ソースコードの魔法陣と、未実装の関数
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深夜三時。府中の街が深い眠りに落ちる頃、私の作業机の上だけが、マルチモニターの青白い光に照らされていた。
画面に映っているのは、大國魂神社で回収した「みくじ筒」から抽出した魔法陣のバイナリデータだ。
「……やっぱりや。これ、ただの落書きやない。構造化されとる」
拡大鏡で覗き込んだ微細な術式。それは、現代のオブジェクト指向プログラミングそのものだった。
『エネルギーの抽出』という基底クラスがあり、そこから『発火』や『帯電』といったメソッドが呼び出されている。
パーツ単位で定義された機能を組み合わせて、一つの『魔法』を構成する。三枝がやろうとしていたのは、魔法という神秘を、誰もが再現可能な「記述」に落とし込むことだったのだ。
「エネルギーを電気化して、大気中にパケットとして放出する……。これが『サンダー』の論理構造。……なら、この欠けた関数の先にあるのは……知らんけど」
そしたら、もしも、こう書き替えたら、世界は・・・。
私は、震える指でキーボードを叩き、MMO『ヴァナ・ディール』へとダイブした。
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雪降るボスディン氷河。その最奥にある、地図に載らない隠し洞窟。
そこには、前回のShoutの主が残したと思われる、半透明のアバターが佇んでいた。プレイヤーではない。それは三枝の思念が、特定の条件で起動するように設置した『自動応答プログラム(NPC)』だった。
『……リソースが……足りない。……この先を読み解くには……知性(INT)が……』
ノイズ混じりの音声。白魔道士のタルタル(中身は主人公)が、その「声」をじっと聞き入っている。
ガルカにそのノイズの意図が分かったかは分からないが、こちらをじっと見つめている気がした。
慌てて話を切り出した。
『大斧さん。これ、言葉の断片を繋ぎ合わせると……ある特定の「高度な概念」を理解している者にしか、次の座標を開示しない設定になってるみたいだ』
『概念? 哲学的な話か?』
『いや、もっと論理的で、冷徹な……。世界の構成要素を「変数」として扱えるような、そんな視点だよ』
タルタルの言葉に、私は息を呑んだ。
やはりそうだ。この魔法の正体は、私たちが日常的に触れている「ロジック」そのものなのだ。
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「……ちょっと、実験してみるわ。……知らんけど」
私は現実の作業机に戻り、解析ツールに入力した仮説を実行に移した。
魔法陣のパーツを一つ、プログラミングの法則に従って並べ替える。
抽出 ➝ 変換 ➝ 待機。
その瞬間、私の耳に、これまで聞いたこともないような「とろけるほど甘美な一音」が響いた。
それは、完璧に調律された楽器が、宇宙の真理を奏でたような響き。
「……っ、これや! この方向性で合っとる! 魔法は、コードとして書けるんや!」
歓喜に震えた、その時だった。
隣のチャットウィンドウが、猛烈な勢いで点滅した。
『大斧さん、今すぐ止めろ!! 鼻が……鼻がもぎ取られそうだ!!』
タルタルの悲鳴のようなタイピング。
『何言ってんの! 今、最高の音が聞こえたんよ!? これを解き明かせば、三枝に……!』
『ダメだ! 信じられないくらい酸っぱい……いや、これは「腐敗」の臭いだ! 誰かが……あるいは世界そのものが、これ以上先を暴くのを拒絶してる!』
彼の「嗅覚」が、私の「聴覚」を真っ向から否定した。
私にとっての正解は、彼にとっての致命的な破滅。
同時に、私の視界に真っ赤な警告が走った。
【ERROR: SYSTEM_RESOURCE_INSUFFICIENT】
【REQUIRED_STAT: INT 999 / LEVEL 99】
「……っ、ステータスが、全然足りん……」
あまりにも高度な情報密度に、私の脳が悲鳴を上げた。
ほんの一瞬、真理の端っこに触れただけで、解析ツールは強制終了し、甘美な音は不快な砂嵐へと消えた。
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モニターの明かりが消え、静寂が戻った。
手元には、修復不可能なほど複雑に絡み合った、壊れた魔法陣の断片だけが残された。
「……三枝、あんた……一体何を書き残そうとしたんや」
解析の方向性は合っている。だが、それを実行するための「レベル」も「知性」も、今の私たちには圧倒的に足りない。
そして何より、彼が嗅ぎ取ったあの「最悪の臭い」。
解き明かしてはいけない謎。触れてはいけない世界の根源。
「……やってみて、全力でレベルを上げるしかねえな」
チャットに最後に残された彼の言葉が、今は呪文のように重く響いていた。
夜明け前の府中の空は、まだ、真実の色を隠したままだった。




