新たな執事
昼休みの廊下にて、男子生徒と対峙する。
「退けよ、目立ちたいだけの安っぽい女」
低く冷たい声。笑っていない目が、感情をそぎ落としたまま私を見下ろす。
「えっ……? なっ……/// なんですって! この私を安っぽい女呼ばわりして、許さない! 許さない! 許さない――!」
男子生徒を指さし、宣言する。
「卒業までに、絶対にキミを落として謝らせてやるんだから!」
――そう叫んだのは、ほんの数週間前のこと。
◆◆◆
この春、日本一の進学校・鳳華学園に通うことになった黒羽 沙羅。
世界のセレブが愛用する高級ファッションブランド〈CROW-CROW〉を運営する黒羽家の令嬢であり、彼女自身も人気モデルだ。
“最初に嘘をついたのは私じゃない”――そう思った日から、人を試すのが癖になった。
だから私は完璧に笑う。完璧にこなす。完璧でいれば、傷は見えない。
「ねぇ、ちょっとー! 紅茶持ってきてくれないかしらー」
5LDKの家に声を響かせる。返事はない。
重い腰を上げて自分でキッチンへ向かい、思い出す。
「そうだったわ。一昨日で執事はやめたんだった。いま一人だったのよね」
思わず口の端が上がる。
中学で一人暮らしを願い出たとき、親は“執事を必ず一人付けること”を条件にした。
私は“本当に”一人でいたかったから、やって来た執事には色仕掛けで揺さぶりをかけたり、仕事に粗を探して責めたり――やり過ぎたことも、あった。
(誰も私を守ってくれなかった。だから先に、私が自分を守る)
「そういえば今日、新しい執事が来るんだったわね。まったく、お父様ったら手が早いんだから……せっかく辞めさせたばかりなのに」
――ピンポーン。
玄関チャイム。
頭の両側で結んだ長い黒髪を揺らしながら階段を降り、リビングのドアモニターをのぞく。
無地の白いTシャツにバックパック。同い年くらいの男の子が立っていた。長めの前髪で表情が読めない。
「なんか暗い子ね……」
通話ボタンを押す。
「はーい、黒羽ですけど」
モニター越しに、彼は深くお辞儀をした。
「初めまして。本日より執事として働かせていただきます、葛城です」
今日から? 執事?
……え? 若くない!? 驚いてドアを解錠する。
「ど、どうぞ入って」
「失礼します」
近くで見ると、彼は思った以上に背が高い。180cmはありそう。
「あなたがこれから働いてくれる執事ね。まずはリビングで仕事内容の打ち合わせをしましょう。ついてきて」
彼は無言で後ろを歩き、テーブルを挟んで向かい合って座る。
「改めまして、葛城 深哉です」
「黒羽 沙羅よ。よろしく」
「では、お仕事の件ですが――私の身の回りのお世話をお願いするわ。掃除、洗濯、食事、お風呂の準備も含めてね」
「かしこまりました。……お嬢様、他の使用人はどちらに?」
「え? いないけど」
「執事は現場で働きつつ、使用人をまとめる立場だと聞いておりましたので」
「あなた一人しかいないから、トップもあなた。だから“執事”。それでいいじゃない」
「合理的ですね。こだわりはありませんので、承知しました」
「それと――あなたの部屋はどこにすればいいの?」
「部屋? まさか、ここに住む気なの?」
いままでの執事は皆、通いだった。嫌な予感がする。
「お父様からの依頼は“住み込みでのお世話”です」
(やっぱり! 24時間一緒って、条件悪化してるじゃない!)
