばならなかった鮮血の騎士と同じでも、苦しみを断ち切れるなら良い。
剣士は手から伝わる震えを感じとった。自身が震えているのではなく少女が震えているのだ。剣士の手から少女はさっと離れた。アルノーはいかにも信じられないという表情を浮かべてから、首を振り、必要ないと短く答えた。
「もともと、こんな馬鹿な指示を出したのは、ある貴族の独断です。それを打ち消す伝言を持った兵士がいたんですがねぇ。皮肉にも街を守るため援軍としてやってきた連中に殺されたそうでしてねぇ。届かなかったんですよ」
それが届けば鮮血の騎士は虐殺をやめる可能性が高い。アルノーにしては自信がありそうだった。きちんと目を見てウォアルに言った。
「その伝令を護衛してあげればいいというわけですよ、伝令の位置を簡単に探ってきますんで、その間待っててくださいねー」
ささっと新市街の方へアルノーは向かった。もしかしたら幽霊が苦手なのかもしれないと、しゃべり方と歩き方から剣士は思った。
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残された二人と一匹はふらりとこの廃墟の中を歩いた。人の薄い影がウォアルにもちらりちらりと見えてはいるが、もう気になることも無かった。むしろおびえた様子で位置を取るリズの方が気になってしまう。あ、と声をかけると、びくっと離れる様子に頭を悩ませながら、ベンチを指した。
「座ろう」
ぶっきらぼうに言うウォアル。それに怯えた様子で少女は頷き、ぺたんと座り込んだ。
「なんで、さっきからそんな風にしている」
無造作に放り投げた言葉に俯いたまま少女は震えた。薄い金髪に隠された表情は読めない。ウォアルは待った。廃墟を這うように風が吹く。熱帯びたそれは二人の髪を揺らした。少女の手からすっと黒猫が滑り降りた。そして、にゃあと一声鳴くと軽い足音と共に去っていく。周りの〝子供〟達が二人の様子を少しの間見ていたがすぐ飽きて奥の広場へといってしまった。
「怖かったのよ」
少女をウォアルはじっと見た。青い瞳にはおびえこそ残ってはいるが、強い意志の光を宿していた。
「だって、あなた、あの騎士みたいだったんだもの。同じ目をしてた」
非難の混じった震える声だった。ウォアルはしばし瞑目した。中間にかかった太陽は二人の座っている石のベンチを焼く。ウォアルはゆっくりと目を開いた。くらり、としそうなほど明るく照らされた廃墟と薄い影達が目に飛び込んだ。
「それは、きっとおれが怖い奴だからだ。騎士とおれは状況が違うだけで、考えはそんなに違わないさ」
澄んだ目でリズを見返す。北方の蛮人と言い切るには理知的な瞳が少女の怯える顔をしっかりと映している。じっとりとした暑さがウォアルを暖めた。
「戦士は怖い。どんな苦い顔をしていて、どんなに嫌でもやっていることは殺人狂と変わらない」
誰が血を流しても、仕事をこなさなければいけない。そういってウォアルは立ち上がり、リズの頭を撫でた。年のそう変わらぬ少女が異質な怪物を見るようにウォアルを見ていた。ウォアルは少しだけ、泣きそうな顔でリズの頭を撫でた。
アルノーの声が遠くから聞こえる。もう一度だけリズの頭をくしゃりとかき回すと、ウォアルは逃げるように立ち去った。
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ウォアルは古い街道の南端に着いた。ここからこの赤く、塩の浮いた荒野の中で伝令を守ればこの依頼は終わりだ。
冷たい目で見るアルノーと別れた後、日が落ちるまでのしばらくの間、荒野に立っていた。リズをわざわざ怖がらせることはなかったのではないか。そんな後悔を引き連れながら、荒野が夕日で赤く染まり始めるまで待った。自分は剣士だ。わざわざ祈祷師や神官のように相談になど乗る必要もない、割り切れ。そういう道にお前は立っている。
そして、リズの怯える顔が浮かんだ。そうだ、自分はあの鮮血の騎士と何ら変わりない。だけれど、朝のお茶の時のような微笑みはまだ恋しかった。けれど、それは郷愁と同じ無い物ねだりなのだろう。諦めろ。
