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霞ヶ浦物語〜若鷲は蒼天に翔ぶ〜  作者: 筑波 十三号
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一九四五年春 思案

彼は電灯を眺めていた。それは傘に光が漏れないように傘に紙を巻かれた白熱電灯だった。彼は仰向けになってただただそれを見つめていた。今では宿泊というより下宿しているといった感じだった。当初は客室で寝泊まりしていたが滞在期間が長くなりこの奥の離れをあてがわれた。彼がこの部屋でしようするさいこの旅館の女将静はいくつかのものを用意してくれた。今かれが使用していが卓袱台が置いてあった。その上に真っ白い紙が一枚があった。

 彼は記者だ。この記者はここに、阿見村に取材に来たことになっている。少なくとも表向きはそうだ。それは彼が何か欺いているということなのだろうか。彼は確かに彼は地元限定の雑誌社に原稿を収めている。地元の大学を卒業しそこに就職した。確かに彼の頭の中にはその記憶がある。彼は海軍番といわれる海軍を主に取材をする記者だ。だから彼が海軍や予科練、その飛行機に詳しくても誰も疑うことはない。

 その彼は坂下哲生という予科練生に興味を持った。彼が予科練生で父も兄も海軍兵という海軍一家だということ以外他の少年となんら変わるこころはなかった。なのに記者は彼にこだわった。

 彼は若鷲の写真と対面した。記者は鳴門屋の女将静のお使いでここを訪ねた。彼としてはそれだけの予定だったのだどういうわけだか座敷にあげられてしまったのだ。

 彼の脇にある卓袱台にはお茶とお菓子が置かれていた。

「海軍から配給されたものですか」

そういって彼女が提供してくれたものだった。当時、軍からお菓子や煙草などの嗜好品が支給された。

 陸軍は加給品といい甘味物、酒、煙草、酒などが支給された。が、それも戦局の悪化とともに補給は滞り、特に加給品支給については真っ先に消滅してしまう傾向はあった。陸軍は戦時に前線へ出動ともなれば、なかなかそれの利用も出来ないせいか、細かい規定が定まっていたようだった。 もちろん海軍でもそれはあった。予科練でも酒保といって予科練生にも振舞われいた。海軍は、艦隊勤務であれば、倉庫に乗って戦争しているようなものだ。その点では陸軍ろりも恵まれていたこといっていいだろう。

 部屋にとされた倉町は秋絵に断りロウソクに火を灯した。その彼は線香を二本だけ取りそれに火を着けた。それを振って火を消そうとする。が消えない。また振る。でも消えない。それを何度か繰り返しているとそういって奥の部屋から秋絵が出てきた。彼はその彼女を見て線香を勢いよく振ったが火は消えなかった。

「哲生も記者さんが来て喜んでるんですね」

彼女は卓袱台の前に正座すると彼のそばにお茶とお菓子を置いた。

「写真、ウイングマークなんですね」

ようやく線香の火を消した彼は香炉にそれを刺すと彼女の方に向きをかえそう言った。ウイングマークとは予科練生が身に着けていた制服の詰襟に着けられたワッペンのことだが時として予科練生の制服や予科練生自身をいうこともあった。

「写真これしかなくて」

秋絵は少し寂しそうにそう言った。それを見た倉町にはそれに関しもう言うことはなかった。

 その哲生は飛行機乗りになるために土浦海軍航空隊の予科練に入学した。彼は中学在学中に甲種飛行予科練習生の試験を受験し合格したのだ。彼はそれまでここで暮らしていたのだ。

予科練とは海軍飛行予科練習生即ち海軍少年航空兵の称である。これは海軍は飛行機乗り英才の早期教育をもくてきとしてこの制度が創設した。その当時は横須賀海軍航空隊内であったが昭和十四年三月にここ霞ヶ浦の湖畔に移った。大東亜戦争の戦況が悪化するにつれ海軍は搭乗員の急増するため。日本の敗戦を見越し将来の日本を再建するための人材を育成するためだいう説もあったがこの施設を増設した。その数は全国に十九の練習航空隊の設置を見るに至った。

