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分倍河原のクロスオーバーと、境界線のスタッシュ

・・・

分倍河原駅の改札を出た瞬間、世界は二つに分断された。

 北側のロータリー。そこには、この街の全データを司る巨大なサーバーのごとく、東芝のオフィスビルが唯一無二の威容で鎮座している。その足元に広がる小さな商業施設やバス停は、要塞の影に隠れた端末ターミナルに過ぎない。そこは、静かで、冷徹な「繁栄」の端くれだ。


対照的に、駅の南側へと続く狭い路地は、一歩踏み込めば昼間から赤提灯が揺れる飲み屋街。かつての活気が澱のように沈殿し、看板の文字がかすれた「退廃」の残り香が漂っている。


「……なあ。……ここ、やっぱり変だぜ。あそこのデカいビルの『無機質な冷気』と、こっちの路地の『湿った生活臭』が、この駅を境に真っ二つに分かれてやがる」


拓海が、ロータリーの片隅で所在なげに立つ新田義貞の像を見上げながら呟いた。

 かつての英雄。けれど今は、背後にそびえる東芝ビルの圧倒的な存在感に押され、待ち合わせの目印にすらあまり使われない、忘れ去られたアーカイブ(記録)。


「……あっちのビルが世界のアップデートを完遂した勝者の塔なら、新田義貞こいつは、その影に追いやられて消えるのを待つだけのガベージ(ゴミ)か。……三枝、あんた、自分の居場所をこの銅像の『Stash(退避域)』に隠したんやな」


私は、飲み屋街側の古びた軒先で、耳に届く「不快なノイズ」を堪えていた。

 三枝が遺した暗号の断片。それは、歴史の表舞台からガベージコレクション(自動削除)される寸前の、一時保存されたままの情熱だった。


・・・

「拓海、聞こえるか。今から改札内の『共有メモリ(Wi-Fi)』経由で、あんたの視覚データと私の聴覚ログを同期シンクロさせるわ。……敵の監視がある。一秒で終わらせるで」


「了解だ、栞。……やってみて、それを全力でやるしかねえだろ。幸せに向かって前を向くにはさ」


不意に名前を呼ばれ、私の心臓が不規則なパケットを刻む。

 私たちは背中合わせになることもなく、別々の出口に立ちながら、仮想的な通信路を確立した。

 分倍河原駅特有の「JRと京王の共有改札」というルール。それは、異なる勢力が交差しながらも、同じ空間を共有することを許された唯一のプロトコルだ。


拓海が義貞の像の太刀の先――「失われた未来のベクトル」を視認し、その座標をパケットで飛ばしてくる。

 私の耳の中で、その座標が特定の周波数に変換され、飲み屋街のノイズと干渉して、「とろけるような祝祭の和音」へと変貌し始めた。


「……座標、特定したわ。……JRと京王が交差する、あの立体交差の『スタック(階層)』や!」


・・・

私たちは走り出した。

 地上を走る南武線のホームと、その遥か頭上を跨ぐ京王線の高架。

 その中間。本来、人間が立ち入ることのできない「虚空」に、三枝のキャッシュデータは浮遊していた。


「……あかん! コンフリクト(衝突)しとる! 私らの立ち位置が数ミリ秒ズレとるせいで、データが解凍できへん!」


轟音が近づいてくる。京王線の特急が、高架を揺らしながら通過しようとしていた。

 激しい風圧と振動。その瞬間、ドップラー効果によって音のピッチが強制的にシフトされ、パズルのピースが最後の一つを埋めるように噛み合った。


「――今だ、栞! 三枝のログを、この現実ブランチへ引き寄せろ!」


拓海の叫びと同時に、私は三枝のコードを『Cherry-pick』――別の情報世界ブランチから特定の成果だけを強引に摘み取るコマンドを実行した。

 本来、この世界線には存在し得ないはずのデータが、強引に「今」へと繋ぎ止められる。


黄金の花びらが舞い散り、轟音の中から、ノイズを削ぎ落とした三枝の生身の声が響き渡った。


『――ごめん。……ここが、僕ら三人の交差点だ。いつか別々の方向へ走り去っても、このスタックにだけは、僕たちの居場所を残しておくよ。……栞、拓海。……生きて、デバッグを続けてくれ』


それは、三枝が「消失」する直前に、自分たちの絆を世界に刻みつけた、最後のコミットメッセージだった。


・・・

電車は去り、静寂が戻った。

 立体交差の石碑の裏に、小さな、けれど確かな『STM』の文字とパッチコードが刻まれている。

 それは誰にも注目されないけれど、確かにここに三人がいたという、世界で唯一の永続ログ。


「……あいつ、こんなところに自分の『居場所』をデプロイしてたんやな。……アホやわ。ほんま……知らんけど。」


私は、涙でぼやけた視界の中で、拓海にギュッと握られたままの自分の手を見つめていた。

 どちらの体温か、もう分からなかった。


(余韻:片町文化センターの影にて)


二人が去った後の静かな公園。

 古い公民館の影で、タブレットを操作する男が一人、薄笑いを浮かべていた。


「……義貞のStashは解除されたか。……いいデータが取れた。次は、正成の『千早要塞サンドボックス』……。あそこを崩せるのは、あの二人だけだろう」


男の指先には、六角形のエンブレムが冷たく光っていた。

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