デートって、もはや戦場じゃん? -その2-
翌日の日曜日。
白銀邸のリビングには、まるで何事もなかったかのように朝日が差し込んでいた。
しかし、その光の下にいる莉鈴は――明らかに、昨日の彼女とは違っていた。
「……はぁ、葛城くん。はやく会いたいな...」
いつもなら明るく口紅を塗りながら「完璧ね!」と自信満々に鏡に笑いかける彼女が、今日はどこか元気がない。
鏡の中の自分にため息をつく。
(どうしてなのよ。私、沙羅に勝つために葛城くんを利用しただけなのに……)
(今はその事が苦しく胸が痛い)
葛城の無表情。
不意に見せた、あの優しい横顔。
差し出された手のひらの温もり。
全部、忘れられない。
「……バカね、私。どうせ3年後には結婚させらるのに今更恋なんてするなんて」
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日曜であることもあり、昨日より街は昨日より人が溢れていた。
昨日までの混乱が嘘のように空は澄み、カラッとした風が心地いい。
莉鈴は昨日とは異なり少し控えめな格好――落ち着いたベージュのワンピースに薄い黒のカーディガン――を選んでいた。
純粋に一人の女の子として。
いつもは待ち合わせ場所に遅れてくる莉鈴だが今日だけは待ち人よりも先に到着していた。
駅から徒歩五分程にある、待ち合わせスポットの中心にそびえる大時計に背を預け葛城を待つ。
右手にしたスマートウォッチを確認すると、ディスプレイに映し出された時間はAM 9:29。
腕から視線を外し顔を上げると少し先から歩いてくる男の姿が見えた。
(はは、遠目でも歩き方だけでわかっちゃうや)
そして、現れた葛城の服装は昨日とほぼ同じ。
唯一異なるのはTシャツの色が白から黒に変わっただけ。それのみであった。
「おっはよ、葛城くん」
「ああ、おはよう」
「ねね、昨日とは服同じじゃない?女の子とのデートで二日とも同じ服ってどうなのさ?」
頬を膨らませながら葛城に抗議する。
異性として意識されていないのは分かっていたつもりであったが、頭で理解しているのと現実で突き付けられるのはちがう。
「服には無頓着でな、ただシャツの色は変えてきた」
「ちがーう!シャツの色が違うのは見てわかるよ。私が言いたかったのは”コーディネート”のは・な・し!」
「そうか」
莉鈴の抗議も虚しく葛城には全く響いていないようだった。
「そうかって...まぁいいや。葛城くんは他に服持ってないの?」
「他にはグレーのTシャツがあるぞ」
「あー、はいはい。色違いTシャツシリーズはもう大丈夫。つまりは持ってないってことなのね。なら今日は街で葛城くんの服を買いに行きましょ」
「昨日のお礼に私がコーディネートしてプレゼントしてあげる♡」
昨日は上手く寝付けずデートプランを練るどころではなかったため、今日のデートの行き先をどうしようかと悩んでいたがすんなりと決まってしまった。
ハイブランドのアパレルショップが並ぶ街へ移動するべく、二人で改札をくぐりホームで並んで電車を待つ。
「ねぇ、昨日の私……正直、うるさかったでしょ?」
「……まぁ、否定はしない。今日もうるさいがな」
「もう、ちょっとは否定しなさいよ! 素直すぎ!」
声を上げて笑う莉鈴。
けれど昨日と違うのは、笑顔に“素”が混ざっていることだ。
葛城の前で、肩の力が抜けている自分に気づき、心が少しあたたかくなった。
ホームへ電車が侵入することを告げるアナウンスがなり、電車がやってくる。
休みということもあり、座席は埋まっていたため吊革に掴まり立って目的地を目指す。
ただ莉鈴は吊革にギリギリ届かないため、近くにある手すりに掴まる。
電車がカーブの際にゴトンッ!と激しくゆれ体制を崩した莉鈴はそのまま葛城の胸元に飛び込む形で体を預ける。
いつもならわざとやってのけた莉鈴だが、今回のは本当に偶然の事故。
「あっ....///ご、ごめん。」
「ああ。」
ぶつかったことを謝り、俯いてしまう莉鈴。
(どうしよう...今顔上げちゃうと真っ赤なのバレちゃう)
その後も目的に到着するまで莉鈴が顔を上げることはなかった。
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2人が乗る電車の同じ車両の少し離れた位置に、長い黒髪を帽子に隠し、マスクをした沙羅の姿があった。
「昨日は途中で撒かれちゃったけど今日は見失わないわよ」
離れた位置から葛城たちを見つめていた沙羅だったが、電車が勢いよく揺れると同時によろめいてしまう。
よろめきながらも視線だけは外すことなく、執念が感じられた。
そのおかげもあり沙羅はよろめき葛城に体を預けた莉鈴の顔を見逃さなかった。
昨日までの顔と全く異なる顔。
ーーしかしよく知っている顔。
何故なら鏡越しに最近は幾度となく見てきていたからであった。
女の勘とはよく言ったもので一目で見抜いた。
(え?莉鈴、あんたまさか本気で...)
驚きと不安が入り交じり手に汗が滲む。
(昨日、私が見てない所で何があったっていうのよ...)