そう無理矢理に結論づけて剣をさっと抜いた。北方の故郷から出てきて以来愛用している剣は夕日を映して血の色に光る。すると〝はあはあ〟という息づかいが聞こえた。振り返れば、噂の伝令が走っていた。馬は失った様で肩口からは矢が一本伸びている。そしてこちらへ猜疑の目を向けながら腰に差した剣を抜刀して近づいてくる。
「旅の者だ。鮮血の騎士殿への伝令とお見受けする。故あって助太刀いたす」
〝あの方の下の者か、ありがたい。賊はもう後ろに迫っている。頼む〟
「御意」
少々古くさい物言いにしすぎただろうかと、思いながらも伝令の少し後ろを走る。時折、射手もいないのに放たれる矢を弾き落としていく。この伝令も毎夜繰り返している被害者だ。そう思うと、力が湧いてくる感じがした。といっても、ちらちらと少女の非難するような顔が浮かんでとても活気ある表情にはならなかったが。
〝く、前にも賊……ここまでか〟
伝令は荒い息を吐いた。伝令の前方を見れば、黒い影で出来た二人の兵士が槍を構え、待ち受けていた。彼の記憶はここで途絶えたのだろう。彼らの詳細な姿は構成されておらず、妙に平面的なシルエットがゆっくりと近寄ってくる。
「ここは任せて」
言うより早く、ウォアルは影の兵に斬りかかる。動きはそうは良くない。素早く一人を横なぎに、そして返す勢いに任せてもう一人を受け止めようとした槍の腹ごと切り払えた。
だが、手応えのなさにウォアルは警戒を緩められない。切った影をじっと睨めば、すぐに先ほどの形を取り戻す。
「走れ」
その気味の悪い黒い影を通り過ぎて伝令は走った。しかし、黒い〝兵士〟達は伝令の前に素早く立ちふさがった。丁度、彼自身の影のように必ず、追ってくるようだった。
ウォアルは走りながら、その殺せない影を切り払う。不気味な黒い液体が噴き出す。しかし、その液体は影へと吸い込まれていく。その様子を忌々しく重いながら、喉の痛みを感じた。じわじわと炎にあぶられたみたいに苦痛が伝わる。
「もう少しだ」
霞んだ声でそう呟くと、また目の前に立ち上がった影を一つ斬り払う。しかし、切れ味が悪くなりかけているのか、それも影の不気味な材質のせいか、ぴったりと影の中に埋まってしまった。もう一つの影から突き出された平面の槍を、腰から抜き打ちのように出した大振りのナイフで弾き、その黒い影の喉に埋め込む。水で濡らした砂を刺したような手応えに思わず手を離した。そして大地と同化しかけた隣の影から剣を引き抜く。
悲鳴を上げる脚と肺を無視して、また前に浮かび上がる影に斬りかかる。少女の顔が浮かんだ。こんなことぐらいしか出来ないなら、やりきるしかないじゃないか。ウォアルは自分自身に無理矢理言い聞かせた。
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沈みかけた夕日の中を二人の戦士は駆け続ける。ウォアルにはただ自身の息づかいと胸から伝わる痛みと熱さだけが自分を支配しているのが分かった。いつしか黒い影が張りついた剣、それを握る腕の感覚はない。しかし、重さだけが肩からずっしりと伝わってくる。
また溢れた影はもう人の形を保っていない。ウォアルに斬られた場所がへこみ奇妙なオブジェの様にもなっている。その上に二人の兵士の形が癒着し、曲がった腕が脚のあるべき場所から生えていた。きっと前衛的という名を借りた狂人ならあんなものを作るだろう。
剣士が勢いに乗せて剣を叩きつける。切れ味を失った剣から鈍い音がして、黒い影はずるりと倒れた。死人が生きてる奴に勝てると思うな、そう叫びたい衝動を痛む肺の奥へ抑えて走る。廃墟がそろそろ見え始めた。いつも追いかけっこで逃げてくる〝少年〟、眉間を貫かれるあの子がこちらに顔を向けている。そして馬の駆ける音が遠くから荒野を叩いた。血を浴びたような騎影がすぅっと近寄っていく。
伝令は立ち止まり、息を整えた。そして、遠吠えにも似た声で叫んだ。彼は何日この時を待ったのだろうか。
〝伝令です。閣下、作戦は中止であります。中止です〟
掠れた声は大気ではない何かを打ちつけて辺りを震わせた。鼓動とは違う何かがウォアルの奥でも鳴った。
〝やっと、か。やっとなのだな〟
演劇のように大仰な声が震えた。鮮血の騎士は兜をしきりにこすった。さびの剥がれるにも似た鈍い音がした。
〝礼を言おう。少年〟
