誰がための正義
教室に入ると、いつもよりも空気が冷たく感じられた。
沙羅の姿を見たクラスメイトたちが、一瞬だけ動きを止め、視線を逸らす。
そのわずかな間。沈黙の刃が、空気を裂くように鋭く感じられた。
(やっぱり……完全に、敵視されてる)
葛城に対する嫌がらせは、ここ数日少し落ち着いていたが、数日のクール期間をおいて以前より一段と悪化していた。
机に落書き、教科書の紛失、ロッカーの中の水浸し。そして、彼が通り過ぎるたびに囁かれる、卑屈な笑い声。
それらのすべてに共通していたのは、「黒羽のせい」という言葉だった。
(私が、“彼に構ってる”から……)
休み時間、沙羅の机の周りに集まるギャルっぽい二人の女子生徒。クラスメイトではないが全員、同学年だ。
「黒羽さん、あんたさぁ……なんで葛城なんか庇ってるの?」
「庇ってるつもりはないわ。ただ、無関係な人を悪く言うのが好きじゃないだけ。」
「へぇ〜? でも周りから見たら、あんたがあいつに夢中みたいに見えるけど?」
あざ笑う声。
彼女たちの態度は、いつもの“ファン”のそれとは違っていた。憧れが、妬みへと変質した視線。それを沙羅は痛いほど理解していた。
「……それで? わざわざほかのクラスにまで来て何がしたいの?」
「単純に忠告してあげてるのよ。葛城みたいなやつとつるんでると、黒羽様の“ブランド”が汚れるわよってね。
あんた、そういうの一番気にするタイプでしょ?」
一拍の間をおいて、沙羅は微笑んだ。
それは、モデルとしてカメラの前で作る“完璧な笑顔”だった。
「……そうね。でも“ブランド”っていうのは、他人の声で作るものじゃないのよ。」
「は?」
「私が誰と話そうと、誰と過ごそうと、それを見て“価値が下がる”と思うなら――あなたたちは、ただの消費者。本物は、そんなことじゃ揺らがないわ。」
静かな声で、しかし鋭く。
その瞳には、一切の迷いがなかった。
圧倒され、言葉を失う三人を一瞥する。
か細く小さな声で「ムカつく……」と呟やきを残し二人は去っていった。
◆◆◆
翌日、学園中がざわめいた。
沙羅が個人で発信しているSNSに、ある投稿が上がったのだ。
> 「見た目や噂で他人を判断するのは簡単。
でも、誰かを叩いて優越感を得るような人 は、本当は自分を守れないだけ。
私は、そういう人間になりたくない。」
写真も、名前の指定もない。
だが、誰のことを言っているのか、学年の全員が理解した。
それは“宣戦布告”だった。
その日から、教室の空気は一変した。
あからさまな嫌がらせは止み、代わりに「黒羽ってマジで怖い」といった囁きが増える。
だが、それでいい。
彼女は目的のために“敵”を増やすことを恐れなかった。
(あなたに向けられる悪意は、私が全部受け止める。それが雇用者たる私の責任)
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放課後の教室。
葛城は、スマホ画面を見て眉をひそめた。
彼女がSNSに投稿した文章が、すでに数百件のコメントを集めていた。
ーーーーーーー
>>「“正義感の強い黒羽沙羅、やっぱ違うわ”」
>>「”何事にもハッキリと言い切って気持ちいいよね”」
>>「”私も黒羽様みたいになりたい!”」
ーーーーーーー
「……何をしてるんだ、お前は。」
淡々と放たれた一言に、沙羅は目を丸くする。
「え?」
「お前のせいで、ますます俺の立場が悪くなった。」
「そんなこと――」
「いいか、俺は別に助けてほしくて我慢してたわけじゃない。
放っておいてくれって言ったよな。」
沙羅は口をつぐむ。
彼の声は怒ってはいない。ただ、どこか悲しそうだった。
「……そんな顔して、なによ!」
「どんな顔だ。」
「“また裏切られた”って顔。」
彼は、息を詰まらせた。
沙羅の言葉が、見透かすように胸の奥へ突き刺さる。
「……おまえには関係ない。」
「関係ある。だって私は――」
そこからの言葉を紡ぐことが出来なかった。
葛城は、しばらく沈黙していた。
そして小さく呟いた。
「……人を信用すると、失うからだ。」
「失う?」
「昔、そうだった。それだけの話だ。」
それ以上は語らない。
沙羅も追及はしなかった。
ただ、その言葉の重さだけを胸に刻まれた。
◆◆◆
翌朝、教室に入ると、沙羅の机の中に一枚のメモが貼られていた。
> 「不快だから正義の味方気取りはやめろ。葛城には関わるな」
この筆跡は見覚えがある、というかよく知っている。
そのメモをクシャクシャに丸めゴミ箱へ捨て「そんなことで私は止まらない」そう、呟いた。




