落ちる仮面
朝の光が、カーテンの隙間から細い線を描く。
沙羅はその眩しさに顔をしかめた。
「……どうして私が緊張してるのよ」
ぼそりと呟いて、自分の頬を軽く叩く。
今日は、「葛城イメチェン作戦」決行の日だ。
学園でのいじめの理由が、“黒羽沙羅に釣り合わない”という歪んだ嫉妬心からだと気づいたときから待ち望んでいた日だ。
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「おはようございます、お嬢様」
リビングに降りると、すでに葛城が整った姿で立っていた。
白いシャツに黒のベスト、ネクタイまできちんと締めている。まるでこれから晩餐会にでも出るかのようだ。
「……美容室に行くだけなのに、その格好はなに?」
「執事ですから」
「相手、美容師さんでしょ」
どこまでも完璧。どこまでも執事。
なのに――その完璧さが、今は妙に胸の奥をくすぐる。
「朝食の用意はできております。」
格好には色々言いたいことはあるがまずは朝食を食べよう。そうして美食に舌を唸らせるのであった。
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家から電車で移動すること40分程。
もちろんあの後、お嬢様命令で葛城には普通の私服に着替えさせた。
駅前の美容室。
ガラス越しに見える店内は、白を基調とした落ち着いた空間で、沙羅の知り合いのスタイリスト・美咲が待っていた。
「久しぶり、黒羽ちゃん! そっちの子が……噂の彼?」
「えっ!? あ、ち、違っ――!」
沙羅の顔がみるみる赤く染まる。
葛城は横で小さく咳払いし、恭しく頭を下げた。
「初めまして。葛城深哉と申します。主人がいつもお世話になっております。」
「わっ……すごい丁寧。なんか執事みたいね」
「いえ、実際に執事です」
「なっ――!? ちょ、ちょっと、変なこと言わないでよ!」
美咲がニヤリと笑う。沙羅はうつむいたまま、雑誌を開くふりをした。
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カットが始まると、ハサミの音が心地よく響く。
ぱら、ぱらと落ちる黒髪。
前髪を上げ、頬を覆っていた影が次第に消えていく。
――見慣れていたはずの横顔が、別人のように変わっていく。
美咲がハサミを止め、鏡越しに葛城へ問いかけた。
「どう? このくらいでいい?」
「お任せいたします。お嬢様のご意見を尊重したいので」
「えっ……私?」
急に振られて、沙羅は動揺する。
鏡の中には、葛城の瞳が映る。
長い前髪の下に隠れていた、整いすぎた顔立ちが、今やはっきりと姿を現していた。
思わず息を呑んだ。
肌は白く、目元は切れ長で、少し伏せた瞬間の睫毛の長さが反則級。
――ああ、これじゃ誰がどう見ても、美男子だ。
「お嬢様?」
「な、なに?」
「いかがでしょうか?」
「っ……い、いいんじゃないの!」
思わず声が上ずる。美咲が吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。
沙羅は雑誌を閉じ、顔を隠すようにうつむく。
「も、もう……帰る!」
「まだ仕上げのセットが残っておりますが」
「分かったわよ! 待ってるわよ!」
ソファに逃げ込んだ沙羅の耳まで真っ赤だった。
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午後。
二人は帰路についた。
駅前の人混みの中で、元々身長が高い葛城の姿がさらに目立つ。
女子高生たちが小声で「今の人、モデルみたい」「めちゃくちゃかっこよくない?」と囁く声が聞こえてくる。
沙羅はそのたびに胸の奥がざわざわして落ち着かない。
「……作戦、成功ね」
「なんですかね....」
「慣れなさい。明日から、もっと注目されるんだから」
「お嬢様もお困りになるのでは?」
「な、ならないわよっ!」
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翌日、日曜の朝。
沙羅は朝食の準備をする葛城とは異なり。
リビングで落ち着かないのかウロウロしていた。
「おはようございます。今朝は紅茶でよろしいですか?」
振り向いた瞬間、沙羅の心臓が跳ねる。
昨日よりも軽やかに見える葛城。
寝癖ひとつなく整えられた髪が、朝の光を受けて艶めいている。
「……ちょ、ちょっと、その髪、どうしたの」
「お気に召しませんか?」
「そ、そういう意味じゃなくて!」
「昨日、カットしていただいた美容師の方にセットについてもご教授頂いたので実践いたしました。」
「……っ!」
黒羽は視線を逸らし、パンをちぎって口に押し込む。
味なんてわからない。ただ、胸の奥がくすぐったい。
(なんで私、またこんなに動揺してるの……?)
ティーカップを持つ指が小刻みに震える。
隣で葛城が優雅に新聞をめくるたび、黒羽は反射的に顔をそらした。
「お嬢様、顔が赤いようですが。体調でも――」
「う、うるさいっ! ほっといて!」
葛城は首を傾げるだけだった。
その穏やかさが、沙羅にはいちばん厄介だった。
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昼過ぎ。
黒羽はベッドに転がりながら、天井を見つめていた。
胸の奥で何かが渦巻いている。
――明日、学校で葛城がどう見られるのか。
――そして、自分がそれをどう受け止めるのか。
「……まさか、私の方がこんなに落ち着かないなんてね」
頬に手を当てると、まだほんのり熱が残っている。
深呼吸をしても、心臓の鼓動はなかなか静まらなかった。
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その夜、リビングの明かりの下。
葛城は黙々と緑茶を淹れ、沙羅のカップに注ぐ。
「明日は、どうぞお手柔らかに」
「なによ、それ」
「お嬢様が何をお考えか、だいたい察しておりますので」
「……ふん、どうせまた学園で私をからかうつもりでしょ」
「とんでもない」
その声は柔らかく、少しだけ優しすぎて―沙羅はまた、返す言葉を失った。
――こうして、静かに週末は終わる。
翌日の月曜日。
学園に現れる“新しい葛城”が、どんな波紋を呼ぶかを知らぬままに。