馬から降りた騎士がウォアルに礼をする。貴族の正式のもので、少年は戸惑った。貴族に礼を受けるなどは初めてだったし、ここまであの騎士が折り目正しい人間とは思わなかったためだ。
〝しかし、負けっ放しというのは不愉快だ……もう一勝負してくれぬか〟
そう言いながらも、騎士は抜刀している。血の流れていた剣は元の銀色を取り戻し、夕日を輝かせた。騎士の体は薄くちらちらと発光していて、傷だらけだった赤い鎧から傷が消え、曲線の美しさと力強さを取り戻して行く。
剣士は応、とだけ短く答えると騎士に向き直った。騎士は正眼に、剣士はやはり無造作に下段に構えた。
やはり互いに戦士なのだ。そう思うと汗の浮かんだ顔に笑みがこぼれた。騎士も兜の奥で笑っているのだろうか。震える右腕を押さえながら、ウォアルは胸の奥で呟いた。
〝いざ〟
騎士のかけ声と共に踏み込む二人であったが、そもそも勝負にはならなかった。剣が届く前に、騎士はばらばらと砂が吹き散るように青い光を吹き出しながら崩れていった。赤い鎧から出てきたとは思えない静謐な光が静かな花火のように舞った。この勝負、預かった。固い動作で貴族式の礼をまねてウォアルは呟いた。光の粒は答えることなく空へと去っていった。疲れた体のまま、廃墟を見れば幾つもの粒がちらちらと光っている。ふと、あの光の中にいるだろう〝少年〟のことを思い浮かべながら、剣士はとうとう倒れ込み、意識を失った。
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気がつくと藁の匂いがした。目を開ければ石造りの天井が目に映った。どうも寝かされているらしい。のぞき込むように見ているのはリズだった。たぶん倒れているのを連れてきたのだろう。もっとも運んだのはアルノーあたりだろうが。
「怖いんじゃなかったのか」
ぽつりと呟くようにウォアルは言った。自分でも気づかないわずかな震えが声には含まれていた。リズは首を横にぶんぶんと振る。髪がさわさわと鳴った。
でも、助けてくれたもの、いい人だもの。おびえた響きこそ残っていたが、優しげな瞳でそう言うとウォアルの髪を撫でた。色の白い肌が目に入り、力が抜けていく。
「戦士は、そういうものだからなあ」
急に気が抜けてしまい、どっと体が痛み出した。少女を見れば、今度こそはおびえもなく微笑んでいた。もっともその顔は水の中にいるように歪んでいたけれど。
「疲れたな、しばらくこうしてもらっていいか」
少女は頷くと頭を撫でた。一定のリズムで動くその手の温かさがいつの間にか、剣士を眠りに誘っていた。ゆりかごの中にいるようにまどろみながら、すうっと意識を手放していった。
しばらくして目が覚めるとだれもいない。なんとなく不安になってフラフラと外に出ると、朝日を受けてアルノーが立っている。井戸から水をくみ上げているのが見えた。お目覚めですか、そう言って近寄ってくる魔術師にリズはどこだ、と短く問う。
「彼女ですか、いやぁ、そこら辺にいませんでしたか。部屋から出て行くのは見ていませんでしたけど」
ウォアルは青くなって部屋に戻った。彼がいた痕跡以外なく、少女がいるようには見えなかった。おかしいなぁ、と頭をかくアルノーを尻目にウォアルは町へ飛び出した。
街や廃墟を探しまわった。市場にも、報酬を受け取りにいった宿屋のカウンターにも、部屋にもいなかった。リズと黒猫はどこにも見あたらなかった。廃墟にも見あたらない。短く風が吹いて、剣士の頬を打ちつけた。
アルノーは廃墟を見渡し、思案した。太陽にあぶられた灰色の壁だけが、その目に焼きついた。
「もしかして、リズちゃんも……」
乾いた声を出した魔術師にウォアルは頷いた。そして自身の銀灰色の短い髪に触れる。そこからなら、少女が残したぬくもりが伝わってくるように思えたからだ。太陽の光で暖まった頭髪をすっと撫でた。
「いや。きっと、道を違えたんだ。それだけだ。重なればいつか会える」
すっとウォアルは廃墟の石畳を進んでいった。自分とは違う戦士ではない道に少女はいる。そう考えながら、剣士は荒野の道へと踏み出していく。帯びた剣は相変わらず重く、ウォアルにのし掛かっていたが決して不愉快ではない。その重さが荒野に一歩、また一歩足跡を残していった。