 その予科練を巣立った若人たちは幾多の偉勲を重ね、大東亜戦争に至っては名実ともに帝国海軍の航空戦力の中核となった。

 この予科練、全国の少年が憧れた。この予科練のウィングマークと言われたワッペンをつけた七つボタンと呼ばれた制服に袖を通すことを望みこの試験を受験した。この予科練、帝都もの大学よりも入学が難しいといわれた。

 「まさか哲生が予科練にはいれるとは思ってませんでしたよ」

線香をあげ終えた彼に彼女はそういった。

 なんとも成績はとても他人に自慢できるものではなかったらしい。その哲生は旧制中学に入学すると予科練に入学するためか勉強に励んだらしい。その甲斐あってか彼は甲種予科練に合格した。この甲種海軍飛行予科練習生。准士官といって良かったろう。それぐらい昇任が早かった。その速さは士官並だった。秋絵にしてみたらさぞかし鼻が高かったろう。

 現在のそれは霞ヶ浦の畔にあるが哲生がこの予科練に入学したときは現在の場所とは違う場所にあった。それ霞ヶ浦海軍航空隊内。哲生はそのときにそこに入学をしたのだ。

 この予科練、若鷲という別称もあったがそれ以外にも七つボタンと呼び方をするものあった。それは彼らの制服に由来するのだったが彼がそこに入学した当時はまだそれがなくジョンベラという水兵服だった。階級も四等。正確には海軍四等航空兵で飛行機に乗るどころかさわることもできなかった。

 哲生は日曜の外出の際、必ず海軍指定食堂だった鳴門屋を必ず訪れ

「予科練はやめたほうがいい」

そうぼやいていた。秋絵は他人の悪口というものが嫌いだった。だからか哲生はそれを口にすることはあまりなかった。その代わり教官に鉄拳制裁されたとか相撲で擦りむいたとか真冬のカッターの訓練で死にそうになったなどそこでも出来事を多く語った。この予科練は英語の授業が行われていたがどうやら彼はそれが苦手だったらしい彼女はその彼の話が楽しみでもあったしそれを語るその彼の姿も好きだったらしい。 

 その哲生は筑波海軍航空隊で飛行初等訓練を受けるはずだったが戦況の悪化のせいかそえは早期に終了し多くの同期は戦場に飛び立った。その彼は防空実施部隊に配属になり紫電という飛行機に乗ることになった。この防空は陸軍と海軍役割分担が定められ海軍は港や海軍の施設にとどまっていた。要するに国土の大半が陸軍が請け負っていたのだ。といってもその陸軍も高高度を飛ぶクジラのような飛行機に手を焼いていた。

 その彼らは陸上基地や航空母艦。中には潜水艦から飛び立ち連合国の航空機を迎え撃った。その彼らの大半が戦場に散った。中には特攻に参加し散華または半ば力尽きた兵士も多かったと聞く。

 当初は無敵の空威を発揮したが、戦局利あらず敵の我が本土に迫るや、みな特別攻撃隊員となって一機一艦必殺の体当たりを決行し、名をも命をも惜しまず何のためらいもなくただ救国の一念に献身し未曾有の国難に殉じて実に卒業生の八割が散華したのである。その哲生も沖縄の海で本懐を遂げた。

 彼は彼女は息子の話をしている間だまって彼女の言葉に耳を傾けた。そのとき彼はじっと秋絵の顔を見つめた。その視線はまるで母親を見るかのように優しくそして柔らかかった。

「ごめんなさい。わたしばっかりはなしちゃって」

彼女は少しだけもうしわけなさそうにそうな言葉をいいえと優しく受け止めた。

「あのこれ香奈さんに届けてもらえますか」

その秋絵はそういって箪笥の前に置いてあった行李を自分の方に引き寄せそれを倉町のすと滑らせた。この行李とは竹や小柳で編んだ籠状の箱で主に衣類を収納したり運搬する場合に用いられた。

「これ何です」

記者はそう彼女に尋ねられた秋絵は

「哲生の遺品です・・・」

とそう答えた。

 その行李は今でもまだ彼のそばに置いてる。本当ならすぐにでも香奈に届けなければいけないのかもしれないが記者にはそんな気分にはなれなかった。秋絵は香奈さんがとても哲生を大事に思ってくださってたからとそういって渡したのだから猶更である。

 彼はその電灯を見ながらその時の秋絵の顔をを思い出していた。

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