第一話 残り二十五年
昼過ぎに目を覚ますと、カーテンの隙間から薄い日差しが差し込んでいた。
枕元のスマホを手に取る。通知は少ない。求人サイトからの自動メールが一件、学生時代のグループチャットが数件。開く気にはならなかった。
牧瀬ソウタ、25歳。
無職。
大学を中退してから、仕事は長続きしなかった。接客業、工場、営業補助。どれも数か月で辞めた。
働けないわけじゃない。ただ、続けられなかった。
気づけば一年近く、こうして昼に起きる生活をしている。
「……腹減った」
コンビニで買っておいたパンをかじりながら、SNSを開く。
同級生の投稿が流れてきた。
『結婚しました!』
『昇進祝い』
画面を閉じる。
最近、それを見るたびに思う。
みんな、ちゃんと前に進んでるんだな、と。
それに比べて自分は、ずっと同じ場所で止まっている。
いや、止まっているならまだいい。
本当は少しずつ、取り返しのつかない方向へ進んでいる気がしていた。
鏡を見る。
寝癖。伸びた髪。少し痩せた頬。
二十五歳。
まだ若いと言われる年齢なのに、最近は妙に「終わった感覚」があった。
そんなことを考えながら、何となく動画サイトを開く。
おすすめ欄には、最近やたら増えた話題が並んでいた。
『【検証】本当に若返る?』
『”リバース現象”は病気を治すのか』
『九十歳男性、杖なし歩行』
「またこれか……」
ここ数か月、世間は“若返り”の話題で持ちきりだった。
最初は都市伝説みたいなものだった。
白髪が減った。
肌が綺麗になった。
老人の視力が回復した。
そんな報告がSNSに投稿され始めたのがきっかけだ。
もちろん、最初は誰も信じていなかった。
加工だの勘違いだの言われて終わり。
だが、それにしては報告数が異常だった。
テレビでも連日取り上げられるようになり、ついには正式に名前まで付いた。
『リバース現象』
人類全体に起きている、原因不明の身体年齢低下現象。
専門家たちは慎重な姿勢を崩していなかったが、世間は半分祭り状態だった。
特に盛り上がっているのが医療関係のニュースだ。
『末期癌患者の腫瘍縮小を確認』
『アルツハイマー症状の改善例』
『加齢による視力低下が回復』
コメント欄には、
『不老不死きた?』
『神現象』
『これもう進化だろ』
といった文字が並んでいる。
ソウタも最初は笑って見ていた。
コンビニへ行くと、レジの店員が客と話しているのが聞こえた。
「うちの親父、最近めっちゃ元気なんすよ。前まで杖ついてたのに」
「分かる分かる。うちのばあちゃんも元気に歩いてたわ!」
笑い声。
まるで健康ブームの雑談みたいだった。
世界は、この異常をどこか前向きに受け入れ始めていた。
ソウタも、悪いことではないと思っていた。
病気が治るなら。
老人が元気になるなら。
それの何が悪いのか。
むしろ、良いことじゃないか。
部屋へ戻り、ソファに寝転ぶ。
天井を眺めながら、ふと思う。
「……戻る、なら...」
口に出した瞬間、自分で苦笑した。
学生時代を。
就職活動を。
あの日の選択を。
人生を。
全部。
少しだけでも戻れたら。
そんなこと、考えない人間の方が少ないのかもしれない。
だから世界は、“若返り”を歓迎しているのだろうか。
人はみんな後悔があって、本当は少しだけ戻りたいのかもしれない。
そこまで考えた時。
スマホが震えた。
通知。
ニュース速報。
何気なく開いたソウタは、そのまま動きを止める。
『緊急会見 全世界同時配信』
画面には、見慣れないほど深刻な顔をしたアナウンサーが映っていた。
『先ほど、各国研究機関による共同発表が行われました』
背後には複数の国旗。
海外メディアのロゴ。
異様な空気だった。
『現在確認されている”リバース現象”について、世界規模での共通性が認められました』
ソウタは起き上がる。
アナウンサーは原稿を読む手をわずかに震わせていた。
『現時点で判明している内容として――』
――…。
『人類全体の肉体年齢が、一日につき約一日ずつ減少していることが確認されました』
ソウタは眉をひそめる。
一日につき、一日。
つまり。
『現在の理論上、人類は加齢を停止しています』
SNSが爆発したように通知を鳴らし始める。
配信コメント欄も高速で流れていた。
『やばくね?』
『不老不死!?』
『勝ったじゃん人類』
だが、会見はそこで終わらなかった。
『さらに現在、新たな正常受精および出産成功例が、世界規模で著しく減少しています』
空気が変わる。
『研究機関は、”リバース現象”によって生殖細胞の成長過程にも影響が発生している可能性を示唆しています』
ソウタは、何となく嫌な予感がした。
画面にはグラフが表示される。
人口推移予測。
右肩下がり。
ゆっくりと。
確実に。
『この現象が継続した場合、人類の総人口は減少を続けると予測されています』
会見場がざわつく。
記者の声が飛ぶ。
『原因は!?』
『止める方法はあるんですか!?』
『現象の終息予測は!?』
だが返ってきたのは、
『現在調査中です』
という言葉だけだった。
ソウタはスマホを見つめたまま、しばらく動けなかった。
一日で一日若返る。
つまり。
今二十五歳なら。
あと二十五年。
そこで、自分は存在できなくなる。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
人生をやり直したい。
そんなことを考えていた。
けれど、本当に人生そのものが巻き戻るなんて、誰が想像する。
窓の外では、いつも通り電車が走っていた。
夕焼けに染まる街も、変わらない。
なのに世界だけが、静かに終わりへ向かい始めていた。
ソウタはスマホを握り締める。
もし本当に、残り時間が決まっているのなら。
自分は、これからどう生きるのだろうか。
続く
読んでいただきありがとうございます。
世界が“戻り始めた”時、人はそれを救いと呼ぶのか、それとも終わりと呼ぶのか。
少しずつ書いていければと思います。
感想やブックマークをいただけると励みになります。




