リンクシェルの共鳴と、未完のパッチノート
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深夜。お弁当箱の解析で神経をすり減らした私は、逃げるようにMMO『ヴァナ・ディール』へダイブした。
府中の自室の静寂とは対照的に、画面の向こう側――サルタバルタの草原には、風に揺れる草の音と、どこか懐かしい音楽が流れている。
私の姿は、筋骨隆々の巨漢ガルカだ。現実では慎重すぎる鑑定士でも、この大きな体なら、何にでも立ち向かえるような気がする。
岩の上に腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げていると、不意に視界の端に小さな影が映った。
『……よお。大斧の旦那、また黄昏れてるのか?』
白魔道士のタルタルだ。中身が、あの無鉄砲なハンターだとは露知らず、私は思わず口角を緩めた。
『……別に。ソースコードのバグ取りに疲れただけや。あんたこそ、また無茶して死にかけてたんちゃうか?』
『……今日は休業だ。……現実で、少し不味い弁当を食べちまってさ。口直しに、綺麗なもんでも見ようと思ってな』
お互い、現実での出来事を(それとは気づかずに)共有している。アバター越しに伝わってくる彼の言葉は、なぜか私の耳に、とろけるような「甘美な響き」として届いた。
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ちょうどその時、ゲーム内では期間限定の「星祭り」のイベントが始まっていた。
空からゆっくりと降り注ぐ、魔法の粉のような流星群。それは三枝の消えた事故の光とは違い、ただ純粋に、人を楽しませるためだけに設計された安全な光だ。
『……これ、やるよ。イベントの景品だ』
タルタルの彼が、私に手渡してきたのは、青く光る結晶のペンダントだった。
ゲーム内のアイテム。ただのポリゴンとデータの塊。
なのに、それを受け取った瞬間、私の耳には「祝祭のファンファーレ」のような、眩しい音が鳴り響いた。
『……おおきに。……あんたにしては、気が利くんやな』
『……いいだろ、たまにはさ。……俺も、現実のアイツに、これくらい素直に何かが渡せればいいんだけどな……』
タルタルの繊細な声が、少しだけ震えた気がした。
私の心臓が、現実の胸元でドクンと跳ねる。……いや、これはただの同期エラーだ。ガルカと私の心が、一瞬だけ重なっただけ。知らんけど。
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甘い雰囲気を切り裂くように、エリア全体に「Shout(叫び)」が響いた。
【Shout】UnknownPlayer: 『……あの日、花びらが舞った場所で、甘い音を探している。……三枝は、どこだ?』
まただ。あの不気味なノイズ。
だが、今回は準備があった。私は画面の裏で、かつて某チーターから没収・鑑定したまま放置していた「外部インジェクション・ツール」を起動させた。
運営が見逃すような微細なパケットの揺らぎさえ可視化する、禁忌のデバッグツールだ。
『……待て。白魔、今のShout……バイナリ・レベルで解析するわ』
私の視界に、滝のように流れるログデータが重なる。
通常、プレイヤーの発言はランダムな揺らぎを持つ。だが、このShoutは違った。
『……やっぱりや。これ、生身の人間やないわ。同一パケットのリピート送信(リプレイ攻撃)や』
『リプレイ……? つまり、録音か?』
『それよりもっと質が悪い。……三枝が残した思念が、特定のサーバー負荷に反応して、「例外処理」のない無限ループに陥っとる。……誰かがこのツールを使って、無理やりそのループを増幅させてる形跡があるわ。……悪趣味なチーターの仕業で、ほんま糞やわ。』
私は、ツールのスライダーを操作し、その「叫び」の発生源へと強引にパッチを送り込んだ。
論理の楔が、暴走するループを断ち切る。
『……三枝。あんた、こんな寂しい場所で、ずっと同じこと叫ばされてたんか。……ほんとアホやん』
Shoutがスッと消え、吹雪のボスディンに静寂が戻った。
チーターが弄んでいた「幽霊の叫び」は、ただの壊れたプログラムとして正常終了したのだ。
NPCは最後に、私と白魔道士を交互に見つめ、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、安らかに微笑んだような気がした。
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翌朝。府中の欅並木。
昨夜の余韻を振り払うように歩いていると、前方から彼がやってくる。
彼は少しきまり悪そうに、ポケットから小さな結晶のストラップを取り出した。昨夜のペンダントと、全く同じデザイン。
「……これ、鑑定料の追加ってことで、あんたにやるよ」
その瞬間、私の耳には、昨日よりも数倍激しい「甘美な旋律」が流れ込んできた。
同時に、彼の目が大きく見開かれる。
「……おい、店主。あんたの周り……急に、花びらが舞い始めたぞ。……なんだ、これ」
二人の能力が、かつてないほど「正」の方向で共鳴していた。
お互いに、昨夜のMMOの相手だとは気づかないまま。けれど、その魂の欠片が、現実の姿を通して互いを認識し始めている。
「……っ、何言うてんの! ただの静電気による光の屈折やん! ほら、仕事行くよ、仕事!」
私は顔が林檎のように赤くなるのを感じながら、彼を追い越すように歩き出した。
耳の奥で鳴り止まない甘美な音が、私の慎重な論理回路を、メチャクチャに掻き乱していく。




