一九四四年 退院前夜
退院前日の夜。それは病調布の飛行場に戻る前日だった。康作は病室で荷造りをしていた。 入院した翌日同じ部隊の部下が彼の着替えや日用品をサンドバッグ状のバッグ煮詰めて持ってきた。
彼はそれと同じようにまたそのバッグに自分の荷物を詰めていた。無理やり押し込みそれの口をしばった。そして右腕で汗をぬぐう仕草を大きなため息をついた。
すると後ろでがんがんというおとがした。それは誰かがガラスをたたく音だった。。康作が振り返りそこを見ると倉町がそこにいた。
「どうしたんですか」
康作は少し驚いた。が、すぐにそこまで移動して窓を開けそういった。
「飲みませんか」
その倉町はそういって大きな茶色い瓶を見せた。
「それどうしたんですか」
「土浦でもらいました」
「もしかして密造ですか」
「だめですか」
「いえ、飲みましょう」
そういうと康作は記者を病室へ窓から招きいれた。
その康作は湯呑いりますねとそういうと一度病室からでた。どうやら給湯室に向かったようだ。
康作がそこから湯呑と薬缶を持って戻ってきくると二人はベッドの前に胡坐をかいた。
「こんなものがありました」
その康作はそういってスルメを彼に見せた。
「いいですね」
倉町がそういうと芋の焼酎を康作の前で傾けた。その仕草をみた康作は湯呑を手に持った。
倉町がそこに芋の焼酎を注ぎいれ続いて薬の水も注いだ。その後、康作も記者と同様の動作をし乾杯と言っていくつもの盃を重ねた。
それからどれぐらいの時間が過ぎただろうか。夜もだいぶ更けてきていた。その間にどれだけの盃を交したか記者の陸軍少尉もよくわからなかった。
ただわかるのが一升瓶に入った密造の芋焼酎の残りがわずかだということだけだ。倉町は数日前にこの焼酎で高松屋の里美と盃をかわした。が、彼女は酒が弱くほとんど口にしていなかった。それを見た記者もどうようだった。だからこの一升瓶にはたくさんの密造焼酎が入っていた。
「記者さん、ぼくの話をきいてくれますか」
そう陸軍少尉は遠い目で湯呑の中を見つめながらそういった。
「記事にしていいなら」
「それは困るなぁ」
記者は少尉の言葉にそう意地悪に答えると康作がそういって少しだけ困った顔をした。
「じゃやめておきます」
それを見た倉町はそういうと康作はそういうと自分の素性を放し始めた。記者はだまって彼の話に耳を傾けた。
彼の実家は農家なのだとか。といっても狭い田畑を耕しているような百姓ではなく何人か小作人を雇うことができるぐらいの余裕がある農家だそうだ。その彼の実家は阿見にあったらしい。そして彼の家族は時々高松屋まででかけていったそうだ。どうやら彼の父親がここの川エビの天ぷらが大のお気に入りでそれをつまみに日本酒で一杯やるのが好きだったらしい。
「ぼく彼女が好きだったんです」
その会話の中で彼はそういった。
「婚約者の方の事ですか」
倉町がそう尋ねるとはいと声にならない声でそう答え
「ずっと前から好きでした」
康作はそういった。
彼女はその店で両親を手伝っていた。彼がその店に行くと必ず笑顔で出迎えてくれた。康作はその髪をお下げに結い着物にたすきをかけよく働く少女の笑顔が好きだった。そのときに見える八重歯も好きだったそうだ。康作はそのときからその彼女に出会うのが楽しみだったらしい。
康作が旧制中学に入学した。それぐらいからその彼女はいからきれいになってきたそうだ。彼はその彼女にそのころからときめきを感じていたらしい。
やがて康作は旧制中学に入学した。その学校は土浦町にあった。彼はそこまで自転車と電車とバスで通った。
康作は毎日、自転車でその食堂の前を通り抜けた。毎朝、晴れの日も雨の日も必ず自転車で走り抜けた。なぜならそこにはその少女がいるからだ。彼女は必ず店の前を掃除した。彼は開店準備にしては時間が早いなと何度か思ったこともあったがそれは気にしないことにした。そのお蔭で毎日あの少女に会えるのだから気にしないほうが彼には都合がよかっ。
その彼女は日を追うごとに美しくなっていた言ったそうだ。康作は毎日その少女に見とれていた。
「彼女とお見合いでしたっけ?」
「はい、写真を見たときは心臓が止まるかと思いましたよ」
その倉町の問いかけに康作はそう答えた。その彼は帝都の大学に入学した。彼は大学三年のときにお見合をしたらしい。その彼は早々と地元の農協に就職を決めて地元に帰る算段も決めていた。それはもしかしたらあの少女がそうさせたのかもしれない。彼は帝都でその少女と出会えない日を幾日も過ごした。本当は帝都の大学などに行きたくはなかった。が、彼の両親が成績の良い彼を大学に行かせたかったのだ。
それからほどなくして彼の元に写真が届いたらしい。それは大判の封筒に入れられきれいな飾りがつけられた台紙に挿まれていた。それはお見合い写真。それを見た彼は怪訝そうな顔をしたがその台紙をめくった次の瞬間それは違うものと変わっていた。
その写真はあの少女だった。いや、その彼女はもう少女ではなかった。その面影は残っていたかが和服姿で映っている彼女は大人の女性だった。
その話を聞いた記者はその時の彼の姿が目に浮かんだ。それはさぞかし驚いたろう。康作は心臓が止まるかと思ったといったがもしかしたらそれ以上おどろいたかもしれない。
お見合いは康作の地元で行われた。それは土浦の食堂の二階で行われた。その食堂はは明治時代からあった。その食堂は当時はとても繁盛していて地元では一番売れていたらしい。
そこでは天ぷらの盛り合わせや川魚の焼きものなどがあったらしいがとてもそれを口にする心境にはなれなかったらしい。
康作の前にいた彼女は薄紅色の桜が描かれた振袖を身に着けていた。その彼女は彼が電車の中で毎日見つめていたときよりはるかに美しくなっていた。その彼女も彼に気を使ってか前の前の料理に手をつけなかったとか。
彼の卒業前に日本はアメリカとの戦争に突入した。彼はそれを駅前でもらった新聞の号外知った。
その翌週彼は陸軍に志願した。大学に休学届を提出し家族と婚約者には内緒だった。
大学卒業し農協に入社して食堂で働く彼女の家に婿入りして愛おしい人との生活する。そんな幸せな生活が待っていた。でも彼はそれをすべて捨てた。それはなぜかわからない。でも彼はそうせずにいららなかったようだ。
記者はその康作の話を一通り聞き終えると窓を開けた。外は夜の闇から徐々に太陽の光に照らされ朝の気配が増していた。
倉町はそこで大きく伸びをして深呼吸をした。そしてこういった。
「少尉、僕は始発で帰ります」
それを聞いた康作は少し驚いた顔をした。
「もう朝ですから」
その顔を見た倉町はそうと一升瓶を拾い上げ再び窓をくぐろうとした。が、何かを思い出したのかそれを辞めた。
その倉町は胸のポケットから封筒をとりだしそれを康作に渡した。
「わたしがいなくなってから開けてくださいね」
記者はそういうと再び窓を通り抜け駅へと走って行った。