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恋の侵入者

教室へ向かう廊下。

いつもと同じはずの光景――けれど、沙羅の胸の奥では、どこか小さなざわめきがくすぶっていた。

「……今日も、平穏でいられるといいけど」


そう小さくつぶやき、教室の扉を押し開ける。

すでに数人の女子が窓際で談笑しており、笑い声が春の風のように心地よく響いていた。


だが、その日だけは少し違った。

教室の空気が――どこか、ざわめいている。


「おっはよ〜、C組ってここで合ってるよね?」


軽やかで明るい声が廊下から響いた瞬間、ざわめきは一段と大きくなった。

その声の主が姿を見せた途端、教室の空気がふわりと弾む。


白銀しろがね 莉鈴りり


淡いピンクがかったショートボブが肩のあたりで軽く跳ね、リボンのように結んだ小さなスカーフが制服に映える。

背丈はやや小柄だが、姿勢はまっすぐ。

大きな瞳がキラキラと光を映しており、彼女が一歩踏み入れるだけで空間そのものが明るくなるようだった。


「えっ……?」

沙羅は思わず目を丸くした。

記憶の奥底から、懐かしくも苦い感情がふっと顔を出す。


莉鈴は教室をキョロキョロと見渡すと、やや不敵な笑みを浮かべ、無邪気に手を振りながら歩み寄ってくる。

そして、教卓近くで立ち止まり――


「……あ、沙羅!」


その声が教室中に響く。

沙羅の視線が釘付けになる。莉鈴は楽しげに微笑み、サッと視線を合わせてきた。

挑発的でありながら、どこか懐かしいその笑顔。


「久しぶりじゃん。相変わらず地味ね〜」


その一言で、教室の空気が一瞬だけ凍る。

沙羅の眉がぴくりと動いた。

――まさか、幼い頃の因縁が、ここで再び顔を出すなんて。


「莉鈴、あんた……いつからここにいるのよ」

声は冷たくも、どこか動揺を隠しきれていない。


「えー、入学してからずっとよ? 私はA組なんだけどね。噂で聞いたの、“C組に超イケメンがいる”って。見に来ちゃった♪」


そう言って、莉鈴はその場でくるりと回り、軽くスカートの裾を揺らした。

「うーん、それらしい人いないな〜」

と呟きながら、視線を教室中に泳がせる。


葛城の席はまだ空いている。


そのとき、彼女は近くの男子生徒のところへ駆け寄った。

「ねぇねぇ、葛城くんってどの席? 教えて♡」

いきなり手を握られた男子は、顔を真っ赤にして固まる。


「か、葛城の席? あ、あそこだよ……左の列の、後ろから二つ目」

震える指先で方向を示すと、莉鈴は満足げに笑みを浮かべた。


「ありがと、助かった〜♡」

そう言って軽く手を離し、ひらひらとスカートを揺らしながら葛城の席へ向かう。

男子はその背中を呆然と見送るしかなかった。


莉鈴は空席の椅子に腰かけ、足を軽く組む。

「ふむ、ここが“噂の彼”の席ね」


「なんであなたがそこに座るのよ」

沙羅が低い声で問う。


「いいじゃない、ちょっと待たせてもらってるだけだもん♪」


ちょうどそのとき――

ガララッと扉が開き、葛城がいつもの淡々とした足取りで入ってきた。


一瞬、教室の空気が止まる。

次の瞬間――


「わぁ……ほんとだ! めっっっちゃイケメン!!」


莉鈴の歓声が響いた。

教室中の視線が一斉に葛城へ集まる。


「誰だ?」

自分の席に座る見知らぬ女子を見つめ、葛城が短く問いかける。


「いや、これは……」

女子たちが慌てて言葉を濁す中、莉鈴はためらいもせず立ち上がり、彼の前に歩み寄った。


「ねぇ、あなたが葛城深哉くん?」

「そうだが」

淡々と答える葛城に、莉鈴はにっこりと笑って小首をかしげる。


「うわ、ほんとに噂通り。整いすぎでしょ顔、ちょっと触っていい?」


「駄目だ」

葛城はすぐにその手を払い除ける。


「ふふっ、そりゃそうよね。でも見るだけで十分幸せ〜」

払い除けられても気にする様子もなく、莉鈴は楽しそうに笑った。


沙羅はその光景を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じた。

(……なんで、よりにもよって葛城くんなのよ……)


莉鈴は沙羅へと振り向く。

「ねぇ沙羅、あなたも葛城くんと仲いいんでしょ? どんな人か教えてよ〜。本人から聞くのは骨が折れそうだし」


「それを本人の前で言うのか」

葛城が少し呆れたように返す。


沙羅は小さく息をつき、冷静さを取り戻す。

「特別仲がいいわけじゃないわ。普通のクラスメイトよ」


「なるほど〜」

莉鈴は笑顔のまま頷き――さらりと告げた。

「じゃあ私が彼を彼氏にしちゃっても、問題ないってことね?」


一瞬、空気が止まった。

沙羅は唇を噛み、目をそらす。

「……好きにすればいいじゃない。私には関係ないわ」



◆◆◆


昼休み。

女子たちは興味津々に、莉鈴と葛城のやり取りを遠巻きに眺めていた。


「ねぇ、普段は何してるの?」「趣味は?」「放課後、一緒に遊ぼうよ!」

莉鈴のテンポは止まらない。

葛城は冷静に、時折毒を交えながら淡々と返す。

「特に何もしていないし、趣味も無い。放課後も予定がある」


沙羅は窓際からその様子を眺め、心の中で呟いた。

(……葛城くん、少し柔らかくなってる。前より……人間味がある)


そんな中、莉鈴は沙羅の方にニヤリと笑みを向ける。

「ねぇ沙羅、やっぱり葛城くん、かっこいいじゃん。C組が羨ましいな〜」


沙羅は小さく舌打ちをする。

(……やっぱり、油断ならないわね)



◆◆◆


放課後。

夕陽が教室の床を淡く染める中、沙羅は机を片付けながらふと葛城を見つめる。

莉鈴の存在は気になる。だが、彼が冷静に受け流す姿を見て、少しだけ安堵した。

(でも……彼女、手ごわいわ。私も動かなくちゃ)


葛城もまた、心の中で小さく息を吐く。

(……面倒だが、不思議と悪い気はしない。あの騒がしさも、少しだけ心地いい)


こうして――

鳳華学園に新たな風が吹いた。

白銀莉鈴という“嵐”。

彼女の登場によって、黒羽沙羅と葛城深哉の静かな日常が、再び波を立て始めたのだった。

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