リュウの残影④
レヴィンは、息を殺した。
空気が、張り詰める。
石畳の上で、砂粒が転がる音さえ、やけに大きく響いた。
女は、微かに口角を上げる。
――殺気が止む。
兜の奥で、女の空気が、わずかに柔らいだ気がした。
⸻
「……もう、やめない?」
女は、静かにそう告げた。
レヴィン「まだ……勝負は――」
「続ける理由が、もう無いから」
淡々とした声。
感情の揺らぎは、そこには無い。
「力量は分かった。君も、私も。
……聖騎士相手に、これ以上やり合う気はない」
レヴィンは、奥歯を噛み締めた。
(……くそ)
「善行は、善行。
無意味な破壊は嫌いなの。……こう見えて、平和主義なんだから」
女は、背を向ける。
「……だから今日は、ここで終わりにしよ?」
柔らかい声だった。
ついさっきまで剣を振るっていた相手とは、思えないほど。
「君とは……なんだか、もう戦いたくない気分」
レヴィン「な……なんだと……!?」
反射的に言い返した、その瞬間――
兜の下で、ふっと笑ったような気がした。
「ほら……怪我してる」
女の視線が、落ちる。
レヴィン「……え?」
自分の手を見る。
いつの間にか、掌が裂け、血で濡れていた。
レヴィン「……っ」
女は何も言わず、腰のポーチからハンカチを取り出すと、
手際よく、彼の手を取った。
巻かれる布。
指先が、ほんの一瞬、触れる。
「君……」
静かな声。
「もう少し、自分を大切にした方がいいと思うよ……?」
その言葉が――
胸の奥に、重く、深く落ちた。
ドクン。
心臓が、はっきりと跳ねる。
(……なんだ、今の)
心配された?
それとも、見透かされた?
レヴィンは何も言えず、
ただ、巻かれたハンカチを見つめる。
女は手を離し、一歩距離を取る。
「……リュウも、そうだった……」
ぽつりと落とされた声は、
さっきまでの淡々とした調子とは違っていた。
どこか――
ひどく、悲しげだった。
レヴィン「……っ」
背中越しに、赤い鎧がわずかに揺れる。
心の奥底から、ぎくりとした。
(……俺は……)
どこかで――
ずっと、リュウさんの影を追っていたのかもしれない。
強さも。
立ち振る舞いも。
影で守る在り方も。
それを見透かされた気がして、
胸の奥が、ひりついた。
「じゃあね……」
赤い鎧の女は、軽く手を振る。
すぐに離れたはずなのに、その温もりだけが、妙にくっきりと残る。
女「帰ったら、ちゃんと手当しなよ……?」
レヴィン「……ああ」
女「ちなみに――」
一歩、森の影に踏み込みながら。
「今日で依頼は終わりだから……
もう会うことも、ないかもね……?」
その言い方が、
“会わないと決まっている”よりも、ずっと残酷だった。
レヴィン「……っ」
引き留める理由はない。
名前も、立場も、知らない。
赤い鎧は、完全に木々の向こうへ消えた。
風が吹き、
落ち葉が一枚、足元に転がる。
レヴィンは、
ハンカチで巻かれた手を見下ろした。
血はもう止まっている。
(……ちゃんと、手当しろ……か)
それは、
戦いの相手に向ける言葉じゃない。
(……ほんと、何者なんだよ)
胸の奥に残ったのは、
敗北感ではなく――
置いていかれた感覚だった。
アーサーの声が、遠くから響く。
アーサー「レヴィン!何か分かったか!」
レヴィン「……ああ…いえ」
少し間を置いてから、答える。
レヴィン「……逃げられました...」
アーサー「……そうか」
アーサーはレヴィンの怪我を見て肩をぽんと叩いた。
レヴィンは、もう一度だけ振り返る。
(… もう会うことも、ない…か…)
なぜか、その言葉だけが――
胸の奥で、引っかかり続けていた。
どこか地に足がつかない様子で、部屋に戻り、鎧を外す。
剣を壁に立てかけ、いつもの動作のはずなのに、今日は少しだけ手が止まった。
レヴィン(……なんだったんだ、あの人)
手袋を外した瞬間、
掌に巻かれたハンカチが視界に入る。
白地に、控えめな刺繍。
レヴィン「……」
ほどこうとした指が、止まる。
そのまま、うつ伏せに、ベッドへ沈み込んだ。
「もう少し自分を大切にした方がいいと思うよ…?」
声が、妙にはっきり蘇る。
叱られたわけでもない。
哀れまれたわけでもない。
ただ、当たり前のことみたいに言われただけなのに。
レヴィン「……何なんだよ……」
枕に顔を埋め、拳を強く握りしめる。
止まっていた血が、再び滲んだ。
無意識のまま、
ハンカチを、ぎゅっと握っていた。




