親父の奥さんと怪しい薬
「へえ! やっと下働き入れたんだねぇ。聞いてると思うけど、あたしはレッドの妻でルシーダだよ。よろしく」
めっちゃいい笑顔で挨拶してくるのは、半年も冒険者として魔獣を追っていた親父さんの奥さんのルシーダさんだ。
ガタイのいい親父さんは背は然程高くなくて、俺と同じくらいだ。
その俺達よりも頭ひとつ分大きいのは、大女と呼んでもいいと思う。声に出して言えないけど。
今よりちょっと前の事だった。
その時は営業時間が終わって、親父さんとバス先輩は明日の仕込みをしていた。
俺は暗い外の井戸近くで、鍋を洗っていたら、この女性が庭に入ってきて、いきなり首根っこを掴まれたのだ。
もがいて暴れる俺をそのまま怪力でねじ伏せ、店の裏口から内に引き摺って行かれたわけだ。
そんで、仕込みしていた二人が、俺達を見て、そして、無視した。
うん、酷いよな。
俺が不審者じゃなくて、店に雇われた下働きだという事実が判明して、ルシーダさんの拘束が解けた後、さっきの挨拶になったわけだ。
俺はそんな状態だったけど、ビクビクしながらも、親父さんとバス先輩の眉間の皺を見て、雰囲気を明るくしようとした。
「俺はユーゴです。よ、よろしくお願いします。姉御! いや〜。親父さんの奥さんて綺麗ですねぇ!」
ヘラリと笑いながら頭を下げて、親父さんにお愛想を言う。
「ふふふ。ユーゴは口が上手いじゃないか!」
すると親父さんは無反応なままだったが、ルシーダさんには犬でも撫でるようなぞんざいな手つきで、ワシワシと頭を撫でられた。
ルシーダさんは、危険職の冒険者をしている。
この店の売りである、魔獣の肉を狩るとともに依頼もついでにこなしているらしい。
だけど、強い魔獣を追うからには、金は掛かるし、他国まで旅なんてしているから、家に居る時間が少ない。
「で? 肉はどうなんだ」
やっと親父さんが包丁を置いて、ルシーダさんに顔を向ける。
「まあ。今回は失敗だ」
「…………」
傍で聞いていても、半年も家を空けていた奥さんに掛ける言葉としてどうかと思うけど、それだけの期間を魔獣に掛けたのに獲物が無いのは、居たたまれない。
俺はそおっと裏庭に逃げる為に背を向けようとした。
「ユーゴ。ラント果酒持ってきな。いいものあげるよ」
「へ? あ、でも」
ラント果酒っていうのは、果実とラントっていう魔獣の眼球のエキスが混ざってるやつで、青い色の強い酒だ。
この店は飯屋の他に、夜は居酒屋として酒も提供している。
魔獣に関連した酒も置いているから、珍しい酒も置いてある。
ラント果酒は結構高い酒だから、持って来いと言われてホイホイ出していいのか迷う。
親父さんは知らんぷりして仕込みに戻っちまった。
見かねたのか、バス先輩が、店側の棚に行き、カウンターから酒を渡してきた。
「ほら」
「すんません〜」
バス先輩が厨房に戻る時に、俺の肩をポンと叩いていった。
何か、嫌な予感がひしひしと感じた俺は顔を引きつらせた。
「お〜。あるじゃないの。これに混ぜるといいらしいからさ。あ、店の方で飲もう」
強引に促されて薄暗い店内に行き、カウンターにルシーダさんと座る。
ルシーダさんが小さい椀にラント果酒を注いで、怪しげな小瓶の中身をそこに足す。
「ほい。これ飲んでみな」
「いやいや。何か、それ、貴重なものなんじゃ?」
「土産だよ。遠慮しないで。さあ!」
手に椀を持たされてしまった。
俺はルシーダさんの事が少し分かった。この人、他人の話なんて聞いてない!
