第9話 鑑定眼の戦い方
訓練室の空気が、ピンと張りつめた。
俺の正面に立つのは、元専属メイドであり、今はCランク冒険者の――カリヤ。
青白い髪をきっちりまとめ、軽装のメイド服姿のまま、木剣を軽く構えている。
「……本当に、よろしいのですか?」
冷静な声。それだけで、心臓が跳ねた。
「オージ様は、確かに魔法の才にも恵まれた御方です。しかし――剣は、魔法では防げません」
「わかってるさ。でもな、“見る”ことができれば、“読める”。“読める”なら、“避けられる”」
俺は構える。型なんて知らない。ただ、足を開き、重心を低く、目を凝らす。
鑑定眼――発動。
カリヤの姿が、淡い光に包まれ、視界にステータスと筋肉の動きが重なるように浮かび上がる。
心拍、呼吸、骨格の可動域、筋の張り、足裏の荷重バランス……。
(これが、“戦闘の構え”……!)
動くだけで、こんなにも情報があるなんて思わなかった。
まるで、高密度な数式を読み解いている感覚だ。
「では、始めます」
カリヤの宣言と同時に、空気が爆ぜた。
スッ――と消えるような踏み込み。
(速――ッ!?)
俺はとっさに身を引いた。目で追えなかったが、鑑定が“肩の動き”と“左足の角度”から、その斬撃の軌道を予測していた。
風を切る音。すぐ目の前を木剣がかすめる。
「ッ……!」
ギリギリ、避けた。
「……初手から、避けられましたか」
カリヤが少しだけ目を見開く。
「いや、偶然だよ。体が勝手に動いた」
いや、正確には“あらかじめ動かしておいた”んだけどな。
魔法を体術に組み込むことで、俺は自分の身体をプログラムのように動かした。
魔術師のサブ職業をとったことで、体術面でも新たな可能性が開けている。
これなら……。
(読みが当たった……)
思ってたより、“筋肉の動き”ってのはわかりやすい。
カリヤは斬る前、必ず左肩をわずかに引くクセがある。
そして、踏み込む前に、重心をかかとからつま先へ一気に移動する。
その“前兆”を読めば、反応が追いつかなくても、あらかじめ“動いておける”。
(……なるほど、これが“先読み”ってやつか)
「次、行きます」
カリヤの木剣が二度、三度と振られる。
横薙ぎ、袈裟、下段払い。
俺はすべてを“紙一重”で避け続ける。
(肩、右足、腰の溜め……! 来る!)
バックステップ、回避、サイドへステップ――
かつて、目が見えなかった俺が、“情報”や“雰囲気”だけで人を判断してきたように。
今の俺も、“動作の情報”だけで戦っている。
気づけば、汗はかいてるけど、息はまだ上がってない。
(いける……! 読めるぞ、カリヤの動きが……!)
──でも。
カリヤは、そこから“速度”を上げてきた。
「では、次は“速さ”でいきます」
――バッ!
「くっ……!」
視界に入ったのは、一直線の突き。
だが、ほんの一瞬、肩の引きが甘かった。
(あれは……“フェイント”だった!?)
直後、真正面ではなく、斜め下からの斬り上げが飛んできた。
「――ちぃっ!」
体をひねり、ギリギリで木剣を弾く。
だが、腕に軽く衝撃が走った。かすり傷……か?
カリヤが静かに一歩引く。
「申し訳ありません。つい、いつもの癖で――」
「いや……上等だよ。むしろ、ありがたい。本気できてくれて」
俺は、ぶんぶんと腕を回しながら笑った。
「情報が増えれば増えるほど、俺は強くなれる」
次は、もっと先を読んでやる。
カリヤの剣が、空を裂くように舞う。
直線的な突き、鋭角な斬り上げ、回転を伴う踏み込み――
まるで舞踏のような美しい動き。だがそれは、確かな“殺意”を帯びていた。
「どうしました、オージ様。さっきまでの“見切り”が、鈍ってきたように見えます」
「っ……うるせぇ……ちょっと情報量が増えただけだ……!」
そう、今のカリヤは“変則的”だ。
一つの動作に、二つ、三つの“候補”を織り交ぜてくる。
いわば、“フェイントを前提とした構え”だ。
(ただ読むだけじゃ、追いつけねぇ……)
だが、俺には――“鑑定眼”がある。
「――《同時読み》、展開」
俺の脳裏に、“複数のカリヤ”が同時に再生される。
一つは左斬り、一つは突き、一つは回り込み。
肩の角度、足の軌道、腰の溜め――それぞれ微妙に違うが、
“選択される確率”が高いルートは、鑑定眼が色で教えてくれていた。
(一番、動きが自然で、力の流れがスムーズなルート……それが“本命”だ!)
俺はステップを一歩、左に踏み出す。
その瞬間、カリヤの剣が“本命の軌道”で振り下ろされてきた。
「――やっぱり、それかよ!」
ガッ!
木剣と木剣がぶつかり合う音が、訓練室に響く。
俺の剣は、ぎりぎりの角度でカリヤの剣を逸らし、
そのまま彼女の懐へと踏み込む。
俺は剣にありったけの魔力を流し込んだ。
「……っ!」
体をひねって逃れようとするカリヤの動き。
だが、その“逃げ”すら読んでいた。
「そっちだろ……!」
俺は逆足を踏み出し、彼女の剣腕に軽く体当たりをかける。
バランスを崩したカリヤが、木剣を落とした。
カラン――と音がして、勝負がついた。
俺は深く息をついて、両膝に手をつく。
(っはー……しんど……!)
足が震えてる。腕が痛い。
でも、確かな“勝利”の実感が、胸にあった。
カリヤは、数歩下がって膝を折り、
その場に、静かに頭を下げた。
「完敗です……オージ様。まさか、ここまでとは……」
「……俺も、本気だったんだよ」
俺は息を整えながら言った。
「鑑定眼ってのは、才能を見るだけの力じゃない。今の俺には……筋肉の動き、呼吸の流れ、癖や心理、全部――見えてる」
それは、かつて目が見えなかった俺だからこそ、得られた力。
“観察”と“洞察”が、俺の武器だ。
カリヤは、静かに立ち上がり、髪を払った。
「……オージ様は、誰よりも“戦場における情報”を使いこなす方だと、身をもって知りました。もはや、ただの奴隷商人ではありませんね」
「奴隷商人で魔術師で、鑑定眼持ちで……」
俺は肩をすくめて、言ってやった。
「それでいて、戦闘でも勝てる。最強の肩書き、もらってもいいだろ?」
そう言って笑った瞬間――
「オージ様、すごいです!!」
駆け寄ってきたのは、ヴァルナ。
「さすがオージ様……! まさかカリヤさんに勝っちゃうなんて! 私も特訓お願いします!」
「……お、お前は筋肉バカすぎて、逆に読めねぇんだよ……怖い……」
「えええっ!? なんでですかーっ!?」
その後ろから、リリアも控えめに拍手を送ってくれた。
「お、おめでとうございます、オージ様……! すごく……かっこよかったです」
「ははっ……サンキュな、リリア」
俺は、鑑定眼で見える“世界”の可能性を、改めて実感していた。
情報を読み、理解し、先を制する。
この力があれば――俺は、どこまでも行ける。
(次は……どこまで行こうか。誰を、育てて、導こうか)
まだまだ、やれる。
俺の奴隷商人としての道は、これからだ。