武蔵国の厄払いと、大吉の再帰ループ
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昨夜のMMOでの衝撃――あのShoutの残響が、耳の奥から離れない。
私は重い足取りで、府中駅前の再開発されたペデストリアンデッキを歩いていた。昼下がりの強い日差しが、寝不足の目に刺さる。
目に入るのは、ラグビー型の気温系だけだった。
「……腹減ったわ。思考回路が完全にデッドロックしとる」
そう独り言ちた瞬間、目の前に、見覚えのある猫背の背中が現れた。
「……よお。あんたも『らいおん』か?」
振り返ったのは、主人公だった。彼は昨夜の白魔道士の面影など微塵も感じさせない、いつも通りのぶっきらぼうな顔で立っている。
「……冗談やめて。今日は『紅』の辛みで、脳内のキャッシュを強制クリアせなあかん気分なんやから」
「またそれかよ。あそこの辛さは、せっかくの出汁のロジックをぶち壊しちまうだろうが。いいから今日は『らいおん』のネギの鋭さを味わえって」
結局、押し問答の末にどちらかの店へ転がり込み、私たちはカウンターで肩を並べた。
麺を啜りながらも、会話は自然と昨夜のことに向かう。
「……なあ。昨日のShout、聞いたか?」
「……聞こえたわな。嫌な『ノイズ』やったわ。……あれ、三枝のチャット……やなくて、癖そのものやった」
彼は箸を止め、どんぶりの底を見つめた。
「幸せに向かって前を向くには、あの日から進んでない時間を動かさなきゃいけない。……そうだろう?」
私は答えられず、ただ激辛のスープを飲み干した。
三枝……
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欅並木の木漏れ日を抜け、私たちは大國魂神社の境内にいた。
依頼主は、この神社の神主。三枝が消えたあの事故の際、真っ先に駆けつけてくれた、私たちの事情を知る数少ない理解者の一人だ。
「……よく来てくれた。実は、奉納されたこの『みくじ筒』を鑑定してほしいのだ」
神主が差し出したのは、黒ずんだ漆塗りの筒だった。
一見、何の変哲もない。だが、私の耳には、筒の中から「ガチガチ」と歯車が噛み合わないような、不快な「金属音のノイズ」が聞こえてくる。
「これ、誰が引いても『大吉』が出るんです。だが、引いた者はその直後、まるで運命を吸い取られたかのように、大切な品を失ったり、事故に遭ったりしている……。だから、運が良いのか、悪いのか……」
「……最高の結果(大吉)を見せておいて、代償を毟り取るってわけか。えげつない仕様やわな」
私はルーペを取り出し、筒の底に刻印された術式をスキャンした。
ITエンジニアとしての視界が、物理的な筒の奥にある「論理構造」を暴き出す。
「……これ、『魔法的な再帰ループ』が組まれてる。……未来の幸運を現在に強制的に『インポート』して、固定しとるんやわ。……でも、参照元の未来が空っぽになるから、現実との整合性が取れんくなって、エラー(不幸)が起きてる」
「俺の目には、この筒から黄金の花びらが噴き出してるように見えるぜ。……でも、鼻が……鼻がひん曲がるほど、焦げ付いた嫌な臭いがしてやがる」
最高の結果。最悪の過程。
その矛盾した鑑定結果こそが、この「呪われた大吉」の正体だった。
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私が術式のデバッグを試みようとした、その時だった。
筒の中に眠る魔力が、私の「青い珠」と、彼の懐にある「赤い珠」に共鳴し、暴走を始めた。
視界が歪む。
神社の境内が、あの日、三枝が消えた実験室の風景と重なる。
『――助けて、三枝!』
過去の自分の悲鳴が、再帰ループの渦の中から聞こえてくる。
この筒の術式は、あの日、三枝が私たちを救うために発動させた「自己犠牲のプロトコル」と同じ構成で作られていたのだ。
三枝は、自分というリソースを犠牲にして、私たちの「生存」という大吉を確定させた。
そして今、この筒もまた、誰かの幸せを犠牲にして、偽りの幸運を吐き出し続けている。
「なんで?なんで?なんで?なんで?なんでなん?」
「……っ、三枝! また自分を犠牲にするようなコード書いて……! ほんま、あんたはバカやわ!」
私は叫びながら、キーボードを叩くように筒の側面にある魔法文字を組み替えていく。
ループを断ち切るんじゃない。
「適切な待機時間」と「例外処理」を挿入し、過剰な幸運のインポートを停止させる。
「やってみて、全力で止めるしかねえだろ! 幸せを前借りしてまで手に入れるもんじゃねえ!」
主人公が、強引に筒の口を抑え込む。
彼の腕から飛び散る火花と、私の耳に響く絶叫のようなノイズが混ざり合い、そして――。
一筋の清涼な鈴の音と共に、暴走は収まった。
・・・
筒の中からは、一瞬だけ、三枝の笑い声が聞こえたような気がした。
呪いは封印され、筒はただの古い古道具に戻った。
神主から礼を言われ、私たちは拝殿を後にする。
夕暮れの大國魂神社。参道には、新しく結ばれた真っ白なおみくじが風に揺れていた。
「……大吉やからって、手放しで喜んだらあかんわな。……本当の幸せは、バグもエラーも抱えたまま、一歩ずつ進んでいくもんやわ。知らんけど」
「……ふん。俺がさっき引いた『末吉』のほうが、よっぽどいい匂いがするぜ」
彼は、鼻を鳴らして笑った。
その懐にある「赤」と、私の胸にある「青」。
二つの珠が、今は穏やかな、とろけるような甘美な音を奏で合っている。
「……いつか、このループを完全に抜け出すパッチ、見つけなあかんな」
夕闇に溶けていく欅並木を見上げながら、私はそう確信した。
知らんけど……と付け足すのを、今日だけは忘れたままで。




