働いて働いて”の政策的帰結 ― 高市政権の労働規制改革とホワイトカラーエグゼンプションの本質
高市政権が掲げる成長戦略の中核には、明確に「労働規制の見直し」が位置付けられております。
時間規制の再検討、裁量労働の拡張、成果主義の徹底――その言葉は一見、現代的で合理的に聞こえます。
しかし、政策とは理念ではなく、制度として実装されたときに初めて意味を持つものです。
そして、労働規制緩和の議論が浮上するたびに、必ず姿を現わす制度があります。
それがホワイトカラーエグゼンプションです。
■高度プロフェッショナル制度について
現在、日本ではホワイトカラーエグゼンプションに相当する制度は「高度プロフェッショナル制度」として運用されています。
制度の概要は次の通りです。
「高度プロフェッショナル制度」とは、高度の専門的知識等を有し、職務の範囲が明確で一定の年収要件を満たす労働者を対象として、労使委員会の決議及び労働者本人の同意を前提として、年間104日以上の休日確保措置や健康管理時間の状況に応じた健康・福祉確保措置等を講ずることにより、労働基準法に定められた労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定を適用しない制度です。(厚生労働省HPより)
名称は変わりましたが、労働時間規制の外側に労働を置くという制度思想は、従来のホワイトカラーエグゼンプションと連続しています。
■労働規制見直しの政治的意味
労働規制の見直しは、「働く自由」「成果評価」「生産性向上」という言葉で説明されます。しかし政治的に見れば、それは明確な方向性を持っております。
労働時間規制という国家の介入を弱め、企業と労働者の契約自由に委ねる社会への転換です。
問題は、この「自由」が誰にとっての自由なのかという点にあります。
交渉力の強い個人にとっては裁量の拡大となります。しかし、交渉力の弱い労働者にとっては、規制という最低限の盾を失うことを意味します。
■ホワイトカラーエグゼンプションの本質
ホワイトカラーエグゼンプションは、一定条件を満たす労働者を労働時間規制から外す制度です。それゆえ「定額働かせ放題」との悪名もあります。
時間外労働や休日規制の枠組みを外し、成果によって評価する仕組みです。
しかし制度構造としては、労働時間管理の責任を企業から切り離す側面を持っています。
長時間労働の可視性は低下し、残業という概念自体が曖昧になります。
制度が成立した当初から、労働側が警戒していたのはこの点でした。
■成立の経緯 ― 政治の意思と野党の反対
制度を巡る国会審議では、野党が強く反対しました。
過労死の増加、長時間労働の助長、労働時間管理の崩壊――こうした懸念が繰り返し指摘されました。
それでも制度は成立しました。つまりこれは専門技術的制度ではなく、労働観そのものを変える政治判断だったと言えます。
「成長」の名の下に労働時間規制の壁を低くする。それが当時の政治的選択だったのです。
■普及しなかった理由 ― 労働者保護ではなく企業都合
制度は成立しましたが、日本社会には広く普及しませんでした。実施しているのは、制度の運用支援を企業に売り込むコンサルタント会社などが代表的です。
しかしそれは制度が安全だったからではありません。
企業側の現実的な計算が働いた結果です。
第一に、新制度はリスクが高すぎました。前例が少なく、訴訟や労務トラブルへの不安が大きかったのです。
第二に、日本企業は社員を管理する文化が強く、裁量を大きく認める制度は統制の観点から使いにくいものでした。
第三に、ホワイトカラーエグゼンプション報酬要件が高かったことです(現時点の収入対象は1,075万円以上)。企業は高額給与を支払いたくありません。自由を与えつつ高給を保証する制度は、企業側のコスト感覚と合致しませんでした。
つまり企業にとっては、
・制度は新しくリスクが高い
・裁量は与えたくない
・高い給料は支払いたくない
という三重の理由が存在していたのです。
結果として制度は、“幸運にも”広がりませんでした。
■再び現れる構造
現在の労働規制見直しは、過去の制度を直接復活させるとは限りません。しかし理念と方向性は極めて近いものです。
成果主義、時間からの解放、自己責任型の働き方――
言葉は変わっても、労働時間規制の外側へ労働を移動させる発想は共通しています。
制度は名前を変えて繰り返されます。
そして政治は常に、「自由」という言葉でそれを説明します。
■ 若者たちへ
ここで、今の若い世代に問いかけたいと思います。
あなたたちは、働き方改革の時代に社会へ出てきた世代です。
長時間労働の是正、ハラスメント対策、休暇取得の推進――
少なくとも制度の上では、かつてより守られた環境で働き始めています。
しかし、これから議論される労働規制改革は、その前提を揺るがす可能性を持っています。
時間ではなく成果。
管理ではなく裁量。
そして自己責任という名の自由。
それは本当に「自由な働き方」なのでしょうか。それとも「見えにくくなった長時間労働」なのでしょうか。
もし規制が緩和される社会になったとき、あなたたちは、その環境に耐えられるでしょうか。
次に議論される時には年収要件の緩和も主張されるでしょう。より低い報酬で時間外手当のない長時間残業を強いることができれば、経営者にはこれ以上魅力的な規制緩和はありません。
制度は、いつも美しい言葉で説明されます。
しかし働く現場に立つのは、言葉ではなく人間です。
だからこそ今、問われているのは制度の名前ではありません。
そこで本当に、誰が、どのような働き方をするのか――その現実なのです。
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