初めての喧嘩
四ヶ月前すれ違いの末、鷹塚部長と付き合う事になった千尋。文通から計算すれば、丁度一年が過ぎた。タイミングを逃して、四ヶ月経った今漸く、同僚で友人の由香子に今までの経緯を告白した。文通相手が鷹塚部長で、更に付き合う事になったと話せば『気は確か!?』と、かなり驚かれ失礼な発言をされる。
ムッとしたが、千尋は季節共に春が来ているので、多少の言葉は大目に見ようとした。しかし、由香子の一言で千尋は不安に襲われる事となる。
中学の淡い恋心抱いて以来、大人になって部長と付き合うまで、他の男性と付き合ったことが無い千尋だった。つまり、誰とも付き合わなかったと言う事は、体は乙女のままと言う事。由香子は、部長が相手なのは癪だけど乙女喪失は目出度いと、下品な発言をして千尋を頭から足まで、セクハラ親父の様にジロジロ見ている。
「ゆかちゃん、盛り上がってるとこ悪いけど無いから」
「何が?」
「だから!乙女喪失なんてしてない」
「はぁーー!?まだヤッていないって馬鹿?部長は本当に男なの?」
「性別は男じゃないと困る」
思いっきり由香子から拳骨を頂き、痛いと涙目になった。痛いとうるうる眼で訴えれば、お前が悪いと、お決まりの馬鹿馬鹿発言をされる。
「本当に乙女のままなの?」
「うん・・・乙女のままの上キスもまだ」
「何ですって!キスもしてないって有りえないから」
由香子に付き合っていたら、当たり前のキスも無いのは可笑しいと不安を煽る発言をされ、気にしていなかった千尋も段々と不安になってきた。乙女喪失は、勇気がないので早くなくて良いのだが、キスはしてみたいと思っている。由香子には、もう一つ話していない事がある。
付き合って一度もキスが無い上、手さえ握っていないのだ。デートも二回しかしていなく、大人の恋人同士が行くような場所というより、友達と街をぶらぶらしている感じだった。今思い返せば、デートと自信持って言えない。どんどん気分が落ち込んでしまい、鷹塚部長は自分の事を好きではなかったのかもと、考えるようになった。
そんな千尋を見て、いつも馬鹿呼びしていたが友人でもある為、単身部長の所に乗り込もうと考える由香子。事情はどうあれ、千尋を不安にした罪は重いわよと部長を恨んでるが、不安な思いに気付かせたのは由香子自身と気付かない。女子更衣室で制服に着替え、千尋の憂鬱な一日が始まった。
「林田君、香坂君を見なかったか?急ぎの用事を頼みたかったのだが」
「知りませーん」
「林田君、仕事中に上司に向かってその態度は良くない」
「私、直属の部下じゃないですから」
鷹塚部長に対し、何と恐れ多い態度取るんだと周りが見守る中。鷹塚部長にだけ聞こえる様に、小声で千尋と付き合ってるの知ってるんだからと脅す様な言い方をする。一瞬、眉毛がピクリ動く鷹塚部長だが、平然とした態度で『それがどうした?』と、由香子に堂々とする。
その態度が気に入らなく、歯を食い縛りながら何か鷹塚部長に一泡吹かせれないものか考える。千尋は、資料を取りに資料室へ行ったばかり、休憩時間じゃないので騙されるかは分からないが試しに嘘を言ってみた。
「千尋はさっき、人に呼ばれてました」
「呼ばれた?誰に」
「さぁ、社内で人気の男性でしたけど」
訝しげな顔をしつつ、鷹塚部長の頬はピクピクしてるのが分かった。そして、そのまま何処かへ去っていき走る音が聞こえる。由香子は地獄耳の様に集中すれば、とても耳が良い持ち主であった。誰もいなくなった時の顔を想像して、慌てているだろう鷹塚部長を嘲笑う由香子。
「このぐらいの嘘、可愛いもんよ」
鷹塚部長がさっきまで居た場所に目を向け、ふんと鼻息を荒くする。
―――――――――
資料室で千尋は、昨年プレゼンされた似た様な資料を集める様、別の部署の部長に頼まれ端から端まで探していた。あの、厳しい鷹塚部長の元で働いていれば雑用など平気と思っているのか、それとも自分の部下は頼りなく千尋が頼みやすいからなのか分からない。しかし、最近は鷹塚部長の部下と言うだけで、雑用を押し付けられることが増えてきた。
『鷹塚君の部下ならサクッと終わるだろ?』なんて、自分の部下に頼めば良いものをわざわざ、千尋の所に持って来る。少し変わっている千尋は、出来る限り他人の仕事も引き受けてヘラヘラしてしまい、目をつけられる原因を千尋自身がつくっていた。