「……へぇ、そう。なら部屋はこっちよ」
私は立ち上がり、2階へ案内する。
一番奥、物置として使っていた埃っぽい部屋――空いている綺麗な部屋もあるけれど、当てつけにあえてここを。
「ここを使ってちょうだい」
「かしこまりました」
表情を崩さず、彼はバックパックを埃の積もった床に置いた。
「では、実働は明日からという契約ですので」
そう告げると――バタン、と扉を閉め、内外を切り分けた。
「なに、あいつ……」
気に入らない。嫌がらせにも顔色一つ変えない。視線も、私を見ているようで見ていない。
今までの執事は、多かれ少なかれ私を意識して落ち着かなかったのに――あいつは違う。
(絶対に、すぐ辞めさせてやる)
私はそう心に誓った。
明日は鳳華学園の入学式。
あんなやつのことは忘れて、自分の準備をしよう――そう思い、自室へと戻った。
◆◆◆
翌朝。
スマホのアラーム、伸び。ドアを開けた途端、鼻腔をくすぐる香り――
ダイニングのテーブルには、白米、味噌汁、焼き魚、だし巻き、きんぴら、味海苔。
定番の和食なのに、一流レストランよりも美味しそうに見える。
「美味しそう……」
脱衣所の扉が開き、彼が現れる。
「おはようございます、お嬢様。ちょうど起こしに行くところでしたが、早起きですね」
相変わらず、顔に“表情”はない。
「朝起きるくらいはできるわよ」
「朝食を作りました。お父様から“和食が好き”と伺っておりましたので」
言われるがまま、私は席に座る。
味噌汁をひと口――出汁の香り、塩梅、具の切り方。どれも、申し分ない。
気づけば、皿はすべて空になっていた。
「……なんだ、こんなものなのね。もっと精進して、私に合う美味しい料理を食べさせなさいよ」
口ではそう言い放つ。けれど、これは間違いなく合格ラインを超えている。
(簡単に認めるわけにはいかない。私は“一人”を手に入れるために、彼を辞めさせるのよ)
「力不足で申し訳ありません。お口に合うよう努力します」
落ち込みも、言い訳もない。ただ、受け止めて流す。真正面からではなく、意味のわからない角度で。
彼の横を通って着替えに戻るとき、私はわざとパジャマを少しはだけさせて視線を誘った。
……が、彼は一瞥して、無言で服を整えただけ。
(色仕掛けも、ダメそうね)
クローゼットから鳳華学園の新しい制服を取り出し、袖を通す。鏡に映る自分に、思わず笑みがこぼれた。
「これよ、これこれ。毎日着るものは、可愛い方がいいに決まってる」
身支度を済ませ、家を出る。
外に出る直前、「いってらっしゃいませ」と声が掛かったが、私は無視した。
通学路の桜並木。
同じ制服の生徒が増えるほど、私に向けられる視線も増えていく。羨望の眼差し――悪くない。
校門前の人だかり。クラス表に目を走らせる。
「私はC組ね」
用は済んだ。下駄箱で靴を履き替え、1年C組へ。
教室の黒板には座席表。五十音順。
“黒羽”は左端列のいちばん後ろ。
ほぼ埋まった席、残るは二、三人。
最後の一人が――ガララッ。扉の音。入ってきた瞬間、私は思わず立ち上がってしまった。
(……え?)
クラスの視線が集まり、私は取り繕うように腰を下ろす。
遅れてきた最後の生徒は、私の前の席へ。
名前を見れば、わかる。顔を見れば、もっとわかる。
「葛城くん……あなた、ここで何してるのよ」
小声で問い詰めると、彼は軽く後ろを振り返る。
「俺だって十六だ。学校くらい行くだろ。考えればわかることなのに――お前は、馬鹿だな」
「え……」
想定外の答え。いや、想定外なのは答えだけじゃない。
“家での彼”と“教室の彼”が、綺麗に重ならない。
「そうじゃなくて、なんでこの学園にいるのかってことよ」
「受かったからだよ。お前だって受けただろう、入試。――それと、馴れ馴れしく話しかけてくるな」
この私に向かって? 家と全然違うじゃない。
別人――なわけない。名前も顔も同じ。
(わけ、わかんない!)
こうして鳳華学園の初日から、私は頭を抱えることになった。
けれど、心のどこかで確かに感じていた。
“このゲーム、簡単には終わらない”。




