第5話:妹姫の涙に溶けた指輪──冷毒と熱反応の化学罠
「姫様の薬指が……溶けかけた指輪で焼けております!」
その報せが蓮華楼に届いたのは、真昼のことだった。
帝の異母妹である玉麗姫が、装飾の指輪をはめた直後に激痛を訴え、指先の皮膚が赤くただれてしまったという。
煌璃はすぐに御花殿へと向かい、姫の手を診察した。
「腫れは軽度の薬品性火傷、表皮は剥がれかけていますが、深層までは届いていません。……これは、“外部からの化学反応”です」
煌璃は、姫の指に残された銀製の指輪を布で包み、そっと匂いを嗅いだ。
「……やっぱり。“冷毒”と呼ばれる成分が残っています。
そして、この指輪の内側には──“ある物質”が塗られていた形跡が」
その物質とは、“銀を変質させる弱酸性の染料”。
しかも、常温では無害だが、急激な温度変化によって化学反応を起こすという特殊なものだった。
「姫様は、つける前に指輪を“冷水に浸していた”そうですね?」
「はい……日差しで熱くなっていたからと」
「つまり、それが引き金でした」
煌璃は、薬研を使いながら説明を始める。
「指輪には“冷毒”──肌に触れると刺激を与える薬剤──が塗られていた。
そして、冷やされた銀が肌の温度で急激に温められたことで、表面の薬剤が一気に気化・浸透した。
まるで“肌に焼きつく”ような効果になったんです」
玉麗姫がその指輪を受け取ったのは、前日に行われた“小さな贈り物の交換会”だった。
後宮内で、妃や姫が親しい間柄に贈り物をする風習で、そこに第二妃の使いの者から「蘭英妃様より」と届けられたという。
「けれど、その時点で蘭英妃様は病で後宮の外に。直接贈れるわけがない」
煌璃は冷静に言う。
「つまり“蘭英妃の名を騙って指輪を贈った者”がいる。そしてその指輪は、“玉麗姫を傷つけるため”に用意された毒の罠」
煌璃は、香や薬の管理記録を洗い、さらに指輪の細工を調べた。
そこから見つかったのは──“細工職人の刻印”。
「これは後宮内の細工屋“崑山”の印です。でも、今この細工屋は正式には営業停止中のはず。……にもかかわらず、なぜ品が?」
煌璃は、細工師の元弟子を探し出し、詰問した。
「……かつて、妃様方から“秘密の細工”を受注していた。贈り物に仕込む薬草や香……今も闇で動いている者がいます」
煌璃の目が鋭く細まる。
「つまり、後宮内には“表に出ない毒細工師”がまだ動いている」
その晩、煌璃は姫の手に塗る薬を調合しながら、ふと呟いた。
「姫様を狙ったのは、“権力の線”に繋がる証。“玉麗姫が傷を負えば、妃位継承に支障が出る”」
玉麗姫は、帝の妹ながらも温和で、政治には関わらない立場を貫いてきた。
「それでも、“姫を傷つける価値がある”と考える者がいる。
つまり──“姫を利用しようとした者”と、“姫を排除しようとした者”が争っている。
後宮の勢力争いは、表の顔だけでは測れません」
姫の目に涙が浮かんだ。
「誰が……私を……なぜ……?」
煌璃は、彼女の手をそっと包みながら、静かに答えた。
「姫様、後宮では“涙を流すことすら狙われます”。
でもご安心を。この火傷は残りません。残すべきは“痛みの記憶”ではなく、“その裏にある真実”だけですから」
冷毒と熱反応。
目に見えない科学が、後宮の影をあぶり出していく。
そして──煌璃はまだ知らない。
この事件の裏には、彼女の母がかつて“同じ罠”にかけられた記録が、封じられていることを。