一九四五年春 無情
静はため息をついた。彼女はあの一軒からめ息をつくようなった。娘の里美がいなくなったあの日からそうなった。
彼女の夫、芳郎との会話も少なくなった。元々、夫は口数が少なかった。だから元々会話らしい会話がそれほどあったわけではない。とはいえそこは夫婦だ。会話がないなりにそれなりに意志の疎通は図られていた。
この日は日曜だった。が、お昼には時間があった。だからか店内に客はほとんどいなかった。予科練生の姿もまだ見えなかった。
静はカウンターに厨房と食堂を隔てる台。つけ台とでもいうのだろうか。静はそこに肘をかけ新聞を読んでいた。
静はあの件のあと記者から詳しい事情を聴いた。もしかしたら彼に何らかの原因があったのかもしれない。そう思うところもあった。いや、そおう思いたかったのかもしれない。が、彼にはなんの問題はなかった。
そして今いるの堀口達臣という男だ。年齢は三十代前半。彼は背広姿にネクタイをしめていた。この時代にしては身なりがよかった。その背広と白いシャツの間にサスペンダーだ時々見えロイドメガネをかけた風貌ななんと頼りさなそうに見えた。
その彼は予科練で文官教員をしていた。この文官教官とは予科練で国語や数学など教える教師のことをいった。この堀口はそこで英語を教えていた。この当時、英語は敵性語であったが予科練ではそれを教えていた。
静は雑誌を読んでいた。それには常陽グラフと書かれていた.その雑誌のつくりはひどく粗悪だった。表紙の印刷も紙の質は劣悪だった。
哲生が散華してから数週間が経過した。その知らせを受けたのは五月のことだった。そして今は六月だ。梅雨の時期である。この日は雨ではなかったが朝からどんよりとした天気で今にも雨が降りだしそうだった。
「いやね、この本に特攻のことが書いてあってね」
彼女はそういった。彼女は戦死を美化する風潮にあまり好意的ではなかった。
彼女は予科練おばちゃんと呼ばれるぐらい予科練生に慕われていた。つい最近、彼女は娘を亡くした。その後の日曜、予科練生がどっと押し寄せた。
「おばちゃん大丈夫」
「おばちゃん元気出して」
などといって彼女のみならず父親の芳郎と妹の香奈も励ましてくれた。
「そういえばいつもの人が見えませんね」
「ああ、あの記者さんかい」
「ええ」
「あの人なら秋絵さんのところにお使い頼んだよ」
そういった彼女は手に持っている彼女は
「それはそうとあんたこれどう思う」
そういってそれを文官教官にみせた。
それを見せられた堀口はそういった。そこには特攻を賛美する内容の記事が掲載されていた。彼女はそれを見てため息をついたのだ。
神風特別攻撃隊。一般的には神風特攻隊と呼ばれるそれは大日本帝国海軍の航空機による特別攻撃隊の事であるそれは昭和十九年十月二十日に大西瀧治郎海軍中将によって編成された艦船を目標とする航空機による特別攻撃隊である。
「しんぷう」が正式な読み方であるが、訓読みの「かみかぜ」が昨今では定着している。神風の名称は、一航艦首席参謀猪口力平中佐が郷里の道場「神風流」から取ったものである。また、陸軍航空隊の特攻隊である万朶隊、振武隊などとは戦史上区別される。 彼女はこの特攻という物に否定的だった。
「九死に一生を得るのが作戦で十死零生などというものは作戦ではない」
そういって否定する物がいたが彼女はそうではなかった。彼女にはそういった作戦という物はよくわからない。この特攻に参加する兵士のほとんどが学徒または予科練生である。この予科練生の多くは彼女の店で芳郎の料理を食べた少年がいたはずだ。事実、作戦として行われた最初の特攻に志願し参加した兵士五人のうち四人が予科練生でその中のには土浦のそれを卒業した飛行機乗りがいたらしい。その彼らが特攻に志願し散華した。彼女にはその事実が受け入れられなかった。
みんな国の譽だといって彼らを崇め褒めてたてる。が、彼女にはそんな気になれなかった。彼らの両親はそれをどう思う。彼らはわざわざ特攻に参加させるために育てたわけではないだろう。彼女はそう思っている。そして彼女を娘を亡くしたせいかその思いは強くなっていた。
「特攻ですか」
それを見せられた堀口はそういって無言になった。それをみた彼女は自分が話している相手が海軍関係者だということを思い出した。
「すまなかったね。あんたにはこれになにかをいえるわけないよね」
そういって彼女はその本を引っ込めようとした。
「おばちゃん」
堀口は神妙な顔をしてそういった。
静は今まで読んでいた新聞から視線をはずし彼を見た。その顔は少し寂しげに見えた。そして堀口はこういった。
「わたはね。教え子たちが戦っていても空を見上げることしかできないダメ教師なんでうよ」
そういうと彼は神妙な顔をした。
「私は海軍にいます。予科練で教鞭をとてます。だから彼らは私を先生と呼んでくれます。
彼らはわたしの生徒なんです。今、海鷲と呼ばれいる飛行士たちは教え子なんです。わたしはね。その彼を守ってやることもできないんです。それなのに予科練にもどればいつも、いつも帝国のために。陛下のために戦え。そんなことをいってるんですよ」
そういうと彼は無言になってしまった。
「お茶でも飲むかい」
それを見た静はそういって彼の湯呑にお茶を注いだ。




