アナタの趣味はなぁに?
翌朝――。
沙羅いつもより早く起床し、キッチンへ向かう。
ここ最近は以前に比べ朝が早くなった。
ダイニングテーブルには、整然と二つの弁当箱が並んでいた。
ひとつは、黒羽沙羅の好みを知り尽くした彩り鮮やかな弁当。
ハート型の卵焼き、星形のニンジン、そして中央には宝石のような苺。
もうひとつは、無骨なステンレス製の弁当箱。中身は、白米と焼き鯖、漬物、味噌玉ひとつ。以上。
「……何これ?」
沙羅が眉をひそめる。
「お嬢様用の弁当と、私用の弁当です」
葛城は淡々と答えた。
「”私”と”あなた”の二人分作れって言ったわよね?」
「はい。“私とお嬢様の二人分”と聞きました。間違ってません」
「……弁当の中身を同じ、って言ってないからって?」
「特に迷言はされておりませんでしたので」
わずかに口角を上げる葛城。
その態度が、完璧なまでに”挑発的”だった。
「……ほんっと、性格悪いわね」
「お褒めにあずかり光栄です」
冷戦勃発。
その朝、屋敷の空気はブラックコーヒーよりも苦かった。
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昼休みの教室に、再び注目が集まる。
黒羽沙羅が弁当を開くたび、まるでSNSのトレンドが生まれるように、クラス中の視線が集まる。
だが、今日の彼女の笑顔は少し引きつっていた。
理由はもちろん――前の席の男。
葛城は、窓際で静かに自分の弁当を開いている。
無骨なステンレスの蓋をカチリと開け、無表情のまま淡々と箸を動かす。
その様子は、修行僧の昼食のように質素だった。
(これじゃあ、“ペア弁当計画”が台無しじゃない……!)
沙羅はちらりと彼の背中を見た。
“ペアで食べる姿”を見せつけて、周囲に特別な関係を匂わせることでアイツに私を意識される――その計画は、弁当の中身によってあっさり崩壊した。
しかも彼は、一度もこちらを見ない。
まるでこの世に黒羽沙羅という存在などいないかのように。
「……上等じゃない」
沙羅は弁当を閉じ、静かに席を立った。
次の作戦を練るために。
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その日の最終授業を終えるチャイムが響くとともに屋敷に戻った沙羅は、すぐに葛城の部屋へ向かい、動向を探る。
猶予は葛城が学園から戻るわずかな時間しかない。
洗濯済みの彼の制服。整然と並んだ靴。机の上には、ノートと本が一冊。
(あら、これ……)
無地のカバーがかけられているが、角の擦れた表紙が使い込まれていることを示していた。
ページの隙間から覗いた文字を目で追うと――
“ホラー文庫 特別版/作者:九十九里 博彦”
(ホラー小説……?)
意外だった。
あの冷たい無表情の奥に、そんな趣味が隠れていたとは。
沙羅は思わず微笑む。
(怖がるくせに読んでるタイプ? それともマニア?)
ページの端に付箋が何枚も貼られている。
明らかに“愛読”の域だ。
(ふーん……これは使えるかも)
沙羅は本をそっと戻すと、すぐにスマホを取り出し検索を始めた。
「九十九里 博彦 ホラー文庫 限定版」――ヒットした。
販売終了。中古市場で高値取引。
プレミア価格、十万円。
「決まりね」
◆◆◆◆◆
翌朝、登校前のリビング。
葛城はいつものように朝食の準備をしていた。
静寂の中、紅茶の香りと包丁の音だけが響く。
「ねぇ葛城くん」
沙羅がカウンター越しに声をかける。
「……なんですか」
「あなた、最近ずっと読んでいる本。九十九里先生の“血の螺旋”でしょ?」
葛城の手が、一瞬止まった。
包丁の刃先がわずかに震える。
「……どこで、それを」
「お風呂掃除のあと、テーブルの上に置きっぱなしだったわよ。偶然見えたの」
(実際は覗いたけど、まぁバレなければいいわ)
「プライバシーの侵害ですね」
「“偶然”よ。で、話なのだけど。
あれの続編欲しくない? プレミア版、もう市場に出てないやつ」
目を細め、妖艶に似たりと笑みを浮かべる沙羅。
沈黙。
だが、その一瞬の“反応”がすべてを物語っていた。
(やっぱり、図星ね)
沙羅は椅子に腰をかけ、脚を組む。
「私はそれを持ってるの。正確には、モデルやっている関係で出版社にも多少コネがあって手に入るのよ」
「……それで?」
少し震えた声で葛城が先を促す。
「交換条件を出すわ」
紅茶を啜りながら、沙羅はゆっくりと言葉を続けた。
「明日から、学園でちゃんと私と会話しなさい。
クラスメイトの前で“他人のふり”はもうやめて。
少なくとも、無視はしないこと。これが条件」
葛城は顔を上げ、無表情のまま見つめ返す。
「それは、“仕事”の範囲外です」
「だったら、趣味のための契約ってことでどう?
あなたのホラー愛と引き換えに、私に少し付き合うだけ」
しばしの沈黙。
キッチンの時計の秒針だけが、二人の間を刻む。
やがて、葛城が静かにため息をついた。
「……あなた、悪魔ですね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「分かりました。……“最低限”の会話なら」
「取引成立ね」
沙羅の唇が、満足げに笑みを描いた。
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登校途中の道。
並んで歩く二人を、通学中の生徒たちがちらちらと見ている。
「ねぇ、葛城くん。今日の英語のテスト、勉強した?」
「した」
「どのくらい?」
「おまえが話しかけてくる時間の三分の一くらい」
「……本当に毒舌ね」
「事実だ」
沙羅は、悔しそうに眉をひそめたが――その奥では微笑んでいた。
(ようやく、一歩前進。
冷たい壁のひびは、もう見えてる)
彼の無関心という名の鎧に、亀裂が入った瞬間だった。
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時刻は22時を回ろうとしている時、沙羅は自室でノートPCを開いていた。
画面には「血の螺旋・初版限定版 在庫1」の文字。
「……ほんとに十万円もするのね」
クレジットカードを手に取りながら、沙羅は微笑む。
(でも、この投資で得られるものは――
お金じゃ買えない価値があるわ)
画面に映る「購入」に照準を合わせクリックする。
購入完了の音が小さく響いた。
窓の外には、煌々と輝く月。
静かな光が二人の駆け引きの幕を照らしていた。