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「次は、表参道。表参道に停ります。」
電車内に目的地を告げるアナウンスが響き。
駅で降りるであろう人達がで入口近くへと移動する。
プシューッ
やがて停止し、開く扉。
電車とホームとの境を跨ぎ、葛城たちも降車する。
「着いたね♪ささ、ではお買い物に行きましょー」
元気よく手を挙げ先導する少女の顔にはまだ少し赤みが残っていた。
駅を出てケヤキ並木の道へと歩いていく二人。
そして、その少し後ろにはもちろん備考を続ける沙羅の姿が。
「ねぇ葛城くん、まずはあそこのお店に行こ!」
莉鈴が指差したのは、表参道でもひときわ存在感を放つガラス張りのショップ。
入口にはスーツを着た男性が立っており、モノトーンを基調としたショーウィンドウの中には洗練されたジャケットや革靴が並ぶ。
「……高そうだな」
「そんなの気にしないの。今日は“お礼デート”なんだから!」
「お礼……?」
「昨日、私を助けてくれたでしょ。あれ、ただの『当然』なんかじゃないわ」
葛城は言葉を飲み込んだ。
莉鈴の声音はいつになく柔らかく、けれど瞳の奥には強い決意が宿っていた。
店内に入ると、スタッフが一斉に頭を下げる。
上品な香り、控えめなBGM。
莉鈴は迷いなくラックの前へ進み、次々と服を手に取った。
「このジャケット、ラインが綺麗……ねぇ、ちょっと羽織ってみて?」
「すみません、この服試着させて貰ってもいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ。試着室はあちらとなります。」
「ありがとうございます♪」
「いや、俺はそういうの――」
「はいはい、試着室こっちー!」
強引に背を押され、葛城は渋々試着室へ。
中で白シャツとジャケットを身に着け、鏡を見た瞬間――
莉鈴の口から自然に「わぁ……」という声が漏れた。
「すっごく、似合ってる。ねぇ店員さん、このサイズで合ってます?」
「はい、お客様の体型にぴったりです。肩のラインも綺麗に出てますね」
莉鈴は満足そうに頷くと、今度はパンツと靴を選び始めた。
「黒もいいけど、ここはあえてグレーで。うん、こっちの方が知的で落ち着いて見える!」
「……おまえはスタイリストか何かなのか?」
「女の子は服を選ぶ時が一番楽しいの。男の人をカッコよくするのは、その次に楽しいの♡」
店員の微笑ましい視線を背に、莉鈴は小さく笑った。
どこか少女らしい、けれど昨日よりずっと大人びた笑みだった。
数十分後、支払いカウンター。
カードを差し出そうとする莉鈴に、葛城が慌てて声をかけた。
「おい、待て。こんな値段、冗談じゃない。俺には受け取れない」
レシートには、総額54万2,000円の文字。
「いいの。昨日のお礼だから」
「お礼ってレベルじゃない」
「……じゃあ、お願いを聞いてくれたら、受け取っていいことにしよう?」
莉鈴はわずかに頬を染めながら、両手でショッパーを抱きしめる。
「お願い?」
「うん。二つだけ」
葛城が腕を組んだまま黙る。
莉鈴は少し躊躇い、けれど意を決したように続けた。
「ひとつ目は……今日のデートの間だけでいいから、手を繋いでほしいの」
「……手を?」
「うん」
(昨日触れた葛城くんの手の温もりが忘れられなくて...)
小さな声で、けれど真剣に。
その言葉に葛城は少しだけ目を伏せた。
「……それがひとつ。もうひとつは?」
「呼び方」
莉鈴は両手で頬を押さえ、恥ずかしそうに言った。
「お互い、下の名前で呼び合おう? “白銀”とか“葛城”じゃなくて……“莉鈴”って呼んでほしい」
沈黙。
店内の静かな音楽が、やけに大きく響く。
葛城はゆっくりと息を吐き、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……わかったよ。莉鈴」
その瞬間、莉鈴の心臓が跳ねた。
頬が熱くなり、言葉が出ない。
「……ありがとう。し、深哉くん」
「ふふっ、なんか変な感じ……でも、嬉しい」
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店を出ると、通りには午後の日差しが差し込んでいた。
莉鈴は意を決して、そっと右手を差し出す。
「……深哉くん、はいっ」
葛城は、少しだけ戸惑ったように彼女の手を見つめた。
それでも次の瞬間、静かにその手を握り返す。
温かかった。
昨日と同じ、いや、それ以上に。
莉鈴は視線を前に向けたまま、そっと微笑んだ。
(ああ……やっぱり、もう戻れない)
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少し離れた歩道の向こう側。
人混みの中で、帽子を深くかぶった沙羅がその様子を見つめていた。
繋がれた二人の手。
笑う莉鈴。
そして、彼女の知らない“葛城深哉”。
目撃した瞬間張り裂けそうな勢で”ドクン!”と脈打つ心臓。
(な....なんで、どうして二人が手をつないでるのよ)
指先がかすかに震える。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
風が吹き、彼女の帽子のつばを揺らした。
黒羽沙羅の瞳は、嫉妬と焦燥、そしてほんのわずかな哀しみに揺れていた。




