2016年 予科練記念館
「・・・先生ですよね」
彼はその一言で目が覚めたような感覚を感じた。彼は今まで寝ていたわけではなかった。が、それまで意識が呆然として夢でも見ていたようだった。
それは神社の境内だったのだろうか。そこには森がうっそうと茂っていて辺りは紅蓮色の炎で包まれていた。
先生と呼ばれた彼は学校の先生でもなけれ医者でもなかった。政治家や弁護士でもなかった。
そしてその名は本名ではなかった。その彼は今、予科練平和記念館にいた。彼は小説家だ。彼は高校卒業後、自衛隊に入隊し二年間そこに在籍した。その後、会社員になりそのかわら小説を書いていた。それはペンネームだった。
彼はこの阿見町で一人で暮らしていた。 そして彼の現在の職場はこの阿見町。彼は中古で買った軽自動車で毎日通勤している。彼はアパートに住んでいる。二階建て建物の二階の真ん中の部屋を借りていた。築二十年過ぎたぐらいの建物でそこの六畳と四畳半だった。建物が古いのと駅や商店街が遠いせいか意外と家賃が安かった。彼はこの町出身だったが両親はもういない。
その彼は自分を呼び止めた彼女を知らなかった。身長はだいたい一六○センチぐらいだろうか。身長がそんなに高くない作家と同じぐらいだった。体系は細く女性らしいメリハリは乏しかった。彼女は髪が長く後ろで束ね白いスーツを身に着けていたか。どこか凛とした雰囲気があった。
「先生、よかったらサインしてもらえませんか」
彼を呼び止めた彼女はバッグの中か本とペンを取り出した。
蒼天
空色の表紙に書かれたハードカバーのその本は彼が執筆したものだった。それは彼が数年前に新人文学賞に応募したそれは第二次世界大戦を舞台にした作品だった。いわゆる戦争物というやつだ。彼の歴史的背景や戦闘シーンの描写は驚くほど緻密で迫真にせまっていた。まるで実際に見てきたようだ。そういう審査員も何人もいたようだった。
「あ、はい」
先生と呼ばれた男はあわててそれを受け取った。それは彼女の顔をじっとみいっていた。彼女はかなりの美人だった。そのせいもあったが彼にはその彼女の顔も雰囲気もだれかに似ているような気がしたのだ
「この本、何度読みました」
「ありがとうございます」
彼はそんな会話をしながらマジックを受け取るとキャップをあけるとサインを書き始めた。彼はそれをきっかけに作家デビューをはたしヒット作を何冊も執筆した。といっても彼の名前を知る人は少なかった。小説は二万冊売れればヒット作だ。何十万枚ダウンロードとかいう流行歌と比べれたら微々たるものだった。だから彼は安いアパートに住み軽自動車に乗り工場に勤めていた。
現在の季節は夏だ。八月だ。世間ではお盆といわれる時期だった。暦の上では残暑と呼ばれる時期のなのだがまだまだ暑い日が続いた。その作家の男はTシャツとジーパンとスニーカーという出で立ちで肩から古い鞄をかけていた。
そして今二人は霞ヶ浦のほとりにある建物いた。そしてその建物は土浦海軍航空隊の跡地にできた公園の中にある。この施設は終戦記念日には無料では解放される。今日はその日だけにカップルや親子ずれでにぎわっていた。
「ここに予科練があったんですね」
「海軍予科練習生。土浦海軍航空隊にあったそうです」
彼女がそういうと作家はサインを書き終えそいういいながらその本とマジックを持ち主に返却した。その彼女はありがとうございますとそういうとまた彼に質問をした。
彼と彼女の関係は作家とファンだ。彼は彼女が大好きな小説を書いた作家で彼女は彼の作品が好きな読者だ。でもこの二人はそれだけの関係ではなかったようだ。なんというのだろうか。一緒にいるだけで心地よさも心地よさも感じられた。お互いだが以前から知っているような気さえしていた。
「ここで飛行機の訓練してたんですか」
「いえ、それは卒業してから航空隊で訓練してました」
「じゃあ、ここではなにをしてたんですか」
二人はそんな会話をしながら館内の見学をしていた。
二人の目の前のショーケースのガラスの向こうにある白い詰襟のジャケットが置いてあった。それは七つ星。そう呼ばれる予科練生の制服だった。少し丈が短いそれには七つの海をイメージして桜と錨があしらわれた七つのボタンとウイングマークと呼ばれたワッペンのようなものが襟につけられていた。
予科練は教育機関である。現在の日本の国防機関、自衛隊でいうなら航空学生にあたる。航空学生とは、海上自衛隊と航空自衛隊における航空機操縦士及び海上自衛隊の戦術航空士を養成課程及び課程在学中の身分をいう。当然、学生なのだら卒業する。自衛隊なら飛行幹部候補生となりやがてパイロットとなって各部隊に配属される。
予科練も同様だ。そこを卒業し他の海軍航空隊で初等訓練をうけ晴れて飛行機乗りになれるのだ。
当初はこの土浦海軍航空隊のみで海軍の飛行機乗りのほとんどがここで勉強し各部隊に配属された。この予科練。倍率が高く当時は東大より入学が難しかったらしい。
「飛行機乗りになるのに必要な勉強とか軍隊の練習とかしてました」
「そうなんですか」
「今の自衛隊でいう航空学生みたいなものです」
「そういえば先生は自衛隊にいたんですよね」
「はい、勝田に二年いました」
「勝田・・・」
「はい、施設教導隊です。ひたちなかにあります」
そんな会話をしている間も彼女は真っすぐな目で彼を見つめていた。それは憧れの人物を見る目だろうか。彼にはそれは違うような気がした。
「でも、なんで自衛隊にはいったんですか」
「ん、ヒーローになりたかった・・・からかな」
「ヒーローですか」
巷のテレビではバイクに乗った青年が颯爽と現れたり。地球では三分間しか戦えない巨人など様々なヒーローがいる。多くの少年はそのヒーローに憧れそしてマネをする。もしかしたら彼もそのヒーローに憧れのだろうか。その影響もあるのだろうたまたまテレビで見た台風や地震のあとの人命救助にあたっている自衛隊を見て入隊を希望する若者も少なくないはずだ。
「でも、なれなかった」
「ヒーローにですか」
「はい、僕には無理でした」
「そうなんですか」
彼女は今両手でその彼の書いた本を大事そうに持っている。今の彼女にしてみたら目の前にいるその作家は自分の大好きな作品を執筆した憧れの人物だ。それはヒーローといっていいだろう。
その彼は隣で展示品を見る彼女を横目で見た。その彼女は美人だった。もしかしたら彼女は彼の好みのタイプだったかもしれない。今度は彼から声をかけた。
「あの・・・」
その彼女はゆっくりとした動作でそして優しい眼差しで彼を見た。彼はその彼女にこう問いかけた。
「こんな話はどうですか」
そういって自らの小説のアイディアを提案した