水面下の攻防戦
翌朝――。
沙羅は、普段よりもずっと念入りに鏡の前で髪を整えていた。
リボンの位置、前髪の角度、制服のシワ。完璧。
鏡の向こうに映るのは、誰が見ても“理想のヒロイン”。
だが、その微笑の裏で、別の思惑が静かに熱を帯びていた。
(昨日は完全にやられたわ……。
いいえ、むしろこれでいい。ここから反撃開始よ)
廊下を歩く足取りは軽やかだった。
教室に入ると、数人の女子が「黒羽さん、おはよう!」と声をかけてくる。
彼女はいつものように笑顔で応じるが、内心は別の一点に集中していた。
——前の席。
葛城深哉。
相変わらず一人で静かに本を読んでいる。
まるで昨日のことなど一切無かったかのように。
(あれだけのことをしておいて、平然としてるわけ?
……いい度胸じゃない)
「ねぇ葛城くん、昨日のことは――」
「うるさい」
彼は顔を上げもせずに言った。
「っ……!」
周囲の視線がわずかに動く。
それでも沙羅は笑顔を崩さず、あくまで穏やかに返した。
「ふふっ、誤解よ。ただちょっと謝りたかっただけ」
「そうか。なら、話はこれで終わりだ」
まるで“話す価値もない”と言わんばかりの無関心な声。
その冷たさが逆に、沙羅の中の闘志を焚きつけていく。
(……いいわ、そんな態度取っていられるのも今のうち。
あなたの無関心、必ず壊してあげる)
---
昼休み。
教室の空気がざわめきに包まれている中、沙羅は窓際で弁当箱を開いた。
外から差し込む光が金色に反射し、まるでステージの照明のよう。
クラスメイトたちはその華やかさに自然と目を奪われていた。
「黒羽さん、そのお弁当すごい!自分で作ったの?」
「ええ、もちろん」
笑顔で答える。
実際は――葛城が朝、作り置きしてくれたものだ。
(ふふっ、これは使えるわね)
沙羅は心の中で小さく笑う。
わざと、葛城の机の方へ歩いていく。
彼の机の上には、味気ないパンと牛乳がひとつだけ。
「それだけ?ちゃんと栄養取らなきゃダメじゃない」
「おまえには関係ないだろ」
「ふーん。……私の少し分けてあげようか?」
「いらない」
即答だった。
「おまえに食べ物を恵んでもらうほど、落ちぶれてない」
「……は?」
その瞬間、周囲がまたざわつく。
まるで彼の一言が“宣戦布告”の再来のように響いた。
沙羅は一瞬、表情を消す。
だが次の瞬間、ゆっくりと笑った。
「いいわ。ならせいぜい、飢え死にしないようにね」
軽く言い残し、颯爽と自分の席へ戻る。
背後では、クラスメイトたちが小声で囁いていた。
(黒羽さん、本気で怒ってる……?)
(あの葛城って人、マジで命知らずだな)
---
帰宅後、屋敷のリビングに静かなピアノのBGMが流れる中、沙羅は紅茶を啜りながら葛城を見ていた。
昼間の無関心な態度がどうしても頭から離れない。
「ねぇ、あなた。学園では私を他人だと思ってるの?」
「はい、業務外ですので」
「……仕事か、それ以外か。何かほかに無いわけ?」
「私とお嬢様の関係はただの“雇用関係”ですから」
その言葉が、なぜか胸の奥に刺さった。
(そう……私は、こいつにとって“雇い主”でしかないのね)
ほんの一瞬だけ、寂しさに似た感情が浮かぶ。
けれど、それをすぐに笑顔で塗りつぶす。
「いいわ。だったら、契約の範囲内であなたの“忠誠心”を試してあげる」
「……嫌な予感しかしませんね」
「明日からお弁当、私とあなた2人分用意しなさい。味も美味しく、可愛いお弁当をね」
ニヤリと口角が上がる。
「それは“業務”ではなく、“嫌がらせ”ですね」
「じゃあクビになる?」
「……承知しました」
短く答え、葛城はため息をつきながら台所へ向かった。
その背中を見つめながら、沙羅はそっと微笑む。
(どうせ無関心を貫けるのも、そう長くない。
――あなたはこの家に来た時点で私の世界に片足突っ込んでるのよ)
その夜、葛城が部屋に戻った後。
沙羅はリビングの明かりを消し、窓の外の月を見上げた。
(明日はもっと踏み込んでみよう。
学園でも、屋敷でも。
あなたの“心”の防壁を、ひとつずつ壊していく)
月明かりに照らされたその瞳は、静かな熱を秘めていた。
それは、恋よりもずっと獰猛な――支配欲に近い光。




