一九四四年 芋焼酎
「里美さんもどうですか。土浦でこれもらったんですよ」
そういって彼は一升瓶を見せた。
「それ、焼酎?」
「はい、芋です」
それは今から一時間ほど前の出来事だった彼はお使いから帰ると里美とその会話をした。
その彼は鳴門屋の奥の食堂の奥の座敷で胡坐をかいていた。記者はコップをぐっとあおるとそれをテーブルに置いた。
彼は今日、土浦の農家を尋ねていた。それは飛行機が墜落したこの辺りにたくさんある蓮根を栽培するための水田。蓮田の持ち主の家だった。その家は土浦駅からバスで数分いったところにあった。
彼は巷で陸軍の飛行機が墜落したという情報を小耳にはさんでその取材に来たのだ。彼は話だけ聞いて帰るはずだった。でもそうならなかった。いや、それは半分だけ。記者はそこの老夫婦に気に入られて一杯飲んでくかと勧められた。が、彼は行くところがあるといって断ったのだ。その時にその芋焼酎と蓮根を手渡されたのだ。記者が思うにおそらくこの焼酎は密造だろう。
記者は行くと心があるといったがそれの搭乗員の行先を尋ねるためでもあった。
彼はそこに行くまでの道中、震天隊の兵士の行先を耳にしていた。どうやら土浦の警察署から柏の陸軍病院に搬送されたらしい。彼はその記者はバスで土浦駅をめざしそこから汽車で柏を目指した。
「里美さん、意外と弱いんだな」
倉町はそう言ってそこにいる里美の顔をみた。その里美はもう寝てしまっている。
彼女は彼に顔を向けでテーブルにに腕をのせそれを枕にして寝ていた。彼女は美形だった。目鼻立ちも整っていて唇の下にある黒子がまた色っぽかった。
記者はその彼女から湯呑を借りるときに里美さんもどうですかといって彼女もさそったのだ。さそった記者はそんなに酒が強いわけではなかった。が、彼女はその彼より弱かった。
倉町はその病院でその兵士に取材をした。その兵士は東京の調布飛行場で帝都防空の任務に従事していた。
彼は陸軍士官だった。海軍ではこうはうまくいかなかったかのしれない。
『陸軍は下につき海軍は上につく』
この当時にはそういう言葉があった。引く軍兵は自分より格下の階級の者と仲良くしたがり海軍はその逆。総理大臣まで登りつめた東条英樹も同様だったようで首相になっても下町に繰り出して一杯ひっかえるのが好きだったそうだ。戦艦の上で白い軍服に身を包みフランス料理を食する海軍士官とは大違いだ。
記者はその陸軍士官の彼から様々なことを聞いた。任務の事や飛行区の事。志願の動機など。家族や友人、婚約者に理由や動機どころか志願する事する事自体内緒だったらしい。
そのせいか彼はその人の写真を持っていないらしい。
「里美さん美人だからなぁ」
彼は里美の顔を横目で見て小さな声でそうつぶやいた。
「震天制空隊って知ってますか」
記者はそう里美もたずねてみた。それはもちろん彼女が酔いつぶれる前のことだ。
「なにそれ」
里美はその質問にそう答えた。記者は知らないならいいですとその話を終わらせた。
震天制空隊とは大日本帝国陸軍が編制した特別攻撃隊。震天隊とも呼ばれた。他飛行士団には回天隊と呼ばれた部隊があったように師団ごとに別名で呼ばれていた。特攻の一種である。大東亜戦争当時にアメリカのB‐52、スーパーフォートレスと呼ばれた爆撃機を迎撃するための苦肉の策だった。
この爆撃機は当初は軍事工場を主に精密爆撃を行っていたがいつの日からか無差別爆撃で無差別殺戮を行うようになった。
この震天隊は特攻部隊である。だから体当たりする。この特攻は空対空の特攻なのである。
倉町は考えた。この時代、これ以外にも特攻は存在する。こちらの特攻は対艦攻撃である。この攻撃は十死零生。出撃すれば万に一つも生きて帰れる保証はない。が、震天隊は生きて帰ることが許されている。それは当時の日本にはその爆撃機が飛行している高度まで飛行できる操縦者が貴重だったからだ。むしろ生きて帰る。生還することが望まれていた。が、硫黄島が米軍の手に渡ると爆撃に護衛が付くようになった。それはムスタングやライトニングと呼ばれる戦闘機だった。その戦闘機に無抵抗機になった飛燕は無力だった。
その戦闘機は爆撃機の護衛に留まらず港湾、交通網を破壊しそして逃げ惑う住民を機銃の弾を浴びせた。
軍人の本分は国民を守ることだ。それは職務であり任務であった。命がけでその国を守る責務を負っている。記者は依然に国防に携わっていたこともあった。その時に座学でその事を教官に教わった記憶がある。
でもそれだけではない。国民を殺させない。それは軍人の意地でもあった。その国を守るという事は家族や友人、恋人の命と将来を守ることでもあった。彼らは軍人の誇りにかけて自らの命を武器に変えたのだろう。特攻を美化してはいけないとは思うが記者はそう考えた。
そしてその記者は特攻隊の遺族の事も考えてみた。十死零生ではない震天隊も含まれていいる。
そしてその記者は湯呑をあおった。その湯呑から一滴が彼の口にすべり落ちるとそれをテーブルに置きこういった。
「里美さん、美人だからなぁ」
そういって倉町は里美の寝顔を見た。