赤い手を背負う者
「20番!!」と呼ばれ、眠りかけていた脳を無理やり覚醒させる。
目を擦りながら、レヴィンはメンタルルーム──精神状態を整えるための部屋──に入った。
「お願いしますー」
あくびをひとつかみながら。
「なんだ、眠れなかったのか…?」
メンタルケア担当医は呆れた顔でそう言う。
助手のハリスもため息混じりに続けた。
「全く、君は責任を背負い込みすぎなんだよ…」
昔からの友人で、精神の異能力を持つ彼は、静かにレヴィンを見守っていた。ハリスは自分を愛称のレンと呼ぶ。
「しょうがねーじゃん」
レヴィンは口を尖らせてぷうっとふくれる。
ハリスは椅子を引き、ベッドの前に座る。手が白く柔らかく光った。
「ゆっくりでいい…思い出してみて…」
レヴィンは目を閉じる。
いやでもあの日の光景が脳裏をよぎる。
手にべったりと染み付いた血痕、響く叫び声、胸を締め付ける恐怖…。
「大丈夫…大丈夫…」
ハリスの声が、ささやくように、静かに寄り添う。
「う……うあっ…!?」
レヴィンは思わずベッドの上で身を起こす。
背中に手を添えるハリスの温もりに、かろうじて心を支えられる。
「今日はここまでにしよう…」
ハリスの声は穏やかだが、揺らぐことはない。
レヴィンは深く息を吐き、汗で濡れた髪を指で押さえ、乱れた呼吸を整える。
まだ手に血の感触が残るが、少しずつ心の重さが軽くなるのを感じた。
「もう大丈夫だよ」
「…ああ、ありがとう…」
小さく返事をして、ベッドに沈むように横になる。
医師がカルテにペンを走らせながら、訛った口調で呟いた。
「しっかし…おめえも、とんでもねえ責任背負ってんなあ…普通の若ぇもんなら、とっくに潰れてるぞ…」
いや…潰れたからここに来てるんだろうな、と医師は心の中で付け加えた。
「…ああ…でも、俺は…」
言葉を探すレヴィンを、医師は手で軽く制した。
「言い訳はいらねえ。おめえは抱え込みすぎだ。もう少し吐き出す練習をしろ」
「ういっす…」
ハリスも隣で静かに頷き、レヴィンの背中をさすっている。
その穏やかな手の温もりが、胸の重さを少しだけ和らげた。
レヴィンは横になり、天井をぼーっと眺める。
カーテン越しに、次の聖騎士の静かな呼吸や、苦悩の呟きが聞こえる。
「…くそ…どうして俺ばかり…」
「…もうダメかも…」
レンはその声をぼんやり聞き流す。
自分だけじゃない。皆、それぞれに抱えているものがある――そう思うだけで、少し心が軽くなった。
レヴィンはそっと目を閉じ、重く張り付いた心の圧を少しずつ手放していく感覚を確かめる。
そして医師の指示を待たず、ゆっくりとベッドから起き上がった。
「…あ、もう起き上がっちゃったのか…」
「おう…もう大丈夫だろ?」
医師はカルテにペンを走らせながら、ぼそり。
「まあいいだろ…行かせてやれ」
ハリスはまだ少し渋るが、レンの肩に手を置き優しく声をかける。
「無理は禁物だからね、レン」
レンは小さく頷き、「わかってるよ」と答え、メンタルルームの扉を押し開けた。
――
武闘室に足を踏み入れると、ラミアは弟子たちを厳しく指導していた。
「あ…おかえりなさい、師匠。思ったより早かったですね」
「ああ…」
普段の朝食の賑やかさや和やかな声は、ここにはない。
師匠の口数は少なく、目線は真剣そのもの。どこか近寄り難い空気が漂う。
シモンは少し遠慮がちに剣を構え、カイルは穏やかな笑みを浮かべながらも、師匠の視線を意識して動く。
ラミアだけは冷静で、弟子たちの動きに細かく指示を飛ばしていた。
レヴィンの存在が、武闘室の空気を一段と引き締める。
