一九四五年春 秋絵
秋絵は座っていた。彼女の遺影の前でずっと正座をしていた。彼女の息子は散華した。この阿見から遠く離れた沖縄の海で坂下哲生は海軍上飛曹として米海軍の戦艦に体当たりしたのだ。その彼は現在軍神として帝都の靖国に鎮座している。
秋絵は友部上整兵から手紙にてそれを知らされた。彼女はその日からこうして哲生の写真の前で特に何をすることなくただ、ただこうして座っている。そういうことが多くなった。
秋絵は海軍軍人の妻だ。夫はそれの機関員として軍艦の発動機の運用に関わっている。名前は武晴といった。階級は一等機関兵。残念ながら息子の哲生より階級が一つだけ低かった。
日本は十五年間、戦争状態にあった。彼女はその彼の妻になっ隣国の中国で戦闘をはじめてから継続して連合国との戦争に突入した。彼女の夫ははずっと南方の海でその夫はそこ米英との戦闘に参加している。
夫が戦死するかもしれない。彼女は結婚してこの海軍住宅に越してきてからずっとそのことを覚悟していた。
彼女には息子が二人いた。それから数年がたちその息子も父親の背中を負ってか。それとも環境のせいか。中学でそういう教育を受けたせいなのか。彼女にはそれはわからないが両者とも海軍兵になった。長男の智晴は台湾、高雄の海軍基地へ。次男の哲生は筑波海軍航空隊に配属された。長男は高射砲で次男は飛行機で米英の飛行機を迎え討った。それは息子が戦死するかもしれない。その可能性があるということを示していた。
長男が勤務する高雄はそれほど攻撃を受けることはなかった。次男、哲生は空襲の激しい本土で防空実施部隊所属し紫電という飛行機で連合国の爆撃機や戦闘機の迎撃にあたった。
その息子は散華した。それは哲生が特攻に参加し飛行機で辺りしたということを示している。彼女はその知らせを受けた後も一般生活に支障をきたすことはなく今まで通り食堂の業務をこなしていた。が、今までの元気も明るさも影を潜めどこか遠くをみつめているかうつろな目をすることが多くなった。この日以降、何をするでもなくただこうやって息子の写真を見つめている。そういう時間が多くなった。
哲生は霞ヶ浦が好きだった。そこの湖畔で見る飛行機が好きだった。彼は海軍兵である父親につれられ飛行機を見にって以来それの虜になってしまったのだ。彼女もそこが好きだった。彼女も彼を連れてそこを訪れいる。彼の幼少時、彼女はそこで息子と一緒に飛行機を見た。彼女は今でもそこが好きだった。でも今はそこに足を向ける気分になれなかった。
その彼は空襲の際何度も出撃した。この阿見の空襲のときもそうだった。彼は筑波海軍航空隊に所属し最新の局地戦闘機紫電。それに乗って連合軍の爆撃機や戦闘機を迎え撃った。それを見た地元の人々も予科練生もその彼が英雄に見えたろう。それを見た彼女だってそう思った事もあった。確かにそういう部分もあったがそれ以上に彼の安否が気になった。彼が飛行機乗りをしているうちは米国の飛行機に撃ち落とされる可能性もあったし飛行機事故に会う可能性だって否定できなかった。
「哲生が無事で帰還できますように」
秋絵の自宅には神棚が設えていた。彼女はそれに何度手を合わせたわからない。
その息子は散華した。
「おめでとございます」
哲生の散華の報が伝えられると周りの人達はそういって哲生を賛美した。彼を軍神として崇めもした。帝国軍人の鏡だと香奈の両手をとってそういう人もいた。香奈にはそれを喜ぶことはできなかった。
彼女にしてみたら卑怯者とか臆病者とか言われてもいいから彼に生きていて欲しかった。今でもその散華の報は間違いであった。心のどこかでその知らせが来るのを待っている。
彼がそこに配属されたそのときはまだ日本本土もは連合国の脅威にさらされていなかった。その当時はまだ戦闘は遠い海の上のものだと思っていた。
息子が戦死するかもしれない。その事実は頭の中のどこかに漠然と存在していた。筑波山の上空で撃墜される可能性もあったし飛行機の故障で墜落するかもしれない。そんな考えは心のどこかにあった。彼女は海軍軍人の妻であり母でもあった。だから頭の中には覚悟というものを用意していた。でも心は違う。出撃しないでほしい。飛行機が故障して出撃出来ずにいてほしい。胸の奥のどこかにそれがあった。でもまさか自分の息子が特攻に参加して散華するとも思わなかった。
その哲生は軍神としてこのうちに帰ってきた。それは遺体もない帰宅だった。村の人々は軍人の鏡だ。日本男児の誉れだなどといってその哲生を称賛し褒め称えた。その人々は秋絵以外にも葬儀に参加した彼の父と兄にも向けられた。彼らは軍人だったがその声に喜ぶとことなく彼らはただ、ただ黙って聞いていた。
彼女は彼らと会ったのはその葬儀の時だけだった。秋絵はその数日間彼らと一緒にすごした。その間、彼らと哲生との思い出を多少語ることはあったが特攻に関する話はほとんどしなかった。彼らは海軍軍人だ。おそらくだが哲生が参加した作戦について何かを知っているかもしれないしそこで彼がどうしたか知っているかもしれなかった。でも秋絵にはそれを尋ねることはできなかったし夫からも長男からもそれを知らさせる事はなかった。
その彼女の耳に何か音が聞こえた。彼女にはそう聞こえた。特攻で散華した兵士には遺体がない。だから遺族にはその実感が乏しい。だからひょっこり帰ってくるんじゃないかなど思ってしまう人も多かったようだ。どうやら秋絵もそのうちの一人のようだった。
その物音は外からしたようだった。彼女はその音の原因をしるためにそこから立ち上がった。その彼女が引き戸を開けるとそこには人がいた。それは哲生以外の人物だ。それは来客だ。
「記者さん・・・」
秋絵はそういった。そこには鳴門屋に下宿人同然の宿泊客だ。
「どうも、静さんのお使いで来ました」
そういった彼の手には風呂敷包みがあった。その記者はそれを彼女に差し出した。彼女はどうもそういってそれを受け取った。




