厄災のアグニ④
リュウの視線が鋭く迫る――その前に、レヴィンは意を決して立ちはだかった。
「ここは…俺が引き受ける…ルナは2人を」
ルナは静かに頷き、その目には揺るがぬ決意が宿る。
「…わかった。すぐ戻るから。戻ったら一緒に戦おう」
レヴィンは小さく息を吸い込み、胸の奥の恐怖と悔しさを振り切る。
目の前にいるのは、かつて信じていたリュウ――だが今はアグニに染まった剣士。
ルナは迷うことなく、血に塗れたアディオを肩に担ぎ上げた。
「…よし、急いでエミリアの元に急がなきゃ」
チェイズは大柄で重く、意識も朦朧として動かない。
仕方なく、ルナは一人で彼をずるずると引きずりながら、エミリアとハリスの元へ向かう。
ルナはずるずるとチェイズを引きずりながら、肩に担いだ血まみれのアディオも感じていた。
「重い…」思わず漏れた声に、焦りと疲労が混じる。
目の前にはエミリアのいる場所が見えているのに、力が思うように入らない。
そこへハリスが駆け寄り、一緒に二人を運ぶ手伝いをしてくれた。
ようやくの思いで二人を室内に入れると、エミリアは治癒能力を使いっぱなしで疲労感が残っているものの、力を振り絞り回復にあたる。
その間、ルナはアディオの剣を一本抜き、静かに構えた。
ハリスは驚きの表情でルナを見る。
「ルナ…?まさか…」
「私も戦う」
ルナは迷いなく答え、スッと剣を掲げる。
「無茶だよ…」ハリスの声には心配が滲む。
「大丈夫。ルナはこう見えて、リュウと長い時間旅をしてきた子なの。剣の腕前だって想像の上を行くわ」
エミリアは穏やかな笑みを浮かべながら、ルナの背中を信頼する。
ーーー
ルナが二人を運び出すのを見送った後、レヴィンは深く息を吸い込み、剣を握り直した。
心臓は跳ね、指先が微かに震む。恐怖もある――だが、それでもやらなければならない。
胸の奥で、守るべき仲間たちの顔が次々と浮かぶ。
「……戦うしかない」
アグニは突如として剣を振り下ろした。
切っ先から炎を纏った、龍の形をした斬撃が迫りくる――!!!
「うそだろ……っ!?いきなりかよ!!」
思わず声にならない叫びが漏れる。
「ま……っっ」
レヴィンの体が、一瞬硬直する。息も詰まる。
抑え込めなければ、森は焼け焦げるだろう――。
胸の奥で冷静さと恐怖がせめぎ合う。
本当にあの人はアグニなんだ……本気で俺を殺す気だ...。
アグニはそのまま、レヴィンの頭上へ剣を振り下ろした――!
「うああああああ――!!」
咄嗟に剣を掲げ、真っ向から受け止める。
金属が悲鳴を上げる。
「う……ぐぐ……っ!」
圧倒的だった。
剣の重さも、技の冴えも、何より“格”が違う。
足元の地面が、ミシリと沈む。
膝が折れかける。
(勝てるわけねぇだろ……こんなの……)
それでも、歯を食いしばる。
「リュウ……さん……っ」
震える声が、炎の向こうへ届くかも分からない。
「呑まれないで……アグニなんかに……!」
その瞬間――
ピタリ、と。
押し潰すようだった剣の圧が、わずかに止まった。
炎が揺らぐ。
アグニの腕が、止まっている。
「……っ?」
レヴィンは重さの抜けた刃を感じ取る。
迷わず踏み込み、力を込めて押し返した。
ガンッ――!!
弾くように、アグニの体勢が崩れる。
アグニ「うぐッ!!きさまあ――――――調子に乗りおって――!!」
怒号と同時に、炎が爆ぜる。
「――っ!!」
一瞬で距離が詰まる。
見えない。
次の瞬間――
ズバァッ!!