「これは、ちょっと違うな・・・あっ、これは良いかも」
独り言をぶつぶつ言いながら、次から次へと資料を集めて行く。適当に集めていけばいいものを、几帳面な性格が少しあるのか、細目に探す。高い所など手が届かないが、必死になって手を伸ばし後ちょっとという所で、誰かの手が千尋の頭上に追い被さった。
「はい、これでいい?」
「・・・ありがとう、ございます?」
「ふっ、何で疑問形なの。変わってるね」
良く言われますので、ありがとうございます。と、褒めてもいないのにお礼を言う千尋に、益々可笑しく感じたのか男は笑って、千尋が持っていた資料を受け取った。何で持って行くのだろうかと疑問に思えば、どうやら先程頼まれた部署違いの部長の部下だったようだ。
「ごめんね、うちの部長が君に色々押し付けたみたいで」
「いえ、雑用ぐらい問題ありません」
「問題ありだよ。他人の仕事手伝って、自分の仕事怠ったら君が怒られる」
そんな事かと千尋は思い、自分の彼氏でもある鷹塚部長は仕事さえ出来れば問題ないんですよと言ってやりたいのを我慢。一応、社内恋愛は禁止ではないにしろ、付き合っているのは由香子以外内緒にしている。彼氏とは言わず、鷹塚部長は厳しいが仕事の能力が身に着く事良い上司とフォローしすれば、とても驚かれる。何で驚くのか、逆にこっちが驚くよみたいに、同じような顔をすれば。
「そっか君、鷹塚部長の噂の部下だったんだ」
「噂の部下?」
「うん、あの鬼部長の元で唯一付いて来れている女性社員が君。ちょっとした噂の的だよ」
人の彼氏を、鬼部長呼びなんて失礼ねと思いながら、口には出せれないので黙っている。言われた通りの事をしているだけで、怖くもなんとも思わないのだが、周りには鷹塚部長の言葉一つが怖いようだ。気にしていないが、鷹塚部長の声は低音ボイスで仕事中に怒られると皆、委縮してしまうらしい。あの声が素敵と思わないのかと、鷹塚部長の魅力が気付かれないのが残念に思う千尋だった。
「ははっ、流石に鬼部長でも、自分の上司の良い話じゃないから怒るよね。ごめんね」
「いえ、気にしないで下さい」
「じゃあ資料ありがとう。今度もし頼まれたら俺の名前出して俺、近藤優」
そのまま、名前だけ名乗って去ってしまった。何だったのかと、千尋も自分の仕事をする為オフィスに戻ろうとした時、物凄い勢いで扉が開いた。
「香坂!?」
「部長?どうしたんですか、そんなに急いで」
息を切らし、千尋の前までやって来る。そして、何か確認するかのようにあちこち、体を何ともないか聞いてきた。不思議に思いながら、何もないですよと、鷹塚部長の顔を覗きこむ。やっと、安心したのか千尋を抱きしめて肩に顎を乗せ、溜息を吐く。
「部長?一体どうしたんですか。此処、会社ですよ」
「資料室なんて、滅多に誰も来ない。暫く、抱き締めさせて」
「えっ、そうなんですか?さっき、いましたけど」
「・・・誰、もしかして本当に呼び出しされてたか?」
急に不機嫌な声になり、鷹塚部長の目が千尋を冷たい目で見るかの様に見つめる。何で怒ってるのか分からず、正直に先程の出来事を話した。
「また、君は他の部署の頼まれ事を引き受けていたのか」
「その、断り辛く・・・つい・・・」
「つい、じゃないだろ。自分の仕事は疎かにしていないとはいえ、お人好し過ぎだ」
あれこれ説教され、千尋は落ち込んだ。初めて、仕事以外で怒られたのもあって、千尋は鷹塚部長に対し反抗的な態度を取った。
(そんなに怒らなくてもいいじゃない。部長の馬鹿)
「さっきの男の人は、私の事心配してくれました」
「さっきの男だと・・・まさか、告白されたのか?」
「何で、そんな話になるの!部長は怒ってばっか、大っ嫌い馬鹿」
「怒りたくもなる。君はいつも、お人好しで抜けてる所がある・・・人の話を聞きなさい」
千尋が話も聞かず、扉の方へ逃げる。千尋と叫ぶ鷹塚部長を無視して、自分の部署に千尋は走った。
(何よ、何よ、部長は私の事抜けてる所があるって・・・足手まといと言いたいの?)
お付き合い編開始。不定期更新になります・・・一応R15を保険につけました。