癖があるというか、困った女性だという事がちょっとの間で理解出来た。
(助けて下さいよー)
カウンターからバス先輩と親父さんに縋る様な目付きで見つめるが、知らんぷりだ。
ルシーダさんにお土産だと言われて強い目力で見つめられる。
「むむ」
仕方無く、強いラント果酒を思い切ってぐいっと飲み干した。
「おー。イイ飲みっぷり。お疲れ!」
ルシーダさんは大瓶のラント果酒をらっぱ飲みでごきゅごきゅと飲む。
結局、あの小瓶の中身が何かを教えられないまま、カウンターに俺だけが突っ伏し酔いつぶれ翌日になった。
夫婦仲が良くないのかと心配したのは杞憂に終わった。
今回の魔獣討伐が失敗したら、冒険者家業は辞めるという約束だったらしい。
翌日からはグロラビもルシーダさんがサクサク狩りをしてくるし、給仕もする。
俺の仕事が途端に少なくなった。
小瓶の中身は、高価な魔法薬だったらしく、筋肉増強剤だった。
丁度良かったというか。俺の力がこの世界の成人男性並に上がったんだ。
「なんだい。もうちょっと強くなると思ったんだがね。劣化品だったか」
「いや、ユーゴを雇った時はちびっ子程度だったからな」
「ふーん。そんな子に狩りやらせてたのかい」
「タミが食べたいっていうからよ」
という会話を漏れ聞いた。
あの薬を飲ませて強くなれば、肉を狩りに行くのをバトンタッチ出来るという魂胆だったらしい。
でも、俺が筋肉増強剤飲んでも、並の強さにしかならなかったから肩すかしくらったようだ。
「姉さんはあれを何処で手に入れたんだ?」
何とルシーダさんはバス先輩の実の姉だった。
確かに二人共大きい。
俺はあの薬がそこまで価値のあるものだとは思ってなかった。
魔法のある異世界だし、そういう不思議な薬もアリなんだろう、なんて考えてたからだが、違ったらしい。
なんと、十金貨じゃ買えない代物だとか。
(普通そんなの出会ってすぐの新人に飲ますか!?)
「実はさあ。これ飲んだら、次の商隊の護衛やれって頼まれてたんだよね。バスに飲まそうと思ってたんだけど、料理人減ると困るだろ。もう一人雇ったならいいかと思ったんだよ。狩り出来る子しか雇わないって言ってただろ」
弱っちい俺が護衛に行ってもどうしようもないだろうって事で、冒険者組合にルシーダさんが断りに行くと言って、数日後、出掛けて行った。
ところが、依頼主のおっさん、ドレナク氏がレッドの鍋に俺を見に来たんだ。
「ほうほう。この方が」
「ユーゴ。こちら、ドレナクさん。王都に商会持ってる会長さん」
「ど、どうも。よろしくです。ドレナクさん。ユーゴです」
「ムサラ・ドレナクと申す者です。ユーゴさんが秘薬を飲んだとか」
「えっと。はい」
「それでは、仕方無いですね」
「じゃあ、いいのかい? 金は少しづつ払うからさ」
「いえいえ。違いますよ。ルシーダさん。王都にはユーゴさんに来て貰います」
「「え?」」
ドレナク氏は、恰幅の良い目尻の下がった大福様みたいな顔をしてニコニコしている。
そんな顔しながらのんびり話すから、害が無いように錯覚をする。が、見た目に騙されちゃいけないかもしれない。
行商から一代で名の知られる規模に商会を築き上げたっていう男だ。そんな遣り手な商人が見た目通りの人間だなんて思っちゃいけない。
商人の顔色からは腹の底が読めないままだ。
「あの秘薬は少々特殊でしてね。あれを飲んだ方に一緒に来て欲しいのです」
「筋肉増強だけじゃないんですか?」
俺は怖くなって思わず尋ねていた。
「はは。そうですが、身体に毒なわけではないので大丈夫ですよ」
「でも、ドレナクさん。ユーゴに護衛はちょっと」
「ええ。ルシーダさんだったら、護衛をして欲しいと思ってましたが、このお店と同じくユーゴさんには下働きとして来て頂きましょうか」
薬を飲んじまったものは仕方が無い。俺には金貨十枚なんて大金用意出来ない。
ルシーダさんに払わせるのも……ちょっとは考えたけど、下働きでいいなら構わないかなと依頼に頷いた。
安易に怪しい依頼を受けたルシーダさんも反省していて、頻りに俺と親父さんに謝っていた。
そんなこんなで、トッタの街の支店の用事を済ませたドレナク氏が、俺を連れて王都に行く日が明日に迫ったのだった。