レヴィンの肩を斬撃が裂いた。
「ぐぁあああっ!!」
鮮血が噴き出し、地面を赤く染める。
衝撃で体が吹き飛び、数メートル先に叩きつけられる。
熱い。
焼けるように熱い。
傷口が炎で炙られ、血と焦げた匂いが立ち上る。
(速……すぎる……っ)
肩が動かない。
握ったはずの剣が、地面に転がりかける。
アグニがゆっくりと歩み寄る。
炎に揺れる瞳は、もはや人のものではない。
肩から鮮血が滴り落ちる。
熱と痛みが脈打つたびに、視界がわずかに揺らぐ。
リュウの体をもったアグニは――圧倒的な強者だった。
立っているだけで空気が重い。
呼吸さえ、許されないほどに。
レヴィンは歯を食いしばり、震える声を絞り出す。
「……リュウさん……」
悲痛な呼びかけ。
その瞬間――
アグニの体が、ぴくりとたじろいだ。
炎が一瞬、弱まる。
「……っ」
握られた剣が、わずかに震える。
「黙れ……」
低い声が漏れる。
だがそれは先ほどまでの威圧とは違う。
どこか、内側から押し返されるような響きだった。
その時――
リュウの体が、突然大きく震えた。
「がっ……!」
剣を取り落とし、地面に膝をつく。
全身が痙攣するように暴れ始め、のたうち回る。
「出てけ……ッ!!出ていけ―――!!!」
叫びは、さっきまでの低い威圧とは違う。
それは紛れもなく、リュウ自身の声だった。
まるで体内で、何かを引き剥がそうとしているかのように。
アグニの声が、内側から響く。
「お前はレヴィンを……斬った……もう委ねろ」
「うああああああああ――――!!」
リュウの絶叫が森に響き渡る。
「誰か……レヴィンの命を救ってくれ……!!
誰か……俺を、ころしてくれぇぇぇぇ―――!!」
その叫びに、レヴィンの胸が激しく軋んだ。
「やめろよ……」
震える声が漏れる。
そんなこと、言うな。
アグニが嗤う。
「苦しいか……?俺は出て行かんぞ……
こんないい体、逃がしはせんぞ……」
「ぐ……きさ……まああああ!!」
リュウの瞳が、激しく揺れる。
水色――
赤――
水色――
赤――
忙しなく入れ替わるその色は、まるで二つの魂がぶつかり合っている証。
地面に炎が走り、空気が歪む。
⸻
「レン……?これは……」
いつの間にか駆け戻ってきていたルナが、素早くレヴィンの肩に包帯を巻きつける。
血を押さえ、きつく縛る。
「……ルナ……」
荒い息の合間に名を呼ぶ。
ルナの手は震えていない。
彼女のもう片方の手には、アディオの剣が握られていた。
「最後まで一緒に戦うからね?」
短く、強い声。
レヴィンの胸に、熱が灯る。
その時――
「ぐおお……ルナ……」
苦しげな声。
リュウの瞳が一瞬、水色に戻る。
だが次の瞬間。
赤。
深紅に染まりきる。
「邪魔をするなァァァ!!!」
アグニの咆哮。
剣を振り抜いた瞬間――
火を孕んだ閃光が爆ぜる!!
「うわッ!!」
「!!」
ルナが即座に結界を展開する。
透明な膜が二人を包む。
だが――
バキィィィン!!
炎の衝撃が結界を軋ませ、そのまま押し潰す。
「くっ……!」
結界ごと、二人は吹き飛ばされる。
地面を滑り、木々に叩きつけられる。
レヴィンはゆっくりと目を開ける。
耳鳴りがする。
視界が揺れる。
「……ルナ……?」
必死に周囲を見回す。
「あ……!」
すぐ背後に、彼女の姿があった。
自分を庇うように覆いかぶさる形で倒れている。
ルナは頭を強く打ったのか、額から血を流し、意識を失っていた。
その腕は、最後までレヴィンを守る形のまま。
「……なんでだよ。なんでこんな皆優しいんだよ...」
震える声が漏れる。
レヴィンは体を起こし、ルナを抱き寄せる。
温かい。
息もある。
けれど、動かない。
「ごめんな……」
涙がこぼれる。
止まらない。
「俺が……さっさと“器”になる覚悟を決めておけば……」
もし、最初から受け入れていたら。
もし、自分が犠牲になる道を選んでいたら。
今頃――
皆、平和に暮らしていたかもしれないのに。
アディオも傷つかず。
チェイズも倒れず。
ルナも、こんな風に血を流すこともなかった。
「俺のせいだ……」
拳を握る。
自分の非力さ。
弱さ。
揺らいだ決心。
全部が胸を締めつける。
涙が地面に落ちる。
その時――
前方から、ゆっくりと足音が近づいてくる。
炎を纏った影。
「諦めたか、レヴィン」
赤い瞳が、静かに見下ろす。




