一九四三年 夜
「これあたしのおごりだよ」
そういって里美は記者の前にビールを置いた。
それはその日の晩の出来事だった。記者が暗い電灯の下、手帳を広げ思案していると盆にそれと湯呑を一つのせ彼が宿泊している部屋にやってきたのだ。記者はここの離れに宿を借りそこの暗い電灯の下で手帳を眺めていた。
「いいんですか。これ」
「海軍さんの残りだけどね」
どうもそれはさっきまで居座っていた海軍士官の頼んだビールの残りらしい。
鳴門屋 はそんなに広い店じゃない。店の表側は食堂になっていてそのとなりに宴会ができるような大部屋がひとつあった。そこは日曜に予科練生であふれかえるのだ。
そしてその奥にいくつかの客室とその店の家族が暮らすスペースがあった。トイレや風呂は共用だった。
そして今、記者はその客室。自分が泊まっている部屋で食を食べていたのだ。
「あんたはどこか軍隊にいたことあるのかい」
「ええ、勝田に」
記者はそう答えた。
「あんた陸軍かい」
「え、まぁ」
「で、あんた、どう思う」
ビールの栓を開けた彼女はそれを片手に持ったまま体をテーブルに預けるような形で乗り出してきた。
「どうって」
「戦争のことだよ」
「日本が勝てる勝てるかってことですか]
「もしかしてあんた日本が負けると思ってるのかい」
そういわれた彼は無言になった。
「大丈夫、だれにもいわないよ」
「はい。アメリカの国の工業力はすごいですよ。あっというまに日本の何倍もの飛行機や軍艦をたくさん作ってきます」
「じゃぁ、日本の勝ち目は・・・」
「ないです」
彼女は少し間を置いた。その間が何を表しているか倉町にはわかなかったが里美はそうしたのだ。
「あんたもいやなこというね」
「すいません」
「いいよいいよ」
そういうと里美は瓶を記者の前でそれを傾けた。その姿は両手を体の前で交差しなんとも色っぽかった。それを見た記者は、どうもといって湯呑を手に取った。
そして二人、数秒間、無言になった。
「もしかして昼間の彼のことですか」
里美は瓶を布巾で拭いそれをテーブルに置いた。記者はその里美の動作を話しながら目で追った。
「あ、いや、彼もいずれは飛行機乗りになるわけですから」
「ああ、そうだね。哲生ももうすぐ卒業だね」
「初等訓練が終われば下士官です」
そういわれた里美は記者への返答に間をおいた。何秒間。いや、もしかしたらそれより短かったかもしれない。でも倉町にはそう感じたのだ。
「あんた、あたしをどう思う」
「えっ」
「正直にお言いよ」
「里美さんはきれいな人です」
「えっ」
今度は里美がおどろいた。そして数秒間沈黙した。そして彼女はあたしがと二度繰り返しそういった。
「あたしをそういった人はあんたで二人目だよ」
「そうなんですか」
「ああ、そうだよ」
「じゃ、一人目はだれです」
「だ・ん・な」
「えっ」
「あんた、あたしが独身だとおもってたのかい」
「ええ、残念です」
その倉町の言葉を聞いた里美は彼女は着物の袂から何かをとりだした。その姿はまるで女子学生のようだった。
「これがだんなの写真さ」
そいってそれを記者に見せた。
「いい男じゃないですか」
そういわれた里美は少し嬉しそうな顔をした。なんとも里美の話だとまだ入籍はしていないないらしい。
「あいつ、あたしにほれてたのさ」
「へぇ」
倉町がそう相槌を打つと
「う・そ」
彼女は色っぽくそういった。どうやら先に惚れたのは里美のほうだったらしい。
「でも、あいつは行っちまったよ」
そして里美は寂しそうにそうともいった。
「軍隊ですか」
「そうさ、志願していちまった」
そういって里美は悲しい顔した。その彼女は残ったビールをのどの奥に押し込んだ。