竹刀を手に取り、「じゃあ、1人ずつ打つか」と口にすると、シモンは目を輝かせ叫んだ。
「うおー!師匠、負けませんよー!」
意気揚々と竹刀を手に構えるシモン。
しかし、レヴィンの雰囲気は一変し、ビリビリとした威圧感が伝わる。
「シモン!! 気圧されない!!」
ラミアの声にハッと我に返るシモン。
レヴィンの目はまるでシモンを貫くかのように鋭い。
怯むシモンだが勢いよく打ち込み、軽々といなされる。
「シモン、フォームが崩れてる!もっと腰を落として!」
「わかってるー!!」
あっという間にスタミナを削られ、シモンは床にゴロンと倒れ、ギブアップした。
「ったくー、シモンは早いんだけどスタミナがなあー」
と、ところどころ緩む雰囲気を見せるレヴィン。
カイルは知っていた。
シモンはスタミナがないわけではない――師匠と打ち合うと、一手一手でゴッソリと体力を奪われるのだ。
最初は年が二つしか変わらないのに「師匠…?」と疑問だったカイルも、今は納得していた。
「お願いします!!」
声を張り、師匠の前に一礼して構える。
僕はパワー系、唯一師匠が苦手とするタイプだ。
カイルは深呼吸をひとつ。腕に力を込め、一気に打ち込む。
「うおおおっ!」
レヴィンの目は鋭く、まるでカイルの動きを先読みするかのようだ。
力任せの一撃を受け止めつつも、柔らかく受け流す。
レヴィンは無言でカイルに一撃を返す。衝撃が腕から体に伝わる。
「が…っっ!?」
なんて重さだ…師匠は豪傑タイプではない。痩せ型で、一見すると弱そうにも映る。
膝をつきそうになるカイルだったが、慌てて上半身を起こし、再び師匠に向かう。
だが不思議と、一打も当たらない…!
カイルはもう一度構え直す。
レンくんは軽く踏み込み、相手の腕を受け流しつつ、体勢を崩さずに小さく言う。
「…だが、大振りに打ち込みすぎると体力を消耗するぞ、カイル」
「はい!!」
静かに返事をするカイル。
しばしの間、二人の世界には静かな集中と、師弟の信頼だけが流れた。
「ありがとうございました…」
一礼し、少し息を整えて下がる。
ラミアがすっと前に出る。
「それじゃ、次は私が相手です。師匠、よろしくお願いします」
レヴィンの目が細まり、背筋がピンと伸びる。
「よし、ラミアが最後だな…受けて立つぞ」
ラミアは落ち着いた呼吸で構え、竹刀をしっかり握る。
レヴィンも握り直す。
その姿に、シモンもカイルも思わず身を乗り出した。
ラミアは女剣士の中では頭ひとつ抜けた天才。
吸収の速さ、真面目さ、正確さ――どれをとっても女剣士の域を超えている。
師匠の剣戟をラミアは一打一打確実に返す。
まるで師匠の動きを映した鏡のようだ。
「ラミア、さすがだ…!」
「わぁ…すごい…」
「やっぱり、姉ラミ姐すっげえー」
しかし押しているように見えるラミアの汗は尋常ではない。
師匠の顔には汗ひとつ、息切れすら見えない。
「どうした…? ラミア」
「く…っっ」
師匠の底知れぬ実力に、ラミアは弟子になってから底なしの沼に沈んだような感覚を覚える。
聖騎士としての師匠。
お供させてもらったことはあるが、本気で戦ったことがあるのだろうか…?
私は天才剣士として持ち上げられてきたが、知らない世界がこの王国には広がっていた…
「まいりました…」
レヴィンは何も答えず、竹刀を降ろした。
「よし…少し水分補給なりトイレなり、休憩を15分挟む」
レヴィンも水を手に取り、一息つく。
ラミアは師匠の普段とは違う真剣な横顔に、思わず見惚れてしまった。
「師匠…素敵…」
すっかり目がハートになってしまっている